第二章 師匠と弟子 1 前管理者-1

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第二章 師匠と弟子 1 前管理者-1

「ギニスタ師匠! ちょっと見てくれませんか!」  声の主は木べらで鍋をかき混ぜながら、隣──その斜め下へ、声をかけた。そこにいる、自身の腰より低い背丈の子供は顔をしかめ、 「いい。見えないし、今のアタシが見ても」 「ボクが見て欲しいんです!」  朗らかな、けれど有無を言わさぬ圧を感じ、子供は渋々頷いた。  椅子に登り立ち上がった子供へ、嬉々として鍋の中身を見せてくる。  子供は赤と銀の髪を零れぬよう押さえ、水色の瞳を細めた。  鍋の中には、さらりとした液体がある。虹色に光る透明な、とても美しく見えるもの。  その色は、素材の効力が高められている事を。濁りの無さは、最上の状態である事を示していた。 「……良く出来てるよ」  顔を引っ込め、やや呆れの混じる声で評すると。 「ホントですか?!」  その声は上擦り、青と金の瞳は瞬いた。 「本当」 「やったあ!」  そして檸檬色の頭が揺れる。満面の笑みと共に、手を振り、跳ね、それこそどちらが子供かというほどはしゃぐ。 「は、馬鹿っ危ない?!」 「え、あっ」  その手から木べらがすっ飛び、 「あ……」  窓を抜けて、庭へ── 「……」  ぽかんとしたまま動かない隣を見やり、子供は椅子から降りた。 「取りに行くぞ。ほっとくと危ない」 「……」 「シャルプ!」 「あっはい!」  ◇◇◇◇◇ 「なんだもう……どこまで飛ばしたんだよ……」  呟きながら、庭を抜けて木々の奥へ。  小さくなった自分の身体に慣れてきたギニスタは、張り出す根を危なげなく避ける。 (──……辿れない……やはりアタシはもう、魔法使いではない、か……)  以前なら、薬やその素材の気配など、どれだけ遠くとも感知出来た。  管理者であれば必須の、『勝手に植え付けられる』類の技能だ。  ◇◇◇◇◇  【魔法使い】──ここでは、この山の【管理者】を示す。山とそこに棲む生き物たち、山の(あるじ)である老齢な大木の世話が、主な仕事。  その管理者は本来【真の者】が務めるが、長らく【仮の者】がそれを担ってきた。 (アタシも、仮に)  否応無しに、選ばれた。  “色混じり”──生まれる前に罪を犯した呪わしいとされる色合いの髪のお陰か、物心つく前から物乞いだった。  スリをする度胸や器用さは無かった。ただ地べたで、通りかかる人々に足蹴にされながら、掌を上に向け、頭を垂れる。 (そんなんだから死にかける)  何日も食べられない日が続いた。それ自体は良くある事だったが、身体の方が限界を迎えたらしい。  朦朧として、視界も霞んでいった。そこに不自然にくっきりと、有り得ないものが写り込む。  年老いた、けれど大きな雌鹿だった。 『人の子。お前だ、死にかけの』  しかも話しかけてきた。 『お前はこれから管理者──ふむ、魔法使いになる』  それだけ言われ、もたげた頭が近付いて。避ける力も、応える声も出せずに、魔法使いにされた。 (気付けば、ここに)  山の中で、一人霧に巻かれていた。  食べ物はあった。寝床も作れた。ここでの過ごし方は、頭に勝手に浮かんできた。  管理者としてやるべき事も。 (鹿の前は梟だったか。その前は……いや)  (かぶり)を振り、邪魔な考えを追い出す。 「今は、あの子がぶん投げたヤツを見つけないと」  何が起こるか分からない。  あれは【癒しの薬】。今回は弱った土地を癒すために作ったけれど、【真の者】謹製の薬だ。  処方を間違えれば劇毒になると、ギニスタは理解していた。 「……こっちじゃないのか?」  藪をかき分け、(うろ)を覗き込み、時には上を見上げてみる。  仮の者が扱える力は、真の者の何十分の一、いや何百分の一にも達しない。ここ何日か見ているだけでも、それは嫌というほど伝わってきた。 「反対なら、あの子がすぐに見つけるか?」  歩き回りながら、ギニスタの思考がまた逸れる。  自分の時の、山の者達が零す言葉も当然だったと。  特に【彼ら】など、真の管理者がどういうものかを知っていたのだから。その質が落ち続けて千年を越え、己の代だけでも百年近く。 (彼らには、苦しみの時代だった訳だ)  その思いは、真の管理者が見つかり十五年経った今となっても。 (収まらないって事だ。いや、戻りつつあるからこそ、以前への不満が膨らんだのか?)  分析するように考えを巡らせる。  視界の端で揺らめき、集まりだした彼らへ顔を向けながら。 〈おや? あそこにいるのは〉  自分の中にある、管理者の残滓のためだろう。未だ見える彼らはいつも、愉しげに。 〈死に損ないだ〉 〈あらホント〉  自分を見つけては取り囲み、笑いながら舞い始める。 〈真の者はまだこのような〉 〈最期の務めも果たせないような者を〉  ギニスタは言い返さない。以前なら、眉を顰めるなり何なりしたかもしれない。 〈お手を煩わせて〉 〈いい気になってる? もしかして〉 〈お前、自分が特別などと思っていやしないか?〉  しかし彼らも労していたと知れば、この言葉も受けるべきかと思えてしまう。 〈まあ大人しい〉 〈力を失ったからだ〉 〈ナリもみすぼらしくなって〉  ただ、少し気にかかるのは。 (動けない……これでは探しに行けないな)  木べらの心配だった。
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