配達は日没後に

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 芹沢はこの洋館にまつわる奇怪な噂話を思い出していた。年に1~2回、必ず日没後の時間帯の配達指定で荷物が送られてくる。その荷物は他の荷物としがって包装に加工が施してあり、箱の口をガムテープで止めるような簡易的なものではなく、厳重に口がふさがれていて密封状態になっている。  必ず天地無用、われもの注意となっていて、大きさはその時々によって違う。確かに芹沢の腕に抱えられた荷物は噂通りの様相である。送り主は送り先と同名、住所には字という文字が使われている地方の山奥であるのか、少なくとも聞き覚えのある町名などではなかった。  品物には「保存食」と書いてある。その手の荷物の場合、よっぽど厳重に隙間を新聞紙や緩衝材で埋めなければ箱をゆすったときに箱や袋の音がかすかに聞こえるのだが、この荷物にはそれがない。  荷物の重さは秤が示す数値よりもなぜか少し重く感じるという話や、ときどきおかしな音がする、うめき声がする、見ていないときに動くなどといった怪談話に出てくるような話もあるが芹沢はそうしたことをまるで信じないし、実際に観たとしても論理的な理由があるものだと考えるタイプである。  洋館の不気味さや荷物の受け取りをするメイドと思しき人物の顔色や表情は取るに足りない尾ヒレはヒレの話だと高をくくっていたし、仮にそうだとしてなんらこちらに危害が加わるのでもなければ恐れる必要はないと思っていた。  芹沢は混乱していた。最初に感じた重みよりも錯覚として重たく感じていると思ったのだが、どうやらそれが洋館の方向に引っ張られるような重力のベクトルに何か異常が起きているような感覚ではないかと疑いだしたからだ。  早く届けたい。  余計なことを考える時間を疎ましく思いながらようやく門の扉が開いたときの安ど感は芹沢の心を軽くした。 「こちらが荷物です。サインかハンコをお願いします」  今日最後の荷物である。いつもよりも丁寧に荷物を渡そうとしたのは、相手がどうやら噂に聞く不気味なメイドではなく、家主とおぼしき90歳くらいの老婆であったからである。  老婆はまず荷物を目で確認し、つぎに芹沢を凝視した。それはこうしたやり取りには不必要な警戒心を含んでおり、昨今の詐欺事件のニュースを疎ましく思い浮かべながらも、過剰にならない笑顔を繕いながらゆっくりと荷物を老婆の前に差し出した。 「ご苦労様です。いつもはメイドに任せているのですが、あいにく所用で出払っておりまして、お手数ですが玄関まで運んではくれませんか。どうも私には荷が重い」 「ええ、結構ですよ」  なるほどそういうことかという状況への理解と、まだこの荷物を抱えていなければならないとい小さな失望感を抱えながら芹沢は老婆の案内で門をくぐった。 「敷地内ではお静かに願います」  できれば世間話でもしながら気を紛らわせたいと思っていた芹沢は小さく「はい」とだけ返事をして、老婆の後ろ姿を闇に追いかけることにした。そこは静寂と闇が支配する空間、不気味という言葉こそふさわしく、視界の届く範囲はごく限られていた。玄関があると思しき洋館の正面にはうっすらとしたあかりしかなく、芹沢は何かに躓いてしまわないかと不安になったが足元はきれいな石畳になっており、車一台が優に通れる広さがあった。そのまわりには白い花がぽつぽつとこちらをのぞくように咲いている。  そこにはヒョウタンのような大きな実がぶらさがっている。どうやらユウガオである。奇妙ではあるが風もないのにそれが揺れて見えるのは暗闇の仕業であろうと見ることをやめた。  暑さのせいなのか、緊張のせいなのか、芹沢は額から流れる汗がうっかり荷物に落ちやしないかと無駄だとは思いながらも汗よ、止まれと心に念じ始めたとき、ふいに老婆が足を止め、振り返った。 「どうぞ汗をお拭きなさいな」 「はい、失礼します」  芹沢は首にかけていたタオルで汗をぬぐい、事なきをえたことに安堵しながらも、老婆の洞察力に何とも言い難い不快感を覚えた。老婆は足取りもしっかりしているしメガネをかけてはいない。こんな場所でなければ品の良いお年寄りに見えるのだろうが、何も崩れていない、それを許さないような厳しさと冷徹さが際立って見えてしまう。どうにもやりにくいと思わざるを得なかった。  この広い屋敷に老婆一人で住んでいるのだろうか。或いは今は留守ということもあるが、どうにもこの屋敷には生活感というものが感じられない。暗くてよくは見えないが、ヒルガオを含め庭園の手入れは行き届いているように見える。石畳には木の葉一枚落ちていないし、番犬や猫の気配どころか虫の気配もしない。  ひどく長い距離を歩いたような気がするが、実際には15メートルくらいであろうか。ようやく玄関に通じる階段までたどり着いた。不気味さを超える厳粛さはまさしく目の前の老婆にふさわしいものだった。 「どうぞ」  自分の肩までの高さもない老婆は、力を入れることなく静かに玄関の扉をあけるのは、まるで魔法の世界に紛れ込んだような錯覚に陥ったが、これだけの重厚な扉が音もなくすっと開くのだから、よほどの手入れがしてあるのだと関心をした。  そとの暗さに反して、洋館の中は温かい光に満ちていた。安堵すら感じる。思わず世辞のひとつやふたつ言ってみようかと思ったが、芹沢には適当な言葉が見当たらなかった。今まで映画やドラマでしかみたことのないような広い玄関は、不気味なほどに清潔感が保たれている。 「ご苦労様でした。荷物をここに」  芹沢は言われるままに厄介な荷物を床の上に置き、伝票を差し出した。達筆な字でサインをすると老婆は無駄のない動きで芹沢を玄関口まで送り出した。 「わたくしはこれで、門は自動で閉まりますのでそのまま通りくださいまし」  芹沢は会釈をして門に向かって歩き出そうとした。老婆は扉の前で見送りながら芹沢の背に向かって語り掛けた。 「お気をつけて。くれぐれも振り返ったりせずに、まっすぐ門まで向かってくださいまし」  なんでそんなことを言うのかと疑問に思いながらも肩越しにもう一度挨拶をして芹沢は大股で歩き出した。言われなくともこんな場違いなところに興味はない。すぐに帰ろう。後ろで玄関のドアが閉まる気配がした。老婆の姿はもうないのだろう。言われた通り振り返らずに門に向かって歩みを速めた。できるだけ静かに。そう思った瞬間、背後から人の声が聞こえた。老婆のものではない。「届いたか」「届いたようね」「これで全部だな」「ああ、全部だとも」男の声、女の声が入り混じっている。おかしな話だ。まるで他の人間の気配などなかったのに。それに全部とはどういうことなのだろか。  気になって仕方がなかったが、言いつけの通り、振り向かずに歩くことにした。 「よきものだ」「お供えしましょう」「あたま……」  距離が離れれば聞こえる声も小さくなる。でもなんだ。「あたま」と聞こえたような気がする。いや、あたま、よきもの、全部そろった。  嫌な想像が芹沢のあたまをよぎる。だめだ。振り向くな。振り向いたらいけない。立ち止まるな。このまま門を抜けるんだ。  そこかの窓が開いていて、そこから声が漏れているのだろうか。わからない。気になって仕方がない。ヒルガオが咲いている。きれいに咲いている。白い花だ。もう少し近くで見てみようか。振り返らないように。  ふと背後に何者かの気配を感じた。いやな気配だった。芹沢はよこしまな考えを捨ててまっすぐ門に向かう。気配はまだある。急ごう。自分の鼓動がけたたましく鳴り響く。心臓を持て余し、吐き出しそうになるのを必死でこらえたところに目の前に不意に人影が現れる。女だ。ひどく細身の女が門の前に立っている。芹沢の精神はある線を越え、限界に達しようとしていた。 「配達の方でいらっしゃいますね」  ワゴン車は門のすぐ近くに止めてある。そこまでたどり着くにはこの門を超えていかなければならない。そしてこの質問にも答えなければならない。芹沢は上ずった声で必死に答えた。 「そうでございます」  普段は使わないような物言いを自分はした。その自覚はあるが、今はどうでもよかった。ただ答えなければならなかった。 「それはお手数をおかけいたしました。どうぞ振り返らずに、そのままこちらの門からおかえりくださいませ」  メイドなのだと理解した。理解し、そしてぞっとした。なぜ振り返ってはいけないのか。なぜ荷物を届けに来ただけでこんな恐ろしい思いをしなければならないのか。怒気の混じった声をあげてしまわないように必死でこらえる。それにメイドは何を見ている。俺の背後に、玄関と自分の背中の間にいった何を見ている。メイドであるといういで立ちをした女は冷たい視線を芹沢の背後を見ながら「振り返らずに」といっている。振り返るものか。すぐにここを出てやる。 「そうさせていただきます」  芹沢はメイドの横を通り過ぎ、門を潜った。そしてその門が閉まるのを確認することもなくワゴン車に乗り込み、アクセルを踏んだ。芹沢の腕にはまだあの荷物の感触が残っている、あの重み、あの大きさ、あの厳重な包装。あれにはいったい、何が入っていたのだろうか。
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