2 黒ずんだ赤

1/1
前へ
/19ページ
次へ

2 黒ずんだ赤

 山の(あるじ)の大木。年老いてなお、太陽のような光を放ち、周りに生命(いのち)を与える巨木を、診に来た時の事だった。 「ん?」  辺りはやたら騒々しく、それでいて怯えが広がっていた。魔法使いは彼らを宥めつつ、皆のざわめきのもとへ向かう。 「……ぁあ?」  大木の、空近くの枝先で揺れる、黒ずんだ赤。最初はそれを、襤褸切れかと思った。 (……いや、違う)  人間。それも、年端もいかない子供。 (何故、人間がこんな場所に……しかもなんと残酷な……)  肉は裂かれ骨は砕け、原形を留めている事が奇跡に見える。その凄惨な姿は、聖なる主の光を受け、より禍々しく哀しく映った。 「……済まないが、この木から降りてもらうよ。別の所でおやすみ」  声を掛け、手を振る。それは枝からふわりと浮かび、ゆっくりと降りてきた。 「…………」  目の前に浮かんだ小さな身体は、 「………………カヒュッ」  生きていると、主張してきた。  ◇◇◇ 「なんだろ……これ……」  屋根の上で、子供はそれを拾い上げる。 「んー……」  淡く翠に輝く、透明なもの。 「石?」  屋根瓦に幾つも埋め込まれている色石と似ているが、それらとは違う。歪な、指先程度の大きさのものだった。 「…………ぅんー…………」  けれどどうしてか、ただの石ではないような、何か大事なもののような気がした。 「……聞いたら、何か教えてくれるかな」  何かを感じるその翠を、腰の袋に仕舞う。 「よっしもう一頑張「そこか!」?!」  すぐ傍で聞こえたその声に、子供は辺りを見回した。 「何してんだ! こっちが作業してる間に!」 「え? え??」  声の主の──魔法使いの姿は見えず、困惑した子供の腰が浮く。 「あ! 動くな! そこ滑り易いんだから!」 「あっはい」 「お前飛べやしないのに! 待ってなさい! 動くなよ!」 「はい……」  中腰で? と思う間もなく、赤と銀が屋根の下から見えてきた。 「どこ行ったかと思えば……今度は何を……」  空に浮かんだ魔法使いは、肩を怒らせ子供を見据える。 「そ、その……屋根の掃除を……」 「またなんで屋根を選ぶ」 「その、『集中したいから邪魔にならないように、静かに』って……見える所にいると、邪魔かなって……」  何やら器具を持ち出し、輝く石やら小さな円盤やらを組み立て始めた魔法使い。それを間近で見たかったが、見る事も集中を乱しかねないと思った。  ぼそぼそと言い訳のように喋る子供へ、魔法使いは溜め息を吐く。 「……君は……」  子供の前に降り立つ魔法使いに、俯いた檸檬色の髪が震えた。 「ご、ごめんなさい……」 「本当だよ。落ちたらどうするつもりだったんだ」 「……はぇ?」  顔を上げたその瞳に、魔法使いがぼやけて映る。 「そもそもここは。色々(まじな)いがかけてあるんだ、よ!」 「みゅっ?!」  片手で挟むように掴まれ、子供の顔が縦に潰れた。 「何か踏んだら、お前なんて消し飛ぶかも知れないんだ」  そのまま頭を右に倒され、 「分かってないだろう?」  左に倒される。 「自分から死にに行ってどうする気だよ」  元に戻った視界には、こちらを睨む水色の瞳。 「ふゅ、ひゅみまへん」 「分かったら戻る!」 「ふゃい! ……?」  子供の顔から外した手を腰に当て、魔法使いは辺りを見回す。 「……あ、の?」 「梯子も無しに、どうやって屋根に登った?」  再び向けられた厳しい視線に竦む子供のその指先が、おずおずと、あるものを示した。 「うぇ、あ、あれを登って来ました……」 「あれ……あれ?!」  示したものに、魔法使いは目を剥く。  それは屋根の反対側の端にある、立派な枝を張る常緑樹。【鈴の実】をつける稀少な樹だ。 「ばっかあれは気に入られなきゃ棘を出すっ……気に入られたのか……」  魔法使いは首を振り、無傷の子供に顔を戻す。 「(まじな)いに掠った跡も無し、か」 「?」 「なんでもない。ほら、降りるよ」  言った途端、魔法使いの身体が浮いて、 「すご……ぁえ?」  それを目で追う子供の身体も、屋根から離れた。 「え、わ」  自分は今、雲のように浮いている。それを理解した子供の瞳が、星空のように輝き出す。 「わ、わあ! わああ! 凄い!」 「この方が手間がないんだよ。行きは無事でも、帰りも同じとは限らない」  滑らかに視線が下がり、子供の足が地面に着く。 (と、飛んだ……飛んだ!) 「ふわああって! 飛んだぁ!」  叫んだと思うと跳ね回り、そのまま庭を駆け回る。 「……」  魔法使いはそんな子供を、観察でもするように眺め、 「いぎっ?!」 「あ?!」  声を上げ傾いだ子供へ手を伸ばした。 「ぇあっ……?」 「……お前今、無理に動いただろう」  手繰り寄せる手つきと共に、子供の身体が宙に浮く。 「わっえっ」  何かに持ち上げられるようにして、その小さな体躯が草の上を滑る。そして眉根を寄せたその顔と、鼻が触れそうなほど近くで停止した。 「全てを一人でやるんだろう?」 「! ごめ、んなさい……」  うなだれる子供を静かに降ろし、魔法使いは腕を組む。 (……泣き出せば良いものを。どうしてそんなに強がるのか)  身体の傷も、今の言葉も。この子供を蝕んでいるのに。 (苦手なんだよ……逆ならまだ……)  ここから離れたいと。この山から降ろしてくれと。そう言ってくれれば終われるのに。 「────……す……」 「!」  かすかな声に、魔法使いは思わず腰を落とす。 「聞こえない。何だって?」 「そ、の」  上げられた顔は、今にも泣き出しそうで。 「ありがとう、ございます。また、助けられちゃいました」  それでも笑おうと、口がへにゃりと、柔く歪んだ。 「…………あああああもおおお!!」 「ふぁ?!」  魔法使いは髪をかき回し、霧が薄らいでいる青空へ叫ぶ。 「なんなんだ君は?!」
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

8人が本棚に入れています
本棚に追加