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忘れられた記憶
翌朝、目覚めてすぐにセレネから1通の手紙を受け取った。
その内容は娘が失踪してしまい、妻が自殺した。
悲しみに耐えきれないから記憶を上書きしてほしい。
と書かれてあった。
朝から勘弁して欲しい。
魔女は小さくため息をつき、頬杖をついた。
記憶を上書きしても良いことなんてないのに。
ただ、脳を幸せだと勘違いさせてしまうだけ。
今までの依頼人を見てきたから分かる。
魔女は仕方なく手紙に残る思い出の痕跡から過去の記憶を読む。
小さな女の子が父親らしき男に
高い高いをされて、笑っている。
季節が過ぎてゆくと女の子も成長していく。
そこから、黄色い服を着た女の子が怒鳴っている場面に移る。
母親らしき女がそれに言い返し、
女の子は泣きながらも勢いよく扉を閉めた。
それからいくつもの月日が経つが
女の子は帰ってくることはなく
両親は悲しみに暮れ次第に自暴自棄になり
ケンカが増えていく。
そして、母親がクローゼットで首を吊り苦悶の表情を浮かべ死んでいる場面が映し出される。
奇声を上げる男の声が響きわたる。
そこで映像を映し出していた
シャボン玉のような丸い球体はパチンっと
弾けた。
「なるほどね…」
魔女はそう呟き、宙を漂っている記憶の
シャボン玉からひとつを手繰り寄せた。
シャボン玉に小さな女の子と若い女が笑いかけている
映像が映し出されている。
「依頼をお受けしました。お代は
あなたの忘れたい記憶。
あなたはセシルの夫でありティアナの父親として
生きていくことになるでしょう。
それでもいいというのなら」
魔女はシャボン玉を両手でギュッと握った。
すると、シャボン玉はみるみる小さくなっていき
虹色をした4粒の錠剤となった。
「これをお飲みください。
『セレーネの思い出』へのご依頼、
ありがとうございました」
そう結ぶと、机の上に置かれた便箋に
魔女が言った文言がひとりでに並び
『セレーネの思い出』と店名が記される。
そして封筒に便箋が入り、蝋で封をする。
さらに、薬が小瓶に入れられた。
魔女はそれをセレネとロイドの梟であるハンスに
「お願いね」と託した。
セレネは彼女達が飛んでいくのを見届けると
次の依頼が来る前にベッドに潜り込んだ。
寒いのになんで、こんなに早くから
依頼が来るのだろうか。
今は朝の5時よ!?
しかし、先ほどの依頼の失踪したという少女の笑顔に胸がチクリと痛んだ。
あの子は父の記憶から完全に消え去り、
帰る場所はなくなる。
これでいいのだろうか。
記憶を失い、生きていくことはとても虚しい。
そこに幸せがあろうとも。
魔女は被っていた布団を顔から下げた。
窓から新しいシャボン玉
がふわふわと漂ってくる。
その表面には幼い少女と、
父親の仲睦まじい様子が映っていた。
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