9 主

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9 主

「調子どう?」  老いた大木、この山の(あるじ)の幹に手を当て、シャルプは軽く問いかける。 「……そんな変わんないかぁ」  【真の者】であるシャルプは、この山に初めに魔法をかけた【真の魔法使い】と同格の力を持っている。  それはその魔法を完璧に引き継げる事も意味し、昔の【真の者】によって山の主となった老木と、こういった意志の疎通も可能になる。 「ごめん、師匠はもうちょっとしてから連れてきたいんだ。ボクがまだ、なんとなく……」  その先を言いよどむ。  この場所は、清らかな場所だ。山の生命が集まり流れ出てくる、管理の縁よりも気にかけるべき場所。  それに、シャルプ自身が逃げ込み助けられた場所でもある。  呪具の中で死にかけたシャルプは、半ば無意識に強く願った。『魔法使いに会いたい』と。  それによって引き出された力で空間を飛び越え、この老木の枝先に引っかかった。強い魔力を辿り、着いたのがここだった。  そしてギニスタにも出会ったのだ。  ──しかし。  シャルプには、今まだ『ギニスタが死にかけた場所』という思いが残っていた。 「君のせいじゃないのにね。ごめん、ボクがなんか、まだ……怖くて」  あのひとを失いそうで、怖くて。  あの日の、ギニスタが大木に手を添え自身を粒子に変えていく光景。それからの、ギニスタを【蘇生】する作業の記憶は、シャルプの中に強く結びつけられて残っている。  留めた魂がいつ消えてしまうか、もしかしたら自分が消してしまうかも。 (これまでの【管理者の情報】に、そんなものなかったんだもの)  今までの管理者は誰も、蘇生(そんなこと)はやっていなかった。  管理者を継いだばかりの、四つの子供が初めて行う試み。失敗したら、自分がギニスタを殺してしまったも同然で。  それを孤独に、揺らめく魂を隣に、十五年。 「……本当に、成功して良かった……」  その瞳が潤み、口がひしゃげる。  その頭上で光と陰を作る煌めく大木の、その枝葉が気遣うように揺れた。 「ありがと。君も優しいんだよなあ」  その根元に座り込み、シャルプは僅かに口を尖らせる。 「なのにね、他の者達は師匠を悪く言うんだよ」  死に損ない。  非力な足手まとい。  真の者の手を煩わせる。 「そんでそれを受け入れちゃうんだよ……師匠は……」  はあぁ、と息を吐いて、立てた膝に額をつける。 「とても優しいひとだから……」  自分を助けてくれた時もそう。  己の事など二の次で、どこの誰とも分からない子供の命を繋ぎ、「帰すから、家を教えろ」とまで。 (覚えてなかったけど。でも、覚えてても言わなかった。多分)  魔法使いにもなりたかったけれど、あのひとの傍にいたかった。美しく、優しく、温かなあのひと(ギニスタ)の傍に。 「けど分かってくれないんだぁ……ボクの言ってる事……」  輝く枝葉がさわさわと応える。それにシャルプは苦笑を返した。 「うん……言い方があれなのは、そうなんだけど……」  なんというか、照れくささがある。  それに、それを踏まえても、それなりにまっすぐ伝えているつもりではある。 「周りもさぁ、師匠の事認めないしさぁ……」  今まで立派に、それこそ他の【仮の管理者】よりしっかり仕事をしていたのに。 「力が弱くなったとかいうなら、皆で助け合えば良かったのに」  嵐の時も、山火事の時も、調査隊とかいう人間の集団がやってきた時だって。 「ぜぇんぶ師匠だけに任せるんだもの」  ハァァ、と少し重めの溜め息を吐く。  それを聞いていた幹の光が、流れるように揺らめいた。 「ああ、君のせいじゃないよ。君はここにいる事が大事なんだもの」  言って、老いてもなお滑らかなその表皮を撫でる。 「なのに……その、ちょっと、ボクも浮かれてたのは自覚してるよ? けどさ」  シャルプの相談、というより愚痴はその場に染み入っていく。  (おお)きな老木も、静かにそれを聞いていた。  ◇◇◇◇◇ 「やるか」  ギニスタはそう言って、戸棚からヤドリギを取り出した。  管理者の仕事に使うからと常備していたそれは、やはりというか十五年経っても使える状態にあった。 (あの子は使わないだろうに。アタシが集めていたからと、質を保っていた……)  その行いを想像し、チクリと胸が痛む。  これからしようとしている事は、シャルプを悲しませるだろうから。 (しかし、もう他に思いつかない)  ギニスタは、この山を下りようとしていた。  それも、シャルプに気付かれないようにこっそりと。 (掬われた命を粗末にするようで、なんとも心苦しいが)  だが、ある意味師匠らしい行動ではないか、とも考える。  もう教える事はないと行方をくらまし、残された弟子は自らの力で一人前となる。 (いや、もう一人前な筈なんだが)  真の者であり、現管理者であるからして。  頭の中でぶつぶつと、そんな事を考えながらギニスタの手が動く。  取り出したヤドリギを組み合わせ、頭が通るくらいの輪を作る。自分のハンモックに乗って、それを首にかけ、ヤドリギに魔力を巡らせると── 「……ふぅ」  ヤドリギは溶けるように消え、代わりにもう一人のギニスタが現れた。  瞼を閉じたその子供は、ギニスタにしなだれかかるようにして動かない。これは【ダミー】であり、生きているように見えるただの幻だ。 「……アタシって、こんな顔だったか?」  【ダミー】は、ギニスタが管理者時代に作り出した魔法だった。一人で手いっぱいだった当時、自分がもう一人いればと思っての事だった。 (しかし、生き物じゃないからな。動かすのも一苦労だ)  そもそも思念が生まれなかった。魔力を巡らせ動かす事は出来たが、それは並列思考をするような、神経をすり減らすものだった。 (それが、こんなところで役立つとは)  ギニスタはダミーをハンモックになんとか寝かせ、また自分もそこから降りる。  そして、今ある体内魔力をありったけ、そのダミーに移した。これで、ギニスタの気配はダミーに移動する。 (ここまですんなり操作できるのも、この身体のおかげか)  力が戻ってくるのも、そもそも消えかけた魂が定着したのも、シャルプの作った身体だから。ギニスタはそう考える。  姿こそ以前のギニスタのものでないが、その性質は殆ど変わらない。そのように組み上げたと、シャルプ自身から聞いていた。 「……よし」  小さく呟く。  準備は整った。後は山を下りるだけだ。  ◇◇◇◇◇ (誰かに何かしら言われるかと思ったが)  一人山を下りつつ、ギニスタは辺りを見回す。  動物達や妖精が、そこかしこから視線を投げてくる。しかし誰も声をかけてこない。  彼らはとても静かに、見守るというより観察するようにギニスタの行動を追っていた。 (早く居なくなって欲しい、という事か)  シャルプは今、主の元にいる。なのにギニスタは家から出ている。  その上いつもは着ない上着を羽織り、どう見ても人里に向かっているとなれば、何をしているかすぐ推測が立つ、という訳だろう。 (まあ、動きやすくて良いか)  ダミーに魔力を殆ど移した事で、歩いて下山したギニスタ。 (なるべく早く行きたいんだが、これはどうにもならん)  そのまま歩けるだけ遠くへ、と思っていた。  しかし、以前より寂れた気のする街を抜けたところで。 (まあ、そんな気はしていたが)  奴隷狩りに遭った。
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