プレシャスプレイス

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「これで私の解説は終わりだ」  そう世界史の田中先生が言った。今日で最後の授業なのに、いつもと同じ無表情のままだった。  田中先生の授業の評価は凄く分かれる。無味乾燥で楽しく無いと言う意見もあれば、受験にひたすら役立つと有り難がる意見もあった。  チャイムが鳴らないからか、田中先生はまだ教壇に立ったままだった。田中先生は腕時計に目を落とし、軽く目を閉じた。ほんの少しだけ無表情が崩れた。苦味のある物を口に含んだ様なそんな顔だった。  突然、田中先生は私たちに向けて頭を下げた。軽く下げるのでは無く、しっかり90度の礼だった。 「皆、済まなかった。こんな下らない解説を聞かせてしまい申し訳無かった」と先生は頭を下げたまま言った。  田中先生は喜怒哀楽が無く、AIの方が感情豊かだと言われてる。ついた通称は『マシン』だ。そんな『マシン』の突然の謝罪にクラスの皆は固まった。  これが他の先生なら、クラスの誰かから、『センセー、頭、上げなよー』だとか、『先生、謝る事ような事してねーじゃん』と声があがったと思う。  でも。マシンの突然の謝罪は得体が知れなかった。バグ?エラー?バクハツ3秒前? 「言い訳だが、私なりに受験のサポートをしたつもりだ。皆が1点でも多く取れる様に解説したとは思っている」と田中先生は言い、しばし天井を見上げた。「しかし、私が行ったのは教科書の解説に過ぎない。授業なんて言えない。歴史と言うものを伝えていない」  皆、無言で田中先生に注目しているようだった。 「歴史とは有名人や英雄が創るものではない。歴史的な大きな出来事にはすべからく下地がある。その下地を創るのは名もなき民衆だ。その民衆の想いや思想がうねりを創る。英雄や有名人はそのうねりの中である種の役割を与えられたに過ぎない。主人公はあくまで民衆であり、君たちだ。折を見て歴史と現代を見比べて欲しい。そこには未来に繋がる何かがきっと観える。機が熟したと観たら、迷っても良い。行動して欲しい。自分の人生の傍観者には決してなるな。主人公でいて欲しい。そして君たちだけの歴史を築いて下さい」  田中先生はそう言い、教室を後にした。
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