二杯目

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「家を出ていけ。車も、運転手の小林も使うな。何もかも置いて去れ。一人で生きろ」  それだけ言うと父はゆっくりと立ち上がり、息子にも妻にも目もくれずにダイニングを出ていった。 「……透、お父様の言うことを聞いて。たかが結婚じゃない」  母が力ない目で久世に訴えた。 「お母さん、その結果がお母さんのその不幸ではありませんか」 「……私は幸福よ。あなたを産めたのだから」  母は微笑した。その目には心からの息子に対する愛が読み取れた。  久世は母が好きだった。母から愛されていて嬉しかった。父から愛されずとも、妹に無視されていようとも、母さえ笑っていてくれればよかった。しかしこの力のない笑みをもたらせた父と、政略結婚という仕組み自体は許せなかった。父の思い通りにはなりたくない、それに加えてあの瑞希との結婚なんて絶対にしたくない、そう思った。  久世は立ち上がって母のもとへ行った。母の手を握りその手に口をつけた。そして母に微笑を返すだけで久世は何も言わず、そこから立ち去った。  母屋を出た久世は離れには戻らず、そのまま財布とスマホだけを持って自邸を後にした。
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