配達は日没後に

1/3
前へ
/3ページ
次へ
 その屋敷には昔から妙な噂が流れていた。閑静な住宅街、西と東に駅があるが、そのちょうど中間にから北にずれた場所にその洋館は立っていた。空き家というわけではないようだが、人の気配が希薄であり、その門が開かれ自動車が入るところを見ることはない。  夜になれば厚いカーテンの隙間からほんのりと灯りが漏れているが、塀と垣根に覆われた広い敷地の中を覗き見ることは困難で、洗濯物が干してあるようなことを聞いたことがない。  年に何度か、その洋館には荷物が届けられる。荷物は門の前で受け渡され誰もその中を見たことがないのだという。いささか怪談じみたその話は、芹沢がそのエリアの宅配業者の営業所に配属されてから古参の従業員や事務員から噂話程度に聴いていた。  他の荷物を配達するのにその洋館は一つの目印にもなっていたこともあり、誰かが面白おかしくでっち上げた話だと芹沢は思っていたが、いざ自分がそこに荷物を配達するということになったとき、いやおうなしに不気味な噂話を思い出してしまう。  そして何より芹沢が不気味に思ったのが誰もそのことをいじってこないことだった。もちろん荷物をどこに配達するかということで、いちいち今日は何丁目の何某さんだから、おばあちゃんが出ると時間が取られるとか、そういう話をする無駄口をたたく余裕があるときはいいのだが、今日のように蒸し暑く、荷物の多い日には誰も口を開こうとはしない。  時間指定のあるもの、ないもの、大きい物、小さい物、重い物、軽い物。荷物というのはよほど個性的なものでない限り、どこにどんな荷物を届けたかなど記憶に残らないものだが、芹沢にとって今回その洋館に届ける荷物は特別に印象に残るような代物であった。  数ある段ボールの山の中でそれは目に見えて目立っていた。段ボールは通常のクラフト色に比べると赤黒くは防水加工が施してあるような若干の光沢がある。また形はほぼ完全な立方体をしている。その大きさは一辺が30センチから35センチくらいある。芹沢はうっかり丁度人の頭が入るくらいの大きさだと想像してしまい、不気味さが増してしまった。  指定時間は19時から20時となっていたので最後に配達することになる。芹沢はその荷物を午後の最終便のワゴンの荷台に最初に乗せようと立方体の荷物を手に取る。実際荷物は手に持つまでその重さはわからない。わからないが芹沢にはすでに人間の頭が入っているイメージをしていたためその心づもり……といっても、もちろん人の頭など運んだことはないが、想像しえる人の頭を持つ感覚でその荷物を持ち上げ、思わず声を上げてしまう。 「うわぁ、想像通りかよ」  天地無用、われもの注意のステッカーが心をざわつかせる。芹沢はいつもよりも慎重にその荷物を荷台の最奥、運転席の真裏に慎重に置いて他の荷物をいつもの調整で荷台に積んでいった。  まだ日は高い。気温も下がらず、体中から汗が噴き出す。いつもよりも汗が多いのはあの荷物のせいかもしれないと自分を笑いながら芹沢は仕事をこなしていった。途中、信号のない交差点で不意に自転車が横から飛び出してきた。芹沢は危なげなくブレーキを踏み事なきを得たがその時背後からうめき声のような異音を聴きぞっとした。 「そんなわけないだろう。生ものは積んでないんだぜ」  嫌な想像をぎりぎりのユーモアで必死に抑えようとしたが、次の配達先のあと、念のため荷台を確認した。特に異変は見つからないものの、先ほどのブレーキの影響で荷物の位置が若干動いているのは確認できた。それはそうである。急ブレーキを踏めば荷物は動く。転がったわけじゃないのだから問題ない。しゃくぜんとしない何かを喉の奥に押し込めて、湧き上がる嫌な想像を抑えつけた。 「これだから夏は嫌なんだ」  夏に怪談はつきもの。つい数日前、芹沢は飲み仲間と怖い話で盛り上がったばかりだった。すべては偶然がなせる業。時間の経過とともに荷物は減り、日は陰り、やがて日が暮れていき、19時前に日没を迎えた。例の洋館への配達は丁度19になる。こんな厄介な荷物はなるべく早く届けてしまいたかった。 「とっとと済ましてしまおう」  残りの荷物は二つ。例の荷物の手前の家電製品を持ち上げたとき、芹沢はある異変に気が付いた。おかしなことに、例の荷物が次の荷物よりも手前ある。そんなはずはないと思いながらもできるだけその荷物に触れたくなかった芹沢はすべて気のせいにすることに決めた。  いよいよ洋館の前に車を止めた芹沢は立方体の赤黒く光沢のある荷物を手に取った。生暖かい。エアコンは最大聞かせていても荷台までは冷えないことはわかっていても、その生暖かあに嫌悪感を抱かずにはいられなかった。チャイムを鳴らす。  インターフォンから老女と思しき声が聞こえる。 「荷物をお届けに参りました」 「お待ちしておりました。今、伺いますので荷物を持ったまま、しばらくお待ちくださいませ」  何気ないインターフォン越しのやり取りに違和感を覚えた。まったくないことではないのだが、「お待ちしておりました」といわれることは稀である。またわざわざ「荷物を持ったまま」と念押しをするのも妙である。  家のどこでインターフォンを取ったのか、門と玄関の距離がどのくらいなのかもわからず、芹沢は想定していたよりも長い時間、荷物を抱えることとなった。いったいこの箱には何が入っているのだろうか。われもの注意といっても多少揺らすくらいは問題ない。  荷物を持ち直そうと気持ち強めに荷物を抱えなおしたとのとき、芹沢は荷物が一回り大きく、いや、重くなったような気がして胸に抱えた荷物を凝視した。そんなはずはないという思いと腕が感じる重さの感覚の差異を埋めるものは不気味な考えしか浮かばない。  芹沢は嫌な汗をかきながら、インターフォン越しに聴いた老女が来るのを待ち続けた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加