届けたかった「ありがとう」

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届けたかった「ありがとう」

ロイドは自分が着ていた外套を私に着せて 歩けなくなった私を背負って自分の家まで 連れて行ってくれた。 忘れていた温もりに涙が溢れそうになった。 ロイドは歩きながら 『お嬢さんは随分と辛い思いをしてきたようだ』 と口にした。 『どうして分かるの?』 『分かるさ、俺は魔法使いだからね』 その言葉に衝撃を受けた。 だって、魔法を使えるのは私達 姉弟だけだと思っていたから。 『お嬢さん。もし良ければだが その辛い記憶を消してあげようか?』 『え?』 『このままでは、君は弟に対して後ろめたい気持ちを抱えながら生きていくことになるだろう。 それに辛い出来事なんか記憶から抹消した方が 幸せに生きていける。 俺は同じような思いをしたことがあるから わかるんだ。 もし君が良ければ、の話だが。』 『お願い』 『…本当にいいのかい?』 『うん。私の記憶を消してください』 もう、心が壊れてしまいそうだった。 記憶を消さないと、私自身が私を殺してしまう。 もうあの日々を思い出したくはなかった。 あぁ、ロイドに騙されたなんて 思っていたけど 本当は私の方から記憶を奪ってほしいと お願いしたのね。 私はなんてバカなことをしたのかしら。 「エリー…」 カイトの言葉にエリーはハッと顔を上げた。 カイトは心配そうな顔をして彼女を見つめている。 ずっと会いたかった、大切な弟。 嬉しさが胸に込み上げてきて 抱きしめたい衝動に駆られる。 エリーはカイトに抱きついた。 「カイト…ごめんなさい。 私、大事なものを見落としていたわ。 あなたの存在こそが私の最高の記憶なのに…… 私はその記憶ごと消してほしいと願ってしまった。 本当にごめんなさい。 生きていてくれてありがとう、カイト」 ふわりと笑うとカイトは 驚いたように瞳を揺らがせたあと 優しく笑った。 「僕もあの出来事は思い出したくない。 けど、エリーがいてくれたから 今まで頑張ることができたんだ。 謝る必要はないよ。 僕はどうしても感謝の気持ちを届けたくて 『セレーネの思い出』の噂を聞いて ここまで来たんだ。 エリーに会えて本当に嬉しいよ」 エリーとカイトは笑い合う。 ロイドはそんな2人を見て やはり自分の判断は 間違いだったのだと考えさせられた。 大切な存在がいるからこそ人は 前を向いて生きていけるのだと。 ロイドは温かい気持ちになり微笑んだ。 「でも、あのときどこに行ってたの?」 「母さんにエリーにプレゼントを 贈りたいって言うから付き添ってたんだ。 ……母さんも母親らしいところが少しは 残ってたみたいだね」 エリーはそういえば、 お母さんは気分がいいときもあって お出かけに連れて行ってくれたこともあったな と思い返す。 けれど、あの人のした仕打ちは忘れられない。 「そうね、今更何よって感じだけどね」 冗談めかして笑うとカイトはアハハっと笑った。 もう後ろを向く必要はない。 これからは、きっと前を向いて生きていける。 カイトがいるから。 「そうだ、お前がウチに来たからには 今日から店の仕事手伝ってもらうぞ」 カイトに向かってロイドがニカッと笑う。 「え、えぇっ!」 「さあ、忘れられた記憶が大量だぞ」 シャボン玉がふわふわと浮いてくる。 エリーはそんな二人を見てクスリと笑い 苦戦するカイトに向かって駆け寄って行った。 名前のなかった魔女は 今日、エリーという名前を思い出したのだった。 そして、はたと気づく。 忘れられた記憶の中にも 大切な存在が隠されているかもしれない。 「思い出を売るなんて、もうやめましょう」 エリーがそう言うと ロイドはキョトンとした表情を浮かべた。 「どうしてだ?」 「忘れられた記憶も大切な思い出が残っているのよ。 それを売るなんて今考えると恐ろしい。 忘れたい記憶だってそうだったわ」 チラリとカイトを見るとカイトは 嬉しそうに笑って頷いた。 「確かにそうだね」 「…仕方ない。この店は今日で畳むことにしよう。 客も昔と比べると減ってきていたからな」 ロイドが満足そうに頷いたので エリーは魔力を解放した。 ふわふわと漂っていた記憶が一斉にパチンと 弾けて消える。 今頃忘れられた記憶達は主人の元へ 届いているだろう。 「おいおい、判断が早すぎるぞ」 ロイドが苦笑いを浮かべる。 「いいのよ悩んでたらキリがないもの」 「これからどうするの?」 弟の言葉にエリーはにっこり笑った。 「さあ。私はカイトとロイドがここにいてくれたら それだけで満足よ」 ロイドとカイトは顔を見合わせ照れくさそうに笑う。 これから、3人と2匹の新しい生活が 幕を開ける。 苦しいことや悲しいことだってあるだろう。 けれど2人がいるから 私は頑張れる。 エリーはこれからの楽しい生活に想いを馳せた。 (終わり)
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