掴めない手

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「え?」  俺は家にいた。 「行ってきます」  玄関に立っている「俺」がいた。俺はその「俺」を天井から見下ろしていた。 「行ってらっしゃい。プレゼン頑張ってね」  大きなお腹を押さえながら妻が玄関で見送りしてくれていた。 「うん。この子のためにも絶対成功させてみせる」  「俺」は妻のお腹に手を当てた。まだ見ぬ子供、もうすぐ生まれてくる子供にも「行ってきます」といい家を出た。 「おい、資料忘れてるぞ!」  俺は大声で叫んだが、「俺」は玄関を出て車に乗り込んでしまった。俺はフロントガラスに張り付きガラスを叩いた。 「資料忘れてるぞ! 今気付かないと大変な事になるぞ!」  「俺」に俺の声は届かず、車を発進させてしまった。まずい。このままじゃ途中で資料を忘れた事に気付いて事故に遭ってしまう。何とかしなければ。  資料は枕元に置いてある。夜中まで何度も読み返したのだ。それで朝寝坊して慌てて起きて支度して。それで忘れてしまったんだ。  俺は寝室に向かった。ドアを開けようとドアノブを掴んだがすり抜けてしまって掴めない。しばらく格闘し、ドアノブがすり抜けるならとドアに体当たりすると難なくすり抜けられた。  資料はそのまま枕元にあった。これを「俺」に届けなければ。「俺」に俺の姿は見えなくても資料は見えるはずだ。俺は資料を掴もうとした。が、ドアノブ同様、すり抜けてしまって掴めない。何度も何度も掴もうとするが掴めない。こんな事をしている暇はない。早くしないと「俺」は死んでしまう。どうしたらいいんだ。
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