第一怪異 落ち武者メタボ

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 右手のおしぼりを丸めて渾身の力でそいつに投げつけた。辛うじて左手のビールジョッキは投げなかった。少し誤れば恐らく左手でイっていただろう。危ないところだった。それでも、固く湿ったおしぼりも、それなりに痛いだろうが……。  彼は両手で拝みながら平身低頭、お座敷の個室で土下座にも近い格好で必死に許しを乞う状態だった。その状態で、見知らぬ人が個室に入ってきた。店員ではない。 「どうだい? 話は進んでいるかい?」 そう言いながら個室の扉を開けたのは小太りの中年男性だった。知らない男だ。扉を開けた途端に硬直していた。 「ちょっと、この人は難しいかもしれないです……」 震えた声で頭を下げたまま落ち武者メタボが言った。状況を察した。結局、最終的には落ち武者メタボとその中年男性の二人で自分を宗教に勧誘しようという目論みだったのだ。すかさず言ってやった。 「今日は友人二人で水入らずの楽しい飲み会なんです。お引き取りを!」 そう言って中年男性を睨み付けた。すると男は、青い顔で静かに扉を閉めて無言で退却した。そして、それを追って立ち上がろうとする落ち武者メタボに言った。 「お前は座れ。席は二時間制だ。まだ終わってねぇ」 タッチパネルで日本酒の二合徳利二本とお猪口を二つ注文した。静まり返る個室に、何とも間抜けなタッチパネルのクリック音だけが響いた。もう完全に止められない暴走機関車だった。
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