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case6
Pを訪ねて客が来る。先生とほとんど入れ違いである。かねてから馴染みの女の子だ。今日は藤色のスカートを履いている。ほとんど全ての花に対応した、色とりどりのスカートを持っているのである。頬を朱に染めている。いつものように緊張している。Pはいない。
書き物机をぐるりと回り込む。そこにもいない。部屋を見渡す。どこにもいないのである。未だかつてない事態だ。女の子はとても心細くなる。
「こんばんは。」
店の奥の暗がりに向かって声をかける。返事はない。そちらに踏み込むことなどとてもできない。もちろんそちらにもPはいない。いずれにしろ女の子にとって、ここにいないPは存在しないに等しい。今、世界のどこにもPはいないのだ。
書き物机の上をつぶさに見る。そこに何か手掛かりを見出そうとする。しかしそこには散らばった色鉛筆があるのみである。女の子は一本一本時間をかけて見つめる。赤も青もあるのである。白も黒もあるのである。ない色は思いつかない。
「どこへ行っちゃったのかしら。」
女の子は呟く。それからはっとしたようにこちらを見上げる。私に目を留める。微かに落ち着きを取り戻す。女の子はこちらに寄ってくる。空を仰ぐように、私に話しかける。
「パスカル?」
それが私の名前である。もうずっと前にPから聞いていたのだ。
「彼、どこに行っちゃったのかしら。お店を開けたままで。」
私は女の子を見下ろす。悲しみを湛えた顔である。Pのことを好もしく思っているのだ。だから、ここに通っているのだ。
「知らないのか、知っているけど喋れないのかどちらかね。」
女の子は決めつける。藤色のスカートをひらりと触る。二つはどちらも外れている。
「ねえパスカル、あなたっていつも彼の傍にいられて、羨ましいな。」
女の子は饒舌である。Pと相対するときの緊張はなくなっている。その方が、ずっと愛らしいのである。
「ねえパスカル、打ち明けちゃうけど、私、彼のこと、とっても好きになっちゃったの。」
打ち明けられても困るのである。彼女が喋りかけているのは、一羽のモモイロインコである。モモイロインコが恋について一説ぶるわけにもいかない。
女の子はもちろん返事を期待していない。私から目を離す。奥の暗がりをじっと見つめる。入る勇気はないが、興味津々なのである。
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