届けたいこの想い

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 ミーンミーンミーン……。  蝉が大きな音で鳴いている。気温は三十度は越えているだろうか、ジッとしているだけでもかなり暑い。かれこれ十五分くらいは経ったろうか。まだ百合は現れない。練習する気力も萎えた俺はただ只管暑い中を死刑宣告を待つ囚人の様な気持ちで待った。 「暑い」  思わず口から漏れる。まさかこんな暑くなるとは思ってもいなかった。百合をただただ待つしかやることはない。ぼんやりと昇降口を見てみると、一人の女子生徒が走っているのが見えた。百合だ。かなり全力疾走してくれたのか、俺の元へと着いた頃には汗まみれになっていた。 「ごめんね、ちょっと遅れた」  百合はそう言うと手に持っていた飲み物を差し出してくれた。この暑さだ、正直かなり有難かった。俺達は日陰になっていた階段に腰を下ろすと各々の飲み物に口を付けた。暫しの無言。それに耐えかねたのか百合が例の発表会の話を振ってきた。 「私の部分はもう大丈夫だと思うけど、そっちはどう?」 「まぁ多分大丈夫」  内容等殆ど覚えていないからそう言うしかない。それで会話は終了してしまったが、直ぐに百合は別のどうでもいい話題をしだした。なんだか本題に入られるのを嫌がっているようにも思えた。多分、触れられたくないのだろう。だけど、その話をしないまま別れるわけにはいかない。俺は思い切って切り出した。 「百合」 「な、なあに?」  明らかに動揺している。俺は真っすぐ百合に向き直ると深々と頭を下げた。 「この間は本当にごめん」 「……」  顔が見えないのが唯一の救いか。とても見れたもんじゃない。 「頭を上げて」  百合の声が耳に届く。許すも許さないもなく、頭を上げろか。俺は迷ったが断れる状況じゃない。恐る恐る頭部を上げて、百合の顔を見た。怒っているわけでもなく、泣いているわけでもない。とても真面目で真剣な表情をしていた。 「なんであんなことしたの?」  言葉に詰まる。こういう時はなんて答えるのが正解なのだろうか。うまく説明できる気がしないが、覚悟を決めて言った。 「百合が好きだったから」 「えっ」 「百合が好きだから、どうしてだかあんなことしてしまった。ごめん」  俺は再び頭を下げた。最悪の告白だ。これ以上のものはないだろう。かなり長い沈黙が場を支配した。頭を下げたまま、この後の未来を想像していた。断られるか、いやそれだけならいい。もしかしたら、暴行罪で捕まって二度と百合に会えなくなるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。俺は半分泣き出しそうになりながら頭を下げ続けた。 「それ本当なの?冗談とかじゃなくて」 「嘘じゃない。本当に百合が好きだ!」  良く分からない感情が爆発し、俺は学校中に響くぐらいの大声で叫んだ。 「ちょ、ちょっと声が大きいよ!」 「ごめん。だけど、本当なんだ。信じて欲しい」  気付かない間に俺は顔を上げており、涙ぐみながら切々と訴えていた。百合はそれを見て呆気に取られていたが、やがて我慢出来ないと言わんばかりに噴き出した。 「ご、ごめん。なんか凄い顔しているから」  ツボに入ったのか、珍しく大笑いする百合と憮然とする俺。これ以上ないくらいの大笑いをされたせいか、俺もおかしくなり、やがて二人揃って笑い出した。  どのくらいそれが続いたろうか。馬鹿騒ぎを聞きつけた教員がやってくると謎に大口開けて笑っている俺達を怒鳴りつけ、早々に帰宅を命じた。俺達は憑き物が落ちたようになり、あれだけ不穏な空気を纏っていたのが嘘の様に仲良く下校した。その途中の会話も軽快なものであり、以前の様な、いや、以前よりも親密さが増したような感じになっていたのである。 「それじゃ私はこっちだから」  楽しい時間というのは直ぐに終わる。百合との別れの交差点までいつの間にか来ていた。くるりと背を向けた百合へ俺は慌てて声をかけた。まだ大切な事が聞けてない。 「ゆ、百合。あのさ、あんなことしておいてなんだけど……」 「はいストップ」  百合は笑いながら口元に指を一本伸ばしていた。 「えっ?」 「それはまた今度ね。猛君、次からはちゃんと手順踏んでくれるんでしょ?」  悪戯っぽい笑みを浮かべている。俺はぶんぶんと首を振った。 「じゃ、また明日ね!」  百合はそう言うと去っていった。それを呆然と見つめてから、小さくガッツポーズをした。こんなに明日が楽しみだと思ったのはいつ以来だろう。俺は足早に帰路を進むとこれからの事を妄想して一人にやけた。  夏はこれからだ。今年の夏は人生で一番アツい夏になりそうだ。  完
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