4章 1話『そして、教祖は誰も救わなかった』

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4章 1話『そして、教祖は誰も救わなかった』

 『剛鬼(タイラント)』の死から10年後。    ――2034年5月4日。  都心部にそびえ立つ101階建て、高さ508メートルにも及ぶ巨大タワーの最上階。  窓からは夜景が一望でき、煌めく街の灯りがまるで星空のように広がっている。  室内には豪華なシャンデリアが輝き、数多の光が人々の顔を照らしていた。  人々の眼差しは、壇上に立つ一人の少女に向けられている。  日本有数の新興宗教団体『竜宮ノ会』――教祖、神薙(かんなぎ)は会場の信者たちに微笑み、そして語り掛ける。  「皆の衆、今日はよく来てくれた。日々の忠勤、深く感謝する」  この言葉で定例会は始まりを告げる。  信者は皆一様に目を閉じ、祈るように手を合わせた。  参列者の中には、官僚や政治家といった国家に名を連ねる人物も多くいる。  この国の、影の指導者達。  そんな彼らでさえも、教祖の前では等しく信者に過ぎない。  「神の名の下に、今ある秩序は崩れ去り……必ずや……新たなる世界が構築されるであろう。正義は我らと共にあり!」  『正義は我らと共にあり!』  信者達が一斉に、そう唱える。  いつの時代も宗教というものは人の心を支え、救いとなるのだろう。  たとえそれがまやかしであったとしても、彼らは迷うことなく自らの意思で命を捧げていく。  人の数だけ正義があり、そしてその正義に善悪は存在しない。  ――約4万人。  都心に点在する拠点と本部を合わせた信者の総数である。  また、各地の企業や反社会組織とも密なパイプを持ち、資金面・情報力共に他の追随を許さない。  その頂点に立つ神薙は、まさにカリスマと呼ぶに相応しい人物であった。  「さぁ、この集いが良きものとなるよう、本日も神への供物を捧げようぞ」  モニターの映像が切り替わると、そこには裸の男女が映し出される。  猿ぐつわと足枷を嵌められ、首は鎖で括られていた。  両者は向かい合い、震える手には……鉈が握られている。  画面越しでも伝わる命の輝き、それはまさに宗教画のような神秘的な光景であった。 『おぉ……』『なんと神々しい』『素晴らしい』  信者達の感嘆の声が響き渡る。  「この男は子を宿した妻に暴行を加えた上、肉欲の捌け口として妻の妹とも関係をもった。そして、その妹は男を愛し、嫉妬のあまりに……腹にいる子どもごと、実の姉を刺殺した。……もはや、救いようがない」  『……』『なんと哀れな』『悪魔め!』  「これは(ほどこ)しである。神の御前にて禊を済まし、その身が清まるまで……この者共に断罪を!」  『断罪!』『断罪!』『断罪!』  神薙の演説が熱を帯びるにつれ、信者たちのボルテージも上がっていく。  そして、画面の中の男女に視線が集まった。  「さぁ、始めよ」  神薙は冷たく言い放つ。  ――教祖の声に呼応するかのように殺し合いが始まる。    男の鉈が女の胸部を捉えると、そのまま横一線に薙ぎ払う。  刃先が女の乳房を掠めた途端、血飛沫が飛び散る。  女の口から悲鳴が漏れる。  しかし男は手を止めず、頭に向けて一心不乱に得物を振り下ろす。  鮮血が床一面を赤黒く染め上げていく。  男の荒い息遣いと女の断末魔だけがモニターから響き渡っていた。 『神に栄光あれ』『竜宮ノ会に繁栄あれ』  信者達は祈りを捧げる。    命の輝きを、それが尽きる様を目の当たりにして彼らは何を思うのか。  それは彼らのみぞ知るところであった。    「……どうだ、上手く撮れたか?」  神薙は信者の一人に声を掛ける。  「えぇ、教祖様の仰る通り……この上なく素晴らしい映像が撮れましたよ。視聴者も大いに喜ぶことでしょう」  「よろしい、配信はこのまま続ける」  「仰せのままに……」  モニターに再び目を移すと、鉈を幾度も叩き込まれ、無惨な肉塊と化した女が映し出されている。  ――全て、でっち上げである。  信者たちに説明したのは事実とかけ離れた、誰もが『死んで当然』と錯覚させるような陳腐な作り話。  見ず知らずの男女を拉致し、生き残った者に一生涯かけても稼ぐことのできない大金を与える。  そう伝えただけで、ここまで人は醜くなれるとはな。  「こんなもののどこがいいんだか……」    「?、どうかなさいましたか?」  「いや、なんでもない。それより、男が一方的では視聴者も面白くなかろう。……そうだな、次の集いには私が出よう」  「なんと!久々に『伝道師(ドーマ)』様のお力をお目見えできるとは……皆もきっと喜ぶことでしょう」  信者は深々と一礼し、その背中を見送った。  今日も今日とて賽は投げられる。  自分を偽り、他者を騙す。  それが人の本質であり――罪である。  「……本当に哀れなことだ。その身に余る程の欲を手に入れてしまったばかりに人は堕落する。だからこそ、私は平等な死と救済を与えるのだ」  ――全てはオロチ様の導きのままに、そう信じて。
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