「写っておりませんでした。」

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「写っておりませんでした。」

 十六時過ぎ、今度は病室の扉がノックされた。その頃には三人ともカーテンを開けていたが、アメフトさんは入浴、草野球さんはお見舞いに来た奥さんと談話スペースへ、高校生君はカフェに行っていた。一人きりの時に来室されてひどく緊張したけど、老婆の時とは違いノックをされた。だから、どうぞ、と固い声で応じた。途端に開いた扉の向こうにはリュックを背負った先輩が立っていた。 「出張先から飛んで来たぞ!」  叫んだ先輩は駆け寄って来た。お帰りなさいと両手を広げたところ、先輩は部屋に人がいないのを確認してから思い切り抱き着いて来た。そっと唇を重ねる。ただいま、と甘い声で応じてくれた。しかしすぐに離れ、ベッドの傍らにパイプ椅子を広げた。腰を下ろしリュックを荷物棚の上に置く。 「いやぁ頑張ったぞ。営業所の打合せと現場監査を爆速で終えて、昼飯も断り新幹線に飛び乗ったんだ。先方に、旦那が骨折して入院したって説明したら快く送り出してくれた。おかげで面会時間内に来られたわけだ」  首元に汗が滲んでいる。先輩にしては珍しい。相当急いで来てくれたのだと伝わった。ありがとうございますと丁寧に頭を下げる。 「具合はどう?」 「体調は問題無いのですが」  その時、失礼します、と扉が開かれた。背筋を伸ばした看護師長さんと警備隊長さんが立っていた。先程の件ですが、と此方へ歩み寄って来る。先輩に目を留め、奥様ですかと静かに声を掛けた。 「はい。何かあったのでしたら一緒に聞きますよ」  わかりました、と師長さんは頷いた。そして隊長さんを促す。 「防犯カメラを確認しましたが、田中様の仰った特徴に該当する人物は写っておりませんでした」  は、と間抜けな声が漏れる。 「そんな、嘘だ。絶対に着物姿の風呂敷包みを持った老婆が此処へ……」 「念の為、一時間前から映像を確認しました。しかし、写っておりませんでした」  隊長さんは取り付く島もない。だけどこっちも食い下がる。 「そんなわけない。映像、俺にも見せて下さい」 「防犯上の理由から対応致しかねます」 「おかしいでしょ。確かに俺は襲われた。それなのに映像には写っていない、それを見せるわけにもいかない、って納得出来ると思いますか?」  身を乗り出す俺を先輩が手で制す。そして今度は師長さんが口を開いた。 「麻酔の後遺症かも知れません。人によって様々な症状が出ますから、もしかすると認識機能に影響が及んだ可能性もございます」 「幻覚を見たって? 冗談じゃない。絶対、迫られたんだ」  興奮する俺を、落ち着け、と先輩が諭す。 「巡回は強化します。ですが不審人物の出入りがあったとは言えません」  その言葉に噛み付こうとしたが、ご提案です、と師長さんは囁いた。 「田中さん、こう扱われていい気分ではないでしょう。そこで、本日は緊急帰宅扱いとするのでお帰りになられてはいかがですか。明日、明後日の土日は病院事務の取り扱いも無いため月曜日に病院へ戻っていただく。それまでに先生から、正式な退院許可は下りるようこちらで手配致します」  つまり、と首を捻る。 「事実上の入院終了か。やったな田中君、とっとと帰ろう」  事情を知らない先輩がもろ手を挙げて喜んだ。ちょっと、と遮る。 「呑気にはしゃがないで下さい」 「別にいいじゃん。支度が出来たら帰っていいですか」  先輩の質問に、ステーションでのお手続きが必要になります、と師長さんは苦笑いを浮かべた。 「じゃあとっとと済ませてこい。私は荷物を整理しといちゃる」  先輩に松葉杖を押し付けられた。まあこの病院にいるより家の方がよっぽどいい。わかりましたと立ち上がり、師長さんと隊長さんに挟まれてステーションへ向かった。
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