地獄が

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 一目見ることはできた。  それで満足だと自分で言っていたではないか。  会えば苦しむだけだ。  一目見れたのだから、これでもう思い残すことはない。  そう考ようとした。  何度も何度も心の中で繰り返しそう考えた。  雅紀と出会った頃から、俺は何も成長していない。いつも思いついたまま飛んできて、来てから遅れて怖気づく。どうしようかと戸惑っているだけで、雅紀が気づいて声をかけてくれるのをただ待っているだけだ。 「透?」  こんな風に……  久世はハッとして、その声の方へ顔を向けた。  生田と目が合った。  生田は近づいてくる。  久世は泣きそうになった。それを懸命にこらえた。 「雅紀……」  生田は目の前で歩みを止めた。久世の大好きな笑顔を向けている。 「どうした? いつも突然だね」  生田は驚いた目をしたあと、笑みを大きくした。  ああ、もうだめだ。泣いてしまう。  久世は涙を隠そうとしてうつむいた。  生田が久世の腕に優しく触れた。 「透、おいで」  そう言って、久世の手を取った。  そしてその手を握ったまま、マンションの方へ歩き出した。  久世はそのままついていく。  マンションのオートロックを開けて、自動ドアをくぐる。  久世はそこで躊躇(ためら)った。生田の顔を見る。生田は穏やかな笑みを浮かべている。 「大丈夫。みどりはいないから」  久世は身勝手にもその言葉でホッとした。なぜみどりがいないのかも聞かず、頷いただけだ。  生田は笑顔のまま、再び久世の手を引いてエレベーターに乗る。  部屋に入った途端に、生田は久世を抱きしめた。  そのまま何も言わずにキスをして、また抱きしめる。これ以上近づけないというほどに身体を寄せ合い、互いの体温を混ぜようとでもするかのように深く、きつく抱き合った。  互いに何も言わないが、相手が何を求めているのかはわかった。
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