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01.めまいが止まらない私
「クラリス」
「なんでしょうか、イライジャ様」
王子殿下の私室で私が目を向けると、イライジャ様はその端正な顔立ちを煌めかせながら言った。
「俺は、行方不明になろうと思う!!」
ぐっと拳を握って高らかに宣言しているイライジャ様。
ああ、めまいがする。この王子はどうしてこう、突発的に行動するのか。
「よし、では行方不明になりにいこう!」
「おまちくださいませ、イライジャ王子殿下!!」
朝っぱらからなにが『よし』なのかと、私は今にも出ていこうとする王子の袖をぐっと捕まえて止めた。
本来なら王族の方にこんなことをしては不敬だけれども、そんなことを気にしていてはこのお方は止められない。
「なぜ止める、クラリス!」
「落ち着いて、そこにお座りなさいませ!!」
私は眉を吊り上げながらピシィッと奥のソファを指さす。イライジャ様の顔は少し怯み、納得いかないといった仕草ながらも、ふわりと優雅に腰を下ろしてくれる。
ひとまずはほっとしながらも、私は甘い顔をしないように口元を下げた。
「イライジャ様、まずはご説明くださいませ。どうして行方不明になろうなどと思ったのかを」
「じゃあ問うが、俺の弟のジョージのことをクラリスはどう思っている?」
質問に質問で返された私は、少し言葉を詰まらせた。
この国の王子は、イライジャ様ただ一人ということになっている。
イライジャ様に弟など、存在してはいないのだ。公式的には。
けれどイライジャ様には、双子の弟がいらっしゃることを私は知っていた。イライジャ様と共に、時間を作って年に三回ほど会いに行っているのだ。
草木もろくに育たぬ荒地に捨てられた、ジョージ様のところへ。
「ジョージ様のことは……私には……」
「かわいそうだとは思わないのか?」
私の体はびくりと動き、その言葉が心に突き刺さる。
かわいそう……そうだ、私はジョージ様に憐れみを感じている。
この国では、人の中には光と闇が存在していると言われていて、両方半分ずつ存在するのが普通の人間だ。
だけど双子は、光の存在と闇の存在を分けて生まれてくるといわれている。〝光の子〟は尊ばれる存在であるけれど、逆に〝闇の子〟は悪しき者として扱われるのだ。
古くから伝わるこの悪しき慣習は、王家に生まれたジョージ様も同じだった。
光の存在として認定された兄のイライジャ様には、なに不自由ない生活を。闇の子とされたジョージ様は、食うや食わずの生活を強いられている。
なにも答えられずにいる私に、侮蔑するような眼差しを向けられた気がした。それともこれは、落胆の瞳か。
良心にナイフを突き刺されたような気分になり、居た堪れなくなる。
「クラリスは、こんな因習になど囚われない人物だと思っていたが」
「……ジョージ様が、お優しく素晴らしいお方だというのは存じ上げております。悪しき者とは、私も思っておりません」
「そうだ。ジョージはただの人だ。そして俺も、特別な人間などではない。ただのひとりの人間なんだ」
ジョージ様は痩せこけているとはいえ、目鼻立ちはイライジャ様とそっくりだ。
自分の分身のような存在がそんな生活をしていれば、その心痛は私の比ではないだろうと思う。
「ということで行こう!」
「は!? どちらへですか?!」
「無論、我が弟のところへ!」
「今日の予定はどうなさるおつもりですかー!!」
「うまく誤魔化してくれ!!」
だからもう、この王子様はぁあああ!!?
ウキウキしながら弟に会いに行く準備を始めたイライジャ様を、私なんかが止められるわけもない。
「二時間……いえ、一時間だけお待ちくださいませ! 今日の予定のキャンセルと、ジョージ様に持っていく食料の準備をいたしますので!」
「さっすがクラリス、優秀だな」
「……っく」
イライジャ様、あなたかなり無茶をおっしゃっているのですよ!!
私の心労もお察しくださいませ!! そんな笑顔で騙されませんからね!!
……とか思いつつ、イライジャ様の望む通りにしてしまう、甘い私でなのだった──
私は馬車の手綱を握って、荒地へと進路を取る。
内密の外出なので、護衛騎士はいない。私も剣を扱えるし、なによりイライジャ様の剣の腕は、騎士団長チェスター様のお墨付きだ。
イライジャ様の体躯は細身であるのに、出鱈目に強い。
そういうところを見ると、やっぱり〝光の子〟なのかもしれないと、弊習など信じていない私もそう思ってしまうことがある。本人のたゆまぬ鍛錬の結果なのだと、わかってはいるのだけれども。
「ふう、もういいかな」
荒野に入ると、イライジャ様はかつらをずるりと外して変装を解いている。私も掛けていた伊達眼鏡をかちゃりと外した。
ここではほとんど人に会うことはなく、変装も必要ない。
「残念。クラリスの眼鏡姿、似合っているんだが」
後ろから話しかけてこられて、耳にイライジャ様の息がかかった。
「いつも見ているではありませんか」
「年に三回、変装する時だけだろう?」
「お望みとあらば、普段から掛けますが」
「んー……やっぱりいい。そんな姿を見られるのは、俺だけで」
いや、ほんと、耳元で囁くように言うのはやめてもらってよろしいでしょうか。
イライジャ様が十六歳の頃からお側に仕えてはいるけど、たまにびっくりするほどの色気を放たれる時があって、ドキドキしてしまう。私の方が四つも年上だというのに、情けない。
現在二十三歳になられたイライジャ様は、それはもう、素晴らしい青年に成長されている。
輝くような金の髪、人の心まで入り込みそうなエメラルドの瞳、端正な顔立ちに柔和な笑顔。それでいて男らしいその体……
「元気でいるといいな、ジョージとエミリィ」
「そうでございますね」
邪な考えを遮るようなイライジャ様の言葉に、ハッと我に返った。なにを考えているというのか、私は。
色気の放つイライジャ様から逃げるため、私は思考を今から会いに行く人に寄せた。
エミリィとは、ジョージ様と一緒に暮らしているたったひとりの従者だ。従者とは言いつつ、苦楽を共に過ごしてきた二人に主従関係はないのだが。
元々はもうひとりいた。エミリィの母親の、サバンナという女性が。
身分が低く貧乏だったサバンナは、わずかなお金で買い叩かれてこの荒野へと来させられたのだ。
そのお金は、彼女の夫のところへと渡って彼女には一銭も手元に残らなかったらしいけれど。
サバンナは、小さなエミリィと小さなジョージを二人抱えて、二人に乳を飲ませながら必死に荒地に畑を耕して生きてきた女傑……だった。そう、彼女はもう二年ほど前に亡くなっている。
医者がいないから死因は断定できないけれど、おそらくは栄養失調だったのだろう。
イライジャ様の『元気でいるといい』というのは、『生きていてくれたらいい』と言い換えて相違ない。
「見えてきました」
ジョージ様とエミリィの住む、小さな小屋が目に入る。けれども近づくにつれて、私もイライジャ様も青ざめていった。
小屋の前には小さな畑があるのだけど、いつもは少しながらも緑色したものが揺れているというのに、茶色く枯れてしまっている。
「ジョージ!!」
イライジャ様は、私が馬車を止めるのが早いか飛び降りて、小屋の中に駆け込んでいった。
私も急いで馬を繋ぎ止めると、あとを追いかける。
「イライジャ様、クラリス様……!」
中に入ると、二十三歳とは思えないくらいに痩せ細って小さなエミリィが、涙を流していた。そのそばには、イライジャ様の双子の弟であるジョージ様が、顔色悪くベッドの上に横たわっている。
もしやと私はひゅっと息を飲んだ。
「ジョージ! ジョージ!!」
真っ青な顔でイライジャ様がその名を叫ぶ。
「あ、兄さん……来て、くれたのか……」
「ジョージ!!」
うっすらと目を開けたジョージ様を見て一瞬はホッとするも、どう見てもその顔に死相が出ている。
私はぞくっと背筋を凍らせた。
「大丈夫か、どうしたんだ!!」
「はは、畑が虫にやられたんだ……今年は大量発生していて……」
「そうか……とりあえず、なにか食べるんだ。色々持ってきたからな。クラリス!」
「はい!」
私は急いで馬車に戻ると、必要なものを用意してエミリィに手渡した。
エミリィやジョージ様に水や簡単なものを食べさせている間、私は馬車に積んである野菜の苗や食料品を小屋に運び込む。
しかし、ジョージ様のあの状態……おそらく、長くは……
「クラリス」
ジョージ様のお顔を見ていられず、小屋の外で待っていると、イライジャ様が出てこられた。
「もうよいのですか?」
「俺がここにいても、ジョージはよくならないだろう」
「それはそうですが……」
怖い顔をしたイライジャ様が馬車に乗り込み、私も馬車の手綱を取る。
そして進路を王都にとろうとした時。
「クラリス」
「はい」
「崖に行ってくれ」
「……崖?」
私が振り返りながら首を捻ってそういうと、イライジャ様はニヤリと笑って口を開いた。
「俺は今から、崖から落ちて行方不明となる」
「…………はいぃ!!????」
この方の考えることはもう……!!
めまいが止まらないのですけれども??!
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