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第4話 美穂の過去2
「この可愛い下着写真を世界に公開してほしく無いよねえ? じゃあこれから先生の言う事を聞いてもらえるよね?」
桐島美穂は、中学2年生の時に、信頼していた担任教師から性加害を受けた。
担任は狡猾であり、普段から性教育の充実の重要性や、女性の権利の向上、女子の防犯などを声高に訴えている男性教師だった。
そのため保護者や女子生徒にも人気があり、進んで困っている女子の悩みの相談や、勉強の相談を受けていた。
中学教師がいわゆるブラックな仕事と言われる中で、精力的に教師の仕事をしている彼は、信用を勝ち取っていった。
だから誰も気が付かなかったのだ。陰で長年、彼が女子生徒を食い物にして来たことに。
その中学教師のやり方は狡猾であり、更衣室や女子トイレに巧妙に盗撮用カメラをしかけていた。
自分が獲物にしようとした女子生徒に親身に接したり、悩みを聞いたり、特別に勉強を教える。
そして距離を縮め、信用を得た時点で、「実は君の事が好きなんだ」と告白する。
女子生徒がそれに応じれば良し。
応じなければ、盗撮してあるデータを使って、脅迫をしながら支配していく。
なにせ「学校に仕掛けられている盗撮用のカメラを調べましょう」と職員会議で提案しているのはこの担任なのだ。
それらしいものを発見したように見せかけ、あとから自分でばれないように取り付ける。
この繰り返しで、女子生徒のデータは膨大な数になった。
美穂は、担任の事は信用していたが、「君のことが好きなんだ」と言われた時に、ちょっと嬉しい気持ちはあったが、違和感とそれに応じられない気持ちが勝った。
「好意は嬉しいですけど、応じられません」と言った美穂に突き付けられたのは、更衣室で着替えている下着姿の美穂の写真だった。
担任は単独犯ではなく、同じようなペドフィリアオンラインコミュニティに所属しており、既に美穂のデータは会員が共有していること。
会員は次のデータを欲しがっており、美穂が教師の要望に応じなければ、親も含めてこの事を誰かに話せば、さらにデータは拡散、売買されていくこと。そして世界中に広がること。
それを当時中学2年生の美穂は告げられた。
美穂の顔面は蒼白となり、もうまともに生きていく道を閉ざされたことを感じた。
「教師なんてクソガキを相手にするくだらない仕事、これくらいの見返りがなきゃやってられないんだよ。だから先生に愛をくれよ美穂」
その時の担任の言葉、声色はまだ美穂の記憶に残っている。
担任の行動は最初、美穂を誰もいない部室に呼びつけ、官能小説を朗読させることから始まった。
読むだけでも怖気が走るのに、感情がこもっていないと何度でも朗読をやり直しさせられた。
この異常な行為が続いていくと、次は感想を言う事まで求められた。
その感想も、担任が気に入る感想を言うまで何回もダメ出しをされた。
担任は巧妙であり、朗読でも感想でも教師が悦ぶ様な完成度で出来ると絶賛した。
アメとムチを使い分けて、美穂の心理的な境界を破壊していくグルーミングの方法だった。
その中で美穂の心の中の常識が徐々に狂っていった。
自分がまともな世界に生きている感覚が、失われていく。
その美穂が壊れていく経過を見ていくのが、担任の悦楽でもあった。
もう自分の未来なんか無い。
一生、ペドフィリアコミュニティのおもちゃとして生きていくしかないのかな。もう何も未来に希望も持てなくなっていた美穂は、学校からの帰り道、歩道橋から下を見た。
名古屋なので交通量は多い。
「このまま落ちたら楽になれるよ」
誰かがそんな事を言っているような気がした。
気が付くと歩道橋から美穂は半分身を乗り出していた。
周りには誰も人が居ない様に見えた。
足を引っ掛けて歩道橋に乗せれば、楽に落ちることが出来るだろう。
「楽になれるよ」「楽になれるよ」「楽になれるよ」
その声は頭の中にこだまして響いて来た。
声に従って足を歩道橋の上に乗せようとした時。
後ろから強い腕の力でつかまれ、しかし丁重に美穂は引きずり降ろされた。
引きずり降ろした人物は、そのまま美穂を抱きかかえた。
「真示君……?」
美穂の目に写ったのは、恥ずかしいのかすこし目をそらしている真示と、その後方にいる高校1年生になった千歳だった。
「間に合って良かった。美穂ちゃんずっと苦しかったでしょう?」
千歳の声に、思わず美穂は泣いてしまった。
事情を聞く千歳と真示に、泣きながらダムが決壊した様に、美穂は全てを話した。
もういい。自分は助からなくても、これ以上犠牲者を出したくない。
黙って聞いていた真示が口を開いた。
「教えてくれてありがとう。多分2週間以内で、美穂は心配しなくなると思う。明日からは学校には行かないで、適当に朝日奈家に来て、行ったふりをすればいい。学校への欠席連絡は、母さんが代わりにやってくれるさ」
美穂としては信じられないような反応と協力だった。
「そうなの? ありがたいけど、でもなんでそんな事が出来るの?」
「そういう事が出来る様な探偵とかの組織とツテがあってね。もう心配いらないから」真示はわざと感情をこめない様に淡々と答えた。
美穂には信じられなかった。でもとにかく2週間学校に行かなくても良くなったことはありがたかった。
そして2週間たった日。
本当に担任は失踪してしまったのだ。
失踪した担任の家を警察が捜査しても、スマホやパソコンなどは全て無くなっていた。
警察は、それ以上調べても何も出てこないため、捜査は打ち切りになった。
美穂は安心した半面、フラッシュバックに苦しむようになった。
担任が自分に対して行おうとしたこと、そこにある支配欲や加害欲、性欲、男性への不信感、嫌悪感がつのり、学校、電車、人ごみにすら行けなくなった。PTSDによる男性恐怖症だった。
美穂は、千歳の紹介で名古屋カウンセリングセンターを受診することになり、中学校は不登校となり、高校は通信制にいくことにした。
そして男性のとの連絡は、出来るだけ避けること。
どうしても連絡を取りたいのなら、LINEだけで、美穂から送り、相手はそれに返信するだけにすること。
それがカウンセラーの指導だった。
おそらく、それが良くなるのに一番近道なのだろう。
美穂は、カウンセラーと話をし、LINEだけのコミュニケーションにする前に、1回だけ男性と話したいと伝え、許可をもらった。
相手は真示だった。
美穂は男性恐怖症の治療内容について、真示に説明をした。そして、
「真示君、本当にありがとう。あの時、助けてくれなかったら、きっと私は自殺していたんだと思う」
「……死なせたくなかった。美穂があんなに困っているって気づかなくてごめん」
「良いの……私も話せなかったから」
「美穂、俺は馬鹿だよ」
「いきなりどうしたの? そんなこと無いよ」
「俺、本当に自分の気持ちについて鈍感だって、今回のことで気が付いた。他の事には頭が回る癖に、自分の心に気が付かないなんて」
「何のこと?」
「ずっと美穂のことが好きだったんだ。その美穂がもしかしたら死ぬかも知れないと分かって、ようやく自分の気持ちに気が付くことが出来たんだ」
「……気付くのが遅いんだよ。このアホ」
美穂は嬉しくて涙が出ていた。
「気づいた人間に対して酷くないか? その言い方」
「……良く分からないと言われた方の身になってみてよ。まあ良いけど」
「そうか、まあ良いのか……でも美穂」
「うん?」
「大好きだ」
「私もだよ……これから男性恐怖症が良くなるまでLINEのみになるけど」
「うん」
「必ず……良くなるから。大好きな真示の傍に早く居られるように」
そして美穂の男性恐怖症は、治療を受けることで、カウンセリング上でも改善されたとされ、名古屋大学に入学したことをきっかけに、普通に真示との付き合いが始まったのだった。
最初は美穂の体に触れる事すら、男性恐怖症のトリガーになるのではと心配していた真示だったが、美穂も真示と一緒にいることに慣れ、つきあって1年後にキスが出来るようになったのは、二人にとってとても嬉しいことだった。
そうこうしながら大学2年になり、大学が冬休みに入ったことをきっかけに、一泊二日の温泉旅行に真示と美穂は行くことになった。
しかしそこで待っていたのは残酷な現実だった。
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