第2章 保健室の魔女

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   3  大南ハーブガーデンで、真帆たちが嬉々としながら魔法薬に使うハーブを見て回っているあいだ、僕は設置されていた古風なベンチに腰掛けて、どこともなくその景色を眺めながら、ただ無為に時間を貪っていた。  とても綺麗な景色だった。青い空と緑の木々。溢れるような植物と、流れる川も美しい。どうやら宿泊施設もあるようで、バンガローや旅館、それとオシャレなカフェや温泉なんかの施設も建っていた。来月末辺りからはラベンダーの摘み取り、八月からはブルーベリーの摘み取りなんてものもやっているようだが、真帆が「また来月も来ましょうね!」なんて言い出さないか、今からすでに戦々恐々だ。  ちなみに井口先生は到着するなり「俺はちょっと温泉入ってくるわ~」と呑気に手を振りながら行ってしまった。お目付け役としての仕事は乙守先生|(と、どうやら僕)に任せてしまったようだ。  何だかんだ自由なのが、魔法使いたちの特徴であることを僕はこの二年間に学んでいた。 「ところで、聞き忘れていたんだけれど」  と先ほどまで真帆たちと行動を共にしていた乙守先生がいつの間にかやってきて、僕の隣に腰かける。 「春休みはどうやって瀬良農園まで行ったの? あそこもそれなりに遠かったはずだけれど、それこそあなたが嫌がっていた楸さんのホウキとか?」  あぁ、そういえば言ってなかったな、と僕は小さく首を振って、 「いえ、春休みはアリスさんも同行してくれたので、僕は鐘撞さんのホウキに乗って、榎先輩がアリスさんと。真帆はひとりで飛んでいきました」 「そういうこと」と乙守先生はこくこく頷く。「アリスも相変わらず面倒見がいいわねぇ」  気持ちの良いそよ風が吹き、乙守先生の髪がさらさら揺れる。ふんわりと香ってくるのは植物の匂いか、それとも乙守先生からのものだろうか。気にするとなんだかドギマギしてくるが、それを顔に出すとまたからかわれるか、さもなければ真帆が嫉妬で嫌味をいってくるかもしれないので、僕は必死に平静を装う。  乙守先生は水色のフレアスカートに白のニットといった服装で、普段よりも大人の女性って感じがして、僕は何だかそわそわしてしまう。翻って真帆たちの服装に眼を向けてみれば、やはり年相応の服装で、乙守先生に感じるような大人の色香というものが微塵も感じられなかった。真帆たちもいずれは乙守先生のような大人の女性に成長するのだろうか。今の僕には、どうにも想像がつかなかった。特に真帆はまだ明らかに幼さが残っていて、どこか中学生か、或いは小学生の女の子に見える時すらあるのだった。  乙守先生は口元に笑みを浮かべながら前かがみになり、自身の太ももに肘をついて頬杖をつきながら、そんな真帆たちを眺めつつ、 「――楽しそうねえ、あの子たち。下拂くんは混ざらなくていいの?」 「僕はそこまでハーブに興味がないので」 「でも、今なら可愛い女の子たちに囲まれてキャッキャウフフよ」  乙守先生が嘲るように口にするのを、僕は両腕を高く上げて大きく背伸びしながら、 「そんなことないですよ。見てくださいよ、真帆たちを。完全に僕なんて蚊帳の外って感じで楽しんでるじゃないですか。あの中に混じろうなんて、僕は思わないですね」  ふうん、そうなんだ。と乙守先生はつまらなそうに上半身を起こすと、先ほどの僕と同じように両腕を高く上げて大きく背筋を伸ばした。 「じゃぁ、お姉さんと楽しく談笑のほうが好み?」  ……お姉さん? どこからそんな印象を受けたのだろうか。  などと首を傾げていると、乙守先生は少しばかり不機嫌そうに、 「お姉さん、お姉さん」  と人差し指で先生の顔自身を示して見せた。  あぁ、そうか。お姉さんって、先生のことか。 「ごめんなさい、なんかもう、乙守先生はただただ先生ってイメージでした」  だって、先生は先生なんだもの。確かに綺麗な大人の女性って印象ではあるのだけれど、僕にとって乙守先生はもう、保健室の先生でしかない。唐突に『お姉さん』と言われたって、その印象がないのだから、反応できなくて仕方がない。 「なによそれー!」不服そうに乙守先生は唇を尖らせる。「私だって、先生以前にひとりの女性として扱ってほしいんだけどー!」 「なんですか、先生。先生は年端もいかない男の子がお好みなんですか?」 「年端もいかないってほど、あなたも若くはないでしょうに。あと二年もすれば成人じゃないのよ」 「まだ二年ありますよ」  笑いながら答えれば、乙守先生はニヤリと笑んで、 「二年なんてあっという間よ? 特に歳をとってくると、ほんっっとうに一年があっという間に過ぎていっちゃうんだから」 「うちの親もしょっちゅうそんなこと言ってますね。だから、若いうちにできることは今のうちにやっておけって。歳を取ってからだと、あとでやろう、あとでやろうで、あっという間に時間が過ぎて、結局やらなくなっちゃうからって」 「そうね、確かにそれはあるかも。時間って不思議よね。歳をとればとるほど時間に対する価値や感覚が変わってっちゃう感じするもの。私も結構、後回しにしてやらずにいたことがたくさんあるわね」  そこでふと乙守先生は「んんっ?」と片眉を引き上げて、 「――今なんか、話の流れを変えられた? もしかして」  ちっ、バレたか。と僕はまるで真帆のように(心の中で)舌打ちした。  乙守先生の“お姉さん”からせっかく話題を変えてやろうと思ったのに。 「すみません」と僕はとりあえず素直に謝罪しておいてから、「乙守先生は間違いなくお姉さんですよ。とても綺麗なお姉さんです」 「なんかこの流れで言われてもあんまり嬉しくないなぁ。からかわれた感じするー」  再び唇を尖らせる乙守先生は、たしかにどこかまだ幼さを残しているように見えた。けれどそれは大人が子供みたいなことをしようとした結果っていう感じで、なんとなく違和感を覚えなくもない。だけどもちろん、そんなこと言えるはずもない。 「そんなことないですって。乙守先生は美人で綺麗で可愛らしい、とても素敵な大人の女性だと僕は思ってます。僕は先生のこと好きですよ。本当です」  精いっぱいの笑顔で僕はそう口にしたのだけれど―― 「――へぇ、こんなところでまさかの浮気ですか、シモフツくん」  背後から聞こえてきた真帆の声に、僕は全身の毛が逆立つような思いだった。  咄嗟に振り向くと、口をへの字にして眼を見張る、鬼のような形相の真帆が腰に両手をあてて佇んでいた。  ――こ、殺されるっ! 「シモハライ先輩、サイテーですね」真帆の右隣に立つ肥田木さんも、蔑むような視線を僕に向けていた。「幻滅しました」 「え、ち、ちがうって!」  僕は必死に首を横に振って否定するのだけれど。 「あーぁ。真帆、可哀そう」真帆の左隣に立つ榎先輩まで、そんなことを口にする。「まさか、下拂くんがそんな奴だなんて思いもしなかったわ」 「だ、だから、ちがうって言ってるじゃないですか!」  僕は咄嗟に助けようと、乙守先生の座っていたほうに顔を向けたのだけれど、 「――さ、鐘撞さん。あっちにカフェがあるから、一緒に行きましょうね~」  乙守先生はニヤニヤと笑みを浮かべながら、鐘撞さんの背中に手を回してスタスタとどこかへ行こうとしてしまう。  鐘撞さんはひとり、おろおろしながら僕と乙守先生を見比べつつも、 「あ、はい……」  僕に助け舟を寄こしてくれる様子もなかった。 「どういうことか、説明していただけますか、シモフツくん?」  にじり寄ってくる真帆の両手から、風の渦が巻き起こっているのを僕は感じる。  ヤバい、このままでは真帆の魔法で吹っ飛ばされる。 「ま、、真帆、落ち着いて! 違うから、それ勘違いだから!」 「勘違い? 私に勘違いさせるような、何を乙守先生としていたんですかぁ?」 「こ、怖いから、まずその顔をやめて!」  じりじりと間合いを詰めてくる真帆と、後ずさりする僕。  そんな僕と真帆の様子を、おかしそうにニヤニヤしながら眺める他の方々。  わかってるくせに! みんなして僕をからかってやがるぞ、こいつら!  ――誰か助けて!  天に届けとばかりに心の中で叫び声をあげたところで、 「……なんだお前ら、なにやってんだ?」  呑気な声で温泉上がりの井口先生が間に入ってきて、首を傾げながら僕と真帆を見やるのだった。  それを見て、さすがの真帆もやる気を失ったのか、 「べっつにー? なんでもないですよー?」  と笑顔を浮かべる。  緊張感から解放されて、僕はほっと胸を撫で下ろした。どうやら難は逃れたようだ。  そんな僕に、真帆はトテトテと可愛らしい小走りで駆けてくると、にっこりと優しげな笑みを浮かべたまま、そっと耳元に唇を寄せてくる。 「――あとでケーキ、おごってくださいね?」  ……それで許してもらえるんだったら、喜んで僕はおごるともさ。
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