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4章 2話『そして、彼らは生きることを選んだ』
人里離れた森の奥深く、全身に傷を負った男は、裸足で必死に草木を掻き分ける。
朝露で濡れた草葉を踏みつけ、奥へ奥へと進んでいく。
足取りは重く、枯れ枝を踏み締める音は大きく響いていた。
……いる。まだ、ヤツらが追ってくる。
男は近くにあった岩の陰に身を隠すと、周囲を見渡しながら呼吸を整える。
静寂の中に自分の心音が響き渡っているような錯覚を覚えた。
「くそッ、……あの化け物どもめ」
焦燥と恐怖が入り交じり、思わず言葉が漏れる。
……ここにいてもジリ貧だ。やはり迎え撃つしか――。
その瞬間、鈍い衝撃が背中を走る。
肺から強制的に空気が吐き出され、脱力感に襲われたまま崩れ落ちた。
唐突な痛みで身体が硬直する。
……ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバィヤバイヤバイ。
泥を踏み込み、何かが近づいてきた。
男の目の前で立ち止まるとそれは口を開く。
「はぁ~、やっと見つけた。素でもこんなに走れるのかよ……。やっぱ怪人は侮れないな」
「ゥァァ、あ……」
「黒澤さぁん!こっちにいましたよー!」
――頬に火傷の痕がある青年。
長い睫毛から覗く瞳はどこか憂いを帯びている。
身に着けている衣服は所々穴が空いており、血や土埃といった汚れが目立っていた。
赤城勇次――家族を怪人に殺された過去を持つ、かつての少年である。
赤城はしゃがみ込むと、男の髪を強引に掴み上げ、背中に刺さった手鎌を引き抜く。
「ァグぉッ、ガァッ!」
激痛に顔を歪め、男は悲鳴混じりの呻き声を上げた。
「黒澤さぁん!こっち、こっち!」
「だから、この姿のときにその呼び方はやめろと言ってるだろ!誰かに聞かれたら、どうするんだ!」
赤城の呼びかけに、森の奥から仮面の男が姿を現す。
「ひ、ひィッ!仮面の襲撃者……」
おどろおどろしく、赤黒く染まった強化外骨格を目の当たりにし、男は絶望するしかなかった。
仮面の襲撃者、もとい黒澤、この男もまた復讐に渇望する一人であった。
「ああ、そっか……。でも、とっくに身バレしてるだろうし、もう隠す必要ないと思いますよ?」
「バカ。そうだとしても不必要に情報を与えるな。そういう変に抜けてるところがあるから、標的を取り逃がすんだぞ」
「そんな言い方しなくてもいいでしょ!?それに、黒澤さんだけ強化外骨格着て、ズルいですよ!オレだけいつもみすぼらしい格好してのに!」
「お前の強化外骨格はまだ調整中だって言ってるだろ。それに、こいつがまた怪人になったら、誰が取り押さえるんだ……………………ってか、名前ッ!」
「分かりましたって。この後、どうします?」
黒澤は小さくため息をつきながらも、男の傷の具合を確認した。
「……まだ耐えられそうだな。よし……続きやるぞ」
赤城は無言で頷く。
「や……、やめてくれ!悪かった……もう人は襲わないから、許してくれ!」
「悪いけど、まだ拷問の勉強中でさ。最後まで付き合ってよ?」
「ひギッ……ャ」
赤城は手鎌を足の指に当てがう。
「心が乱れそうになったら、いつもの唱えろ」
「はい。えーと、怪人は人じゃない。怪人は人じゃない。怪人は人じゃない。怪人は人じゃない。怪人は人じゃない。怪人は人じゃない……」
「ア゙ァ゙あ゙ッ゙!ガァッつ、い゙ィ゙だィ゙イ゙ぃ゙い゙い゙!も゙ゥ、も゙うヤ゙メ゙デェえ゙エ゙ぇえ゙え゙!」
そんな男の様子を気にも留めず、赤城はただ作業のように淡々と、手鎌を振り下ろす。
その目には光がなく、無慈悲であった。
「いくら怪人だからって、内部構造は人とほとんど同じだ。血管が集中してるところは扱いに気を付けろ。出血多量で死ぬからな。程々にしとくように」
「はい」
「トドメは――」
「今回はオレにやらせてください。いい加減、慣れないと。ずっと見てるばかりじゃ、ダメですから」
「……言うようになったな」
「この場合、顔はどこから削ぐんでしたっけ?」
「鼻から」
「あ……あぁ……ア、ァ……」
そんな二人の会話を遮るように、男は声にならない声で呻いていた。
――どれくらい経ったのだろうか。
「……お疲れさん」
黒澤はねぎらいの言葉を赤城にかける。
「……はあ……ふうぅ……」
荒い息遣いのまま赤城が立ち上がると、顔に付着した返り血を手で拭う。
地面にはダルマになった男が転がっていた。
赤城は顔を洗うため、近くの川辺に歩みを進める。
水面に映った自分を見て思わずため息を漏らした。
……あぁ、くそ。ひっでぇ顔。
思わず、水面に向かって拳を打ち込む。
…… あの日から怪人を殺すと決めて、黒澤さんについてきた……それなのに。
――やっぱり心が邪魔をする。
よろめく足取りで来た道を戻ると、黒澤が布袋に入った死体を担いでいた。
「気分はどうだ?」
「あ……あぁ、だ……大丈夫です。意外と平気っていうか、何回か拷問もやってますし?今さら命を奪うことを引きずったりなんて……」
「………………」
「すんません、正直、キツイ……です」
「だよな。だが、慣れろ。それが生きる為の手段だ」
「そんなの……わかってますよ」
「…………」
「………………」
「なぁ」
「はい?」
「…………10年前、お前とはじめて会ったとき、俺はいつものように自分にこう言い聞かせたんだよ」
「…………」
「『奪わなければ、救えない命だってある』。俺たちがやってることは、決して許されることじゃない。だが……それで……もっと生きたいと願っていた誰かを救えたんだ」
「…………後悔……してないんですか?」
「するもんかよ」
「…………」
「帰ったら、何がしたい?」
「……とりあえず……風呂ですかね」
「ハハ、だな」
二人は歩き出す。
この世界を憎しみながらも、互いに生きるという選択をした。
いつかこの生き方に意味を持たせられる、そう信じて。
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