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4 人里
「え?! また出かけるんですか?! 帰ってきたばかりなのに!」
叫ぶ子供へ、魔法使いは鬱陶しそうに顔を向けた。
「ちょっと物を取りに戻っただけだ。まあ今度は、もう少し早く……旨、あ」
素早く口を閉じる。けれどそれは、ばっちり子供に聞かれていた。
「本当ですか?! やったあ!」
匙を持った手を大きく振り、その顔は言葉通りに喜びを示す。
「今日のポトフ上手くいったかなって思ったんです! お口に合って良かった!」
散々森を癒して回り、疲れ切っていた魔法使いに、子供はおずおずと。
『あの、ご夕食、あるんですけど……良かったら食べませんか?』
『食べる』
言ってから、しまったと思った。
「えへへ、へへ」
薔薇色の頬に手を当て、満面の笑みは今にも蕩けそうなほど。
「……」
この一言がそこまで響くかと、逆に呆れが勝ってきた。一呼吸置き、魔法使いは姿勢を正す。
「……で、だ。その間も今日までと同じ様に過ごせ。必要最低限の物だけで過ごし、庭から外へは出て行くな」
気を許してはいけない。まだ帰す可能性も大いにある。
「はい! 分かりました! ご飯作って待ってますね!」
「ちがう!!」
「へ」
◇◇◇
(人里……随分と下りていなかったが)
あまり変わらないと、魔法使いは心で呟く。
(いや少し、貧しくなったろうか……? おっと)
前から来る数人を、大きく避けるように歩く。
「……なあ、聞いたか?」
目眩ましをかけているので存在に気付かれはしないだろうが、要らぬ接触は避けるが吉だ。
「何を」
「領主様が祈りを捧げる話だよ」
外套のフードを深く被り直しながら、話し始めた数人の、その横を抜ける。
「ああそれか」
「俺も聞いたが、本当なのか? 祈りで農地が甦るって」
凸凹の多い道を往こうとした足を、止めた。
「俺もどうだろうと思ってたんだが……この間な、従兄弟の隣んとこが祈りをして頂いたそうなんだよ」
「それで?」
「見事作物の付きが良くなったってよ!」
「じゃあ本当なのか?!」
「ああ、それに────
遠くなる数人に、澄んだ水色を向ける。
(成る程? これは早くも)
大体の想像がついた。
◇◇◇
「ふむん……」
子供は腕を組み、ハンモックに揺られながら考える。
「あの人は何が好みなんだろ……」
偶然ではあったけど、あのポトフを食べ、美味しいと言ってくれた。今度も喜んでもらいたい。あわよくば褒めて欲しい。
「むうん……」
自分を看てくれていた時は、堅焼きのパンやら飴やらばかり。自分の食事はそっちのけだった。
「ううん……?」
思い返せば、自分が動けるようになってからも……
「おんなじパン、そのまんまのチーズ、燻製肉……」
あの人は簡単に済ませる事が多かった。そもそも食事は怠りがちだったと、そこで気付く。
「こ、これは良くない……!」
そんな生活ではいつか倒れる。それに、よくよく考えると。
「あの人いっつも最小限の事しかやらない……!」
掃除も、洗濯も、身仕度も。手間など知らぬと言いたげに、表面的に終わらせていた。
「仕事はとってもきっちりやるのに!」
未だに教えてくれない棚の中身や器具や庭。それらの管理は徹底しているように見えるのに、その他がとても粗雑だった。
「ぼ、ボクが……!」
なんとか、と言いかけて、その先が止まる。
「……何かして怒られたくないぃ……」
あぅぅ、と呻き、その身体はハンモックに横たえられた。
◇◇◇
「これは……」
人里に下り、何日もしないで山と出てきたこの情報。
「どう考えても」
そう呟き、魔法使いの眉根が寄った。
『最近作物の実りが悪い』
『これでは税を払えない……』
『領主様はお厳しいのだろう?』
『もう何人もお咎めを受けたらしい。しかも帰ってこないんだ』
ここまではよくある話。それですら胸くそ悪くなる。
『どこもかしこも痩せた畑だ』
『俺達これからどうすりゃ良い……?』
『聞いたか? 領主様が祈りを捧げたら、大地に命が戻ったんだ!』
『お話を聞いて頂ければ』
『領主様がお祈りを捧げて下さり、元のように実りが戻る!』
そんな事があったとして。何故そうなるのかもう少し考えて欲しい。
『領主様は聖なるお方だ!』
『ああ自分が恥ずかしい。何も考えず領主様を悪く言って』
『それも許して下さるさ! 祈りが天に届くお方だ』
『俺達もお願いに行こう! 畑に命を灯してもらおう!』
その畑に注がれる命がどこから来るか、想像してみたりしないのか。
(違和感なり……いや、分からないなりに考えた故の結論、か)
彼らは何も知らないし、こちらから教えることも出来ない。肩を落とし、魔法使いは溜め息を吐く。
(加えて)
星が瞬く夜空に浮かんでいる魔法使いは、それを見下ろした。
(どこから得たのか、大層なモノをお持ちのようだ)
広大な敷地に建てられた『領主の館』は、豪華絢爛と言えるもの。
「領地はどこも痩せているっていうのに、ねえ」
その金はどこから来るのか、果たして胸を張れる金なのか。
「ま、アタシには関係ない。関係あるのは」
そのギラギラと輝く館の底、黴臭い地下室にあるモノ。
「さてどんな……」
呪具があるのか。手をかざし、読み取る。
「……!」
魔法使いの目が見開かれ、動きが止まった。
「……」
やがて、魔法使いはゆっくりと動き出す。空中で手を横に滑らせ、血と命を吸い込んだ呪具を破壊した。
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