第三怪異 やじろべえ

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彼女は食事も注文しないうちから堰を切ったように話し始めた。 「これはとっても特別な水なんだよ。今、この水を販売する仕事をしてるんだけど、いろんな病気が治ったり、不老不死も夢じゃなかったり、とにかく凄いんだよ。神秘的な力があるの。教祖様のパワーが入った水でね……」 話は止まらなかった。ゆるふわな雰囲気はそのままに、淀みなく定型文のような宣伝文句らしき台詞が溢れた。途中の説明は八割ほど聞き流したが、最後に「二リットルで五千円」だという台詞が脳内でつっかえて渋滞を起こした。そして彼女はまた言った。 「飲みたい?」 絶望した。ビジネストークだった。その得体の知れない水を買わないかと言っているのだ。 「な、なるほどね。うん。よく分かった。とりあえずは遠慮しておくよ。せっかくだけど……。ところで、お腹空いたよね! 食事を注文しようか!」 メニューを見て無農薬野菜のグラタンとサラダを注文した。食事の味が分かるほどの冷静さを保つ事はできなかった。  その後の会話はよく覚えていない……。ひたすら水の購入を勧められては、のらりくらりとかわす……。そんな感じの攻防戦だったと思う。  お会計は割り勘にした。もはや男のプライドなど関係なかった。 「今日はお水を販売できなくて残念だったけど、欲しくなったらいつでも言ってね!」  彼女は小さな体で二リットルボトルが何本も入ったエコバッグを両手に持ち、やじろべえみたいにオフィス街の闇に消えて行った。胃が痛かった。無農薬野菜だけでなく、何もかも消化不良だった。
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