掴めない手

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掴めない手

 あと5分!  腕時計をちらりと見て舌打ちをする。早く届けなければ。俺は最期の力を振り絞って加速した。  いた。真っ青な顔をして運転しているのは「俺」だ。周りなんて見る余裕もない。信号は赤だ。ちょっと待て、落ち着け。資料はここにある。止まれ、すぐに届けるからーー。  ガシャーン!!  ああ、間に合わなかった……。  え、俺はどうなっちまったんだ? 確か運転していたはず……そうだ、今日は大事なプレゼンがあったんだ。それなのに資料を家に忘れちまって。急いでUターンして家に向かっている途中だった。  このプレゼンが成功したら昇進は確実だった。もうすぐ子供が生まれる。子供のためにも、妻のためにも絶対に成功させたかったんだ。  痛い……そうだ、俺は横から来たトラックに追突されたんだ。ちょうど運転席、俺のいる所へトラックが突っ込んで来た。物凄い衝撃だった。俺はどうなったんだろう。  え、事故現場が見える。信号機が目の前にある。どうやら俺は交差点の上にいるらしい。魂が肉体から飛び出してしまったのだ。だとすると俺はもう死んでしまったのだろうか。  潰されてしまった俺の車。周囲の車はみんな停まっている。トラックから運転手が出てきた。俺の様子を見ると地面に座り込んだ。どこからか野次馬が集まり遠巻きに俺の車を見ている。誰もドアを開けようとしない。助けようともしない。何故だ。冷たい奴らだ。  俺は自分の所へ降りて行った。 「う……」  誰が見ても一目瞭然だった。俺はペシャンコに潰れていた。なんてこった。あの時ちゃんと信号を見ていたら、資料を忘れなければこんな事にならなかったのに。  戻りたい。家を出る前の時間に戻りたいーー。
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