「届けたいのです。」

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「届けたいのです。」

 窓の外は晴れ渡っていた。先輩は出張先での仕事を終えたかな。今日の夜には帰って来ると言っていた。ただ、面会時間は十九時までだから流石に間に合わないと思われる。ちなみに、お仕事頑張って、と寝る直前にメッセージを送ったら昼寝の間に返事が来ていた。仕事中も君の身を案じていると書かれており、こっちは呑気に爆睡していたぜ、と申し訳なくなった。伸びをする。同室の三人は、皆ベッドの周りのカーテンを閉めており姿は見えなかった。  その時、病室の扉がゆっくり開いた。サツマイモの皮みたいな色の着物を身に着け、髪の毛を綺麗に結わえた老婆が入って来た。大きな風呂敷包みを持っている。ボウリングの球でも入っていそうなサイズだ。お見舞いだろうか。見たところかなりの高齢のようだが、誰かのおばあさんかね。  老婆は丁寧に扉を閉めた。振り返った彼女は真っ直ぐ俺の元へ来た。え、と声が漏れる。 「届けに来ました」  俯いていたが、はっきりとそう口にした。はい? と聞き返すと、届けに来ました、と繰り返した。 「あの、失礼ですけど人違いですよ」  俺の言葉にも顔を上げず手元の風呂敷包みを見詰めている。もしもし、と強めに問い掛けると、受け取って下さいと変わらない調子で応じた。 「嫌です」 「でも、届けたいのです。これを、貴方に」 「いりません」 「届けたいのです。届けたいのです。どうか受け取って下さい」 「受け取りません」 「こんなにも届けたいのに? これを、貴方に、渡したいのに?」  わけがわからない。ボケ老人だろうか。 「だから人違いですって」 「届けさせて下さい。これを、貴方に、届けたいのです」 「意味が分からない。大体貴女、誰ですか」 「届けたいのです」  全く噛み合わない。普段なら逃げ出すところだ。だけど今、俺は足を骨折している。下手に逃走をはかるのは危険だ。いざとなれば松葉杖でぶん殴るしかない。いや、その前に。 「ナースコールを押しますよ。同室の方と間違えているのではないですか。そちらに三人、入院しておりますから」  それぞれのベッドを指す。しかし老婆は目もくれない。 「私は、これを、貴方に届けたいのです」 「何で俺? 大体、俺が誰なのかも知らないでしょう」 「でも私は、これを、ここにいる貴方に届けたいのです。受け取って下さい」 「嫌ですって。知らない相手からわけのわからない物を押し付けられて受け取るわけがないですよ」 「いいえ。私は、これを、ここにいる貴方に届けたいのです」  やり取りの傍らで、枕をさり気なくどかしベッドのネームプレートを隠す。 「俺の名前も呼ばないってことは俺が誰なのかも知らないのですよね」 「ですが私は届けたいのです。貴方に、これを」  そうして突如、風呂敷包みを俺の膝に置こうとした。やめろ、と咄嗟に腕を掴む。何故か、風呂敷包みに触れてはいけない、と本能的に察した。必死で揉み合い食い止める。 「いらないって言っているだろ。絶対に受け取らないぞ」 「でも、届けたいのです。ここにいる貴方にこれを、届けたいのです」 「俺はいらないっ」 「私は届けたいのです。これを、貴方に」 「うるさいっ」  左手で防御をしつつ、右手でナースコールのボタンを迷わず押した。どうしました、とすぐにナースステーションと通信が繋がる。 「不審者です! 知らない老人が荷物を押し付けようとしてきます!」  通話器に向かって叫ぶと、伺います、このまま繋いでいて下さい、と看護師さんが応じてくれた。よし、あとはむしろこいつを捕まえておくだけだ。それにしても同室の三人はわざと聞こえないふりをしているに違いない。薄情な奴らだ、こんな騒ぎが起きているのに寝たふりを貫くなんて。  とにかくこいつを逃がさないぞ。いや、むこうは何としてでも風呂敷包みを渡そうとしているのだから逃げたりはしないか。そう、若干ではあるが余裕が生まれた、次の瞬間。  老婆は俺の手を振り払った。驚いたことにベッドを飛び越して窓際に着地をする。振り向いた老婆は丁寧な身なりに似合わぬ憤怒の形相を浮かべて俺を睨み付けた。 「届けたかったのに。お前へ、これを、届けたかったのに」  目を見開き歯ぎしりをしながら、はっきりと老婆はそう言った。迫力に一瞬気後れする。老婆は右手に風呂敷包みをぶら下げたまま、左手で窓を開けた。そうして外へ飛び降りる。此処、三階だぞ。骨折どころか死にかねない。心配ではないが気まずさを覚えるのは嫌だ。そう思い慌てて下を覗き込む寸前、落下音が届いた。本当に落ちたのだ。しかし外を見渡してみたものの、老婆は見付けられなかった。あいつは既に走り去ってしまったのか。いや、あまりにも早すぎる。第一、三階から飛び降りた直後に動けるわけがない。では、お化けか。だけどそれなら窓を開ける必要も無い。一体、何だったんだ。呆然と窓辺に立ち尽くしていると、田中さん、と後ろから声を掛けられた。反射的に身を竦ませ振り返る。看護師さんが立っていた。傍らには警備員さんも控えている。 「不審者とのことですが」  はい、と片足で近付こうとする。安静に、と看護師さんは駆け寄り俺をベッドに座らせた。 「変な婆が病室へ入って来て、俺に風呂敷包みを渡そうとしたのです。貴方にこれを届けたい、の一点張りで話が噛み合わなくて」  看護師さんは屈強な警備員さんに隊長を呼ぶよう伝えた。そして自分もナースコールでステーションへ説明をし、師長さんを呼んだ。そりゃあ不審者が病室へ侵入したのだ、大ごとにもなろう。  それから三十分ほど聞き取りを行われた。時間、場所、何が起きたか、何をされたか。訊かれたことに詳しく答えた。恐怖よりも怒りの方が勝っていた。何故、俺がこんな目に遭わなければならないのか、と。師長さんと隊長さんからは頭を下げられた。俺は、お見舞い客も多いから仕方ないとは思うと前置きした上で、安全面は見直した方がいいとはっきり伝えた。また同じ目に遭ってはたまらないし、他の人にも危害が及ぶ可能性がある。巡回を強化する、防犯カメラを確認する、などを約束をした上で解散となった。その間、同室の三人は一度もカーテンを開けず、師長さんも隊長さんも聞き取りを行わなかった。不自然な程、静まり返っていた。
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