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case4
Pを訪ねて客が来る。初老の婦人である。腕にシャム猫を抱いている。煙った銀色の毛並みである。ぐっすりと眠りこんでいる。婦人の方は起きてはいるが、とろんとした目の持ち主である。大きな屋敷に住んでいる。あくせくしたことがないのである。
「こんばんは。」
店の中ほどに向かって声を掛ける。Pは読んでいた本を閉じて立ち上がる。まず猫の塊に目を留め、それから婦人の顔を見る。
「こんばんは。」
Pも挨拶を返す。婦人はふうわりと微笑む。身体全体もふうわりとしている。麻のゆったりしたワンピースを着ている。明かりの下で、生成りの生地が色濃く見える。
「こんなご注文を受け付けてらっしゃるかわからないんですけど。」
丁寧に婦人は言う。おしつけがましいのは嫌いなのだ。Pは黙って頷く。相手が次の言葉を紡ぐのを、ゆったり構えて待っている。
「わたくし、時間を一つ、いただきたいんです。」
婦人はそう言うと、眠っている猫の頭を撫で始める。一撫ですると落ち着くのである。そうと知らず、婦人は大抵いつも猫を持ち歩いている。
「時間、でございますね。」
Pはかしこまって注文を繰り返す。アーモンド型の目をくりくりと動かして、何か一考している素振りを見せる。
「失礼ですが奥様、それについてはもう充分持ち合わせていらっしゃるようにお見受けいたしますが。」
婦人は猫を撫でる手を止める。気を悪くしたわけではない。当然問われる質問と心得ているのである。
「ええ、おっしゃるとおりです。でも、わたくし思いますに、幾ら持っていても持ち過ぎでないものもございますでしょう?」
「いかにもそうです。」
Pは納得する。婦人は再び手を動かし始める。猫は目を覚まさない。擦り減ってもいかない。そのままの形状で、眠る猫は存在している。
「では時間を取って参りますので、少々お待ち下さいませ。」
Pが暗がりに姿を消すと、婦人は一歩前に踏み出す。書き物机に残された本を覗き込む。若々しい青年が何を読んでいたのか、とても知りたいのである。
本には黒い布のカバーがかけられている。何一つ情報を得ることはできない。Pはいつもそうしているのである。
婦人は勝手にカバーをめくって、それから元通りに戻しておこうかと考える。そうしている自分を想像する。そんなはしたないことをするのはやめようと思い直す。そこまで考えが一巡したときに丁度Pが戻ってくる。
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