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3話 前世
「大丈夫? ローズマリー」
国王を一人残して部屋を出ると、ディリウスの三つ年上の兄であるイシリオンが声をかけてくれた。
宰相の娘であるローズマリーは王城や王宮にも出入りしていたため、イシリオンとも幼馴染みのようなものだ。
ただイシリオンは第一王子としての公務が幼い頃より忙しく、同い年のディリウスと一緒に過ごすことの方が多かった。
いつも何かと気遣ってくれるイシリオンを、ローズマリーは敬意を払いながらも兄のように慕っている。
イシリオンの肌は美しく、睫毛は長く、髪は金色に輝いていて、誰が見ても王子様の中の王子様だ。人の良さが全面に表れているが、頼りない感じはまったくしない。
そんな第一王子が、心配そうな顔をしてくれている。
「体への影響もわかっていないんだから、無理はしないようにね」
「イシリオン様……ご心配くださり、ありがとうございます」
「気にするな、兄上。何かあってもローズの自業自得だ」
「もう、ディル!」
つーんとそっぽを向くディリウスに、ぷうっと頬を膨らませる。そんな二人を見て、イシリオンは穏やかに笑った。
「ローズマリー。ずっとそばにはいてあげられないが、困ったことがあったらいつでも頼ってほしい」
「はい。ありがとうございます、イシリオン様!」
「最近はおかしな薬が出回っているというし、一人歩きは禁止だよ」
「はい、気をつけます」
「じゃあね、ローズマリー」
柔和な笑顔を見せて、イシリオンは去っていった。
温厚な第一王子とはまったく似ていない、背の高い第二王子を見上げる。
「なんだよ?」
「ディルもイシリオン様を見習って、少しは笑顔を見せればいいのに」
「いいんだよ。俺と兄上では役割が違う」
「まぁね」
役割が違っても笑ったっていいと思うのだが、それに関しては口を出さなかった。
ディリウスは意地っ張りなので、言えば言うほど頑なに笑わないだろう。
(昔は笑ってたと思うんだけど、いつの間にこんな風になっちゃったのかしら。男の子って難しいわね)
まるで母親のような気分になるのは、幼い頃から知りすぎているせいだろうか。
しかし時折り見せる笑みがあれば、それで十分だ。無理はさせまいと心に誓う。
ローズマリーたちはそのまま王城を出ると、何かわかるかもしれないと、もう一度教会に戻ることにした。
「ところで、イシリオン様の言ってたおかしな薬って何のこと?」
「ああ。最近、闇で取引されているものなんだけどな。判断能力を鈍らせる飲み薬が広まっているんだ」
「判断能力を?」
「契約書や遺書を書き換えさせたり、そういうことが増えてきた。そのうち捕まえてやる」
そんな話をしながら歩いていると、町の人たちに「聖女らしいぞ」と呟かれた。居心地の悪さは感じたが、広まったことを気にしても仕方ない。
教会へ到着すると、ローズマリーたちはもう一度レオナードの前へと進んだ。
「どうだ。他に何か思い出せそうか」
ディリウスに問われ、レオナードの後ろにある光輝の英雄がふと目に入る。
「この人……私のお父ちゃんだわ!」
「は? おとう? お前の父親は、こんな顔も格好もしてないだろ」
「違うの、お父様とは別よ!」
さっき見た、記憶の断片が繋ぎ合わさっていく。
今世ではない。でも、紛れもなく父親だという認識で。
「私の、前世だわ……私、前世ではこの人の娘だったの!」
「本当か。この男は確か、農耕技術を発展させた農夫で研究者でもあったよな」
「ええ……」
瞳を閉じると記憶が脳裏に甦り、父親が幸せそうに笑っている。
そう大きくはない家で、両親と一緒に野菜のたっぷり入ったスープを飲んでいた。
『今日は一緒に種まきをしてくれるか?』
父親の提案に、ローズマリーは椅子に座っている足をパタパタさせながら喜ぶ。
『うん! おとうちゃんといっしょにたねまきー!』
『さすが、手伝いのできる良い子だなぁ。お父ちゃんの自慢の娘だ!』
娘にデレデレとする父親に、母親はあきれるほどで。
ローズマリーは、そんな父親が大好きだった。
しかし手を繋いで畑に着いたところで、父親の足元がパキンと鳴り始めたのだ。
『……そうか、俺が選ばれたのか』
何のことか、その時のローズマリーにはわからなかった。
ただ、足元から徐々に翠色の結晶となっていく父親を見るのは、とてつもない恐怖で。
『おとうちゃん! おとうちゃん!! なに、これなに!?』
パニックになる娘に、父親は微笑んだ。
『大丈夫だ。お父ちゃんは、ちょっと女神様のところに行ってくるだけだからな』
『なんで!? いつ、いつかえってくるの!?』
『……いつかなぁ』
寂しげな声が、やたらと耳に残って。
『やだぁ、どこにも行かないで! 行っちゃやだー!!』
その言葉は、聞こえていたのいなかったのか。
父親は、悲しげに微笑んだ姿で、全身がエメラルドとなり。
前世のローズマリーは、茫然とその姿を見ていた。
「……娘に甘くて優しい、素敵な父親だったのよ……」
ディリウスに記憶を話し終えると、涙がこぼれ落ちそうになっていた。
ローズマリーはそれをぐっと堪える。
「……そうか」
ディリウスはそれ以上、何も言わなかった。
人を慰めるなどという器用なことは、できる人じゃないとわかっている。
だからなのか、ディリウスはただそばにいてくれた。余計なことは何ひとつ言わずに。
幼馴染みがそばにいてくれるというだけで、何故だかほっとして息が漏れた。
(ディルを冷たいって言う人もいるけど……)
冷たいとは違う、とローズマリーは心で否定する。
ディルは不器用だけど、そこが良いのだと。本当は誰よりも人の気持ちがわかっている人なのだと、ローズマリーは信じている。
「……ありがと、ディル」
「別に」
無表情のまま少し顔を背けたディリウスを見て、ローズマリーは胸を温かくしながら少し笑うことができた。
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