子犬

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 おばあちゃんが死んだ。  死んだっていい方はよくない。亡くなった。  お母さんのお母さんのお母さん。本当はひいおばあちゃんだけど、おばあちゃんって呼んでる。  二日前の深夜十時すぎに病院で息を引き取ったらしい。  電話がかかってきて、お母さんが出て、翌日の朝私は知った。  悲しいは悲しいけど悲しいというほど悲しくはない。  涙は溢れないし、あれは確か五歳だった頃、優しいおじいちゃんが死んで、そのときは本当に悲しかった。涙もいっぱい出た。  十歳の今。比べればあんまり悲しくはない。  今日葬式があってお別れをした。  享年八十七歳。  お母さんは「長生きしたね」っていったけど私はそうは思わない。  もうちょっと生きたってよかったし、杖さえあれば日常生活にも支障はなかったから、本望じゃないかもしれない。  本望じゃない、って考えたときに、おばあちゃんは私が新聞とか読んで、難しい漢字を覚えると、いたく感心していたことを思い出して、連なって更に色々を思い出して、胸の奥がつんとした。  弱音を吐いてお母さんに慰めてもらったりお父さんに慰めてもらったりするのも恥ずかしい。葬式中はずっと黙っていることにする。喋りたいことも特にない。  おばあちゃんは嫌なやつだった。  私は最初おばあちゃんというのはこういうもので、おじいちゃんというのはこういうものなのだと勘違いしていて、大きくなって、小説とか読んで、段々そうではないことに気がついてきた。  五年前に死んだおじいちゃんは、ぼんやりした記憶しかないけど優しくって、だっことかしてくれたし、一緒に遊んでくれたし、なんか素晴らしかった。理想のおじいちゃんという感じだった。  親友のしずくちゃんには怖いおじいちゃんがいる。タバコを吸うし、お酒もがぶがぶ飲む、口調だって荒いらしい。  それを聞いたときに、やさしいおじいちゃんと巡り会えたことに感謝した。  お母さんだって「おじいちゃんは昔っから怒ったことがなくて、怒るのはいつもおばあちゃんよ」と言っていた。  おばあちゃんは権力というか覇気というか目に見えないものが強くって、よくおじいちゃんを叱っていた。  一緒に食事すると、 「あんた、早く食器持ってきなさい」  っておじいちゃんだけ急かすし、私が 「おじいちゃんいじめちゃかわいそうよ」  って味方すると、 「美甘ちゃんが言うならしょうがないわ。美甘ちゃんに感謝しなさい」  ってまた怒る。おじいちゃんは苦笑いして、しゅんと丸まっちゃって寂しそう。  今更だけど私の名前は美甘です。「みか」って読む。  おばあちゃんが嫌なやつである証拠なんてまだまだある。  一番印象に残っているのは六歳か七歳の頃の話。どっちだったかは確かじゃないけど、小学校に入ったばかりだった気がする。なにはともあれ、出来事はしっかり記憶している。  今は十歳。もう大人みたいなもんだけど、当時は幼くって、好奇心が強かった。がまんもできなかった。  今は遊ばないけど、昔、私は公園で遊ぶのが好きだった。二週間や三週間に一回、土日にじっかに帰ると、近所にある公園に行った。  ちょっと大きい公園で、自宅の近くにはない、遊具が新しくて大きい。人も少ない。遊ぶには絶好の場所だ。いつもはおばあちゃんとお母さんと一緒に向かう。  春の、すがすがしくていい天気の日だった。  お昼を食べて、買い物に行って、それから遊びに行きましょうねって約束だったけど、色々をがまんできなくて、お母さんとおばあちゃんがテレビに夢中になっている隙に家を抜け出した。  当時の私は、両親が目を離した隙にどっかへ行っちゃうことがよくあった。  本人はかくれんぼをしているつもりだったり、行きたいところに行きたかったりと、目的は様々だけど、探す身からすれば、理由なんてさして変わらない。同じようなものだ。  お母さんもお父さんもあんまり怒らなかった。私だって分別くらいあったからちゃんと戻ってくる。 「危ない人にはついて行っちゃ駄目よ」 「うん」  というやり取りが定番。苦笑いさせるだけだった。  それなのに、事情を知らないおばあちゃんったら、私が戻ってくるなり、 「もうあと少しで警察に電話するとこだったのよ。お母さんに迷惑かけてどうするの。ほんとに心配したんだからね。どこかへ行くときは行き先を告げてからにしてください」  ってがみがみ、お母さんがなだめるまで喋り続けた。  私はびっくりして、悲しくて、わんわん泣いたけど、おばあちゃんは泣いたってしりませんよって言ってつんとしている。  怖いのと意地を張ってるのが混じって、その日はおばあちゃんに話しかけることすらできなかった。  おばあちゃんに怒られた日から、おばあちゃんに対して苦手意識のような感情が生まれた。  ことあるごとに場面が思い返されて、上手に付き合ってるか自信がなくなった。 「大きくなったね」  って褒められても 「まあね。そうかな。そうかもね。ありがとう」  だし、 「お昼ご飯何にする?」 「うーん、ありがとう、私はなんでもいいかな。うん、おばあちゃんの好きなのでいいよ」  おばあちゃんは困ったように微笑んで、 「気を使ってくれなくていいから美甘ちゃんの好きなものでいいのよ」 「じゃあ、お寿司」  私は極めて遠慮気味に言った。  おばあちゃんに病気が見つかったのは、一年前のことだった。定期的な検診のさなかに発見された。  お医者さんの長ーい説明に私は立ち会えなかった。  後でお母さんに病名をたずねてみたら、これまた長ーい病名を告げられた。 「要は血液が固まってできものができる、というのかしら、お母さんだってよくわからないけど、体の一部にリンパというのがあって、そこを流れる血液の中に白血球というのがあって、その白血球が正しく働かなくなる病気」  帰りの車を運転しながら、お母さんは詳しいことを教えてくれた。  もって二、三年ということ。完治の見込みはなく、手術は体に負担をかけるだけだからできないということ。  ずっと黙っている私を気遣うように言う。 「おばあちゃんもよく生きたわ。そうよ、よく生きたわ。八十六歳ですから」  お母さんの言動からは悲しみの感情は読み取れなくて、大人の余裕が感じられた。もしかしたら本当に悲しくないのかもしれない。  確かにおばあちゃんは天国でおじいちゃんと過ごせられるけど、この世界には存在しなくなる。消える。  おばあちゃんは入院することになった。私は相変わらず月に二、三回会いに行った。車に揺られて一時間半。往復で三時間かかる。ちょっと遠いけど、景色とか楽しいし、面白いラジオだったら盛り上がるので、退屈ではない。 「遠くから悪いねえ。情けない姿を美甘ちゃんにまで見せちゃって。まったく駄目ねえおばあちゃんは。本当に心配かけちゃって」  お母さんの方を見て、 「美甘ちゃんだって、勉強だって、学校だって、色々大変でしょうから、あまり連れ回したらいけませんよ。私のことなんてどうだっていいんだから。忘れてくれたって構わないのに」  いつものやり取りが繰り返される。お母さんは曖昧に、なだめるように返事をする。おばあちゃんは納得したような納得してないような表情を浮かべる。  お母さんとおばあちゃんはよく言い争っていた。どちらが悪い、というわけでもないけど、私からすればおばあちゃんの方に非がある。しつこすぎるのだ。 「美甘ちゃん、小学校の、何年生だっけ」 「三年生。次、四年生」  短く答える。  おばあちゃんは、病院のベットから起き上がって縁に座っている。左手の手首には点滴の太い針が刺さっていて、皮膚が浅黒く変色している。頻繁に「痛い」と嘆く。 「もう三年生。次、四年生か。すごいね。美甘ちゃんはどんどん大きくなっていくからおばあちゃんは嬉しい。もうちょっと見届けたいんだけどねえ。どうやら難しそうだよ」  おばあちゃんが柔らかく微笑んで、私は苦笑いで返す。 「ねえお母さんったら。美甘ちゃんを連れ回しちゃ駄目ですよ。こんな老いぼれに会わせたら目に毒なんだから」  さっきと同じ内容。  入院してからぼけてきた、とこの前お母さんが言っていた。あながち嘘じゃないかもしれない。そういうのを認知症っていう。軽い認知症。  お母さんがすかさず言及する。 「美甘のことは気にしなくていいってこと、いったい何度いえば分かるの。まったく。学校のことだってちゃんとやってるんですから」  お母さんの言葉には怒気が含まれている。 「でもねえ」  おばあちゃんは不満そうな態度だ。私は慌てて、 「ほら、今日私、宿題やってきたんだよ。だから大丈夫」 「ほう、えらいねえ。おばあちゃんの子供の頃はね、やらなかったら廊下に立たされたんだよ。だから必死だった。どうやって必死だったのかってね、聞くかい。皆ばれないように慎重に答えを写していたんだ。慎重に慎重に。なつかしいねえ。あの頃は戦争が終わったばかりだったから」  私は相槌を打ちながら聞く。  おばあちゃんはそのときの様子を思い返したのか一人でくすくす笑っている。  おばあちゃんはよく昔話をするようになった。おじいちゃんと出会ったときの話や、戦争の話。苦労した仕事の話。  今回の宿題の話だって何度か聞いたことがあった。遮るように言う。 「私は答え見ずにやってるよ。毎日ちゃんとやってるんだから」 「そうか。すごい、それはえらいねえ。美甘ちゃんは立派な人になるよ。きっとなる。人を幸せにする、人を救う仕事に...」  話の途中なのにお母さんが横槍をいれた。 「美甘の将来の夢はケーキ屋さんなんだって」 「ほう」  私は慌てて首を振った。 「違うよ。それは前の夢。今は医者なんだから」 「ケーキ屋さん、お医者さん」  ゆっくり呟いておばあちゃんはしわしわの手を膝においた。薄っすらと開いた瞳は輝いていた。 「素敵な夢ねえ。頑張れば、いえ、そうよ。なにを目指そうとおばあちゃんは美甘ちゃんの味方だよ。美甘ちゃんの将来が楽しみね」 「ありがとう」 「でもなによりも健康であることが大切なのよ。こんなよぼよぼのおばあちゃんになったら何も出来ないんですから」  おばあちゃんは目を瞑って手を合わせた。  私は神様なんて信じていないけど、おばあちゃんはよく仏壇に手を合わせている。仏壇がなくても手を合わせていることがある。  おばあちゃんが何を祈っているのかは声に出さないので分からない。  やがておばあちゃんは目を開けた。第一声は、 「あれ、おばあちゃんったら駄目ねえ。また忘れちゃった。美甘ちゃん大きくなったねえ。歳いくつだったっけ?」  葬式が終わって、おばあちゃんは火葬された。  亡くなって更に燃やされて骨だけになるのもかわいそうだけど、皆そうやってやってもらってるってきまりだから異論をとなえるのも変だ。おじいちゃんのときだってそうだった。もしも私が亡くなったって、同じように儀式が行われるのだろう。  ずっと涙は出なかった。このまえ学校でりさちゃんと喧嘩したときはわんわん泣いたのに、不思議だ。  あっさり仲直りできたのとは違って、もうおばあちゃんの顔を見るのは最後なのに、棺が開かれて、閉じられた目のあたりをじっと見つめると、今にも動き出しそうな心地すらある。  角ばった骨や藍色の血管が浮き上がった細い体。闘病生活でどんどん弱っていって、入院を繰り返して、最後には骨と皮だけになってしまった。火葬されれば皮すらなくなる。脆い骨だけになる。  外に出て火葬場を振り返ると、煙突から薄っすらと白い煙が立ち上っていた。煙の先をたどると、青い空に紛れて消えていった。  車に乗る。エンジンがかかって動き出す。  運転中、お母さんはずっと、おじいちゃんとおばあちゃんの家をどうするのかについてお父さんに意見を聞いていた。売るか。賃貸にするか。所持するにしては管理が大変だからさあどうしよう。それについて延々。  自宅の横の車一台がぎりぎり収まる駐車場までやってきた。  私はうつらうつらしていて、眠っているのか起きているのかの合間くらいの状態だった。 「あ」  という鈍いお父さんの声で意識がはっきりした。 「あれはなんだ?」  駐車場の端の、家の裏の、二本のプロパンガスの管の前に段ボール箱が置かれている。 「こんなことするってどうなのよ。苦情してやりたいわ」  ごみの不法投棄にお母さんが途端に不機嫌になる。  私は車から降りて中を覗き込む。  一匹の小さな犬がいた。まだ子供だ。生まれたばかりなのだろう。痩せ細っていて、骨が浮き出ている。体毛は薄い。手足は小枝のようだ。立つこともできないのか、目はぱっちり開いているのに横たわっている。その目がちらっとこちらを見た。目が合う。 「犬じゃない、嫌な人もいるものね。育てられないからって人の家の前に置くなんて、命をどう思っているのかしら」  お母さんが困ったような表情で言った。  私は犬をじっと見つめていた。なんだか寂しい感じがした。  犬は衰弱していた。元の飼い主が餌をちゃんとやらなかったのだ、ちゃんとお世話しなかったのだ、ということは想像できた。確かにひどい飼い主だ。  痩せ細った体は見ていられなかった。死、というのを連想した。 「どうしましょう、この子」 「うーん」  いつもは頼りになるお母さんとお父さんも今回ばかりは困り果てている。私は提案した。 「ねえ、この子うちで飼えないかな」 「飼うっていうのは色々大変なのよ。最初は楽しいけど段々ほったらかしになったりする。命を預かるんだから」  とお母さん。 「それに美甘、犬より猫のほうが好きって言ってたじゃないか」  とお父さん。 「それはそうだけど、私頑張るよ。猫のほうが好きだけど、犬も悪くないし、餌だって毎日ちゃんとやるし、掃除だって、なんだって色々頑張るから」 「そうねえ」  お母さんは悩んでいる様子だったけど、最後には渋々賛同してくれることになった。  犬はかわいかった。  確かにお世話するのは簡単じゃなかった。一日三回の食事は絶対忘れちゃ駄目だし、掃除の他にも気温とか病気とか散歩とかたくさん気を配らなくちゃならない。ペットショップでグッズを買い揃えるのも大変だったし、獣医さんに体調を見てもらうのも大変だった。  だけど、そういうのを含めてかわいい。最近の悩みといえば犬を学校に連れていけないことだ。  本当ならいつでも一緒にいたいけど、都合というのがあるから難しい。離れていると元気かな、ってついつい想像しちゃう。  子犬には「ミュー」と名前を付けた。犬なのにワンって鳴くことは少ない。代わりにミューって鳴く。  お父さんには「ウー」って唸ってるように聞こえるらしいけど、私にはミューって聞こえるからミュー。ミューって名前を呼ぶと、ミューって返事してくることがある。やっぱりかわいい。  ミューは順調に大きくなっていった。  私は相変わらず学校に行ったり、宿題をしたり、友達と遊んだりしていた。  ちょっと前まではあんなに小さかったのに、普通の犬と比べても遜色ないくらいまで大きくなった。小さかった体は白と茶色の毛に包まれている。  そのうちにミューの鳴き声も子供っぽくなくなって、「ウー」に近い感じになった。  私も十一歳になった。  ミューはいたずらが好きだ。  前なんて、お母さんが大事にしていたガラスのコップを割ってしまった。走り回っている途中に壁にあたったらしいけど、私は現場を見ていない。学校に行っている最中の出来事だ。 「ミュー、物を壊しちゃ駄目でしょ」  私の言葉にミューはそっぽを向いた。  お母さんはミューを見て「あらあら、昔の美甘みたいね」って笑っていた。 「私ってそんなんだったけ、絶対違うよ」  私は結構本気の強い口調で言い返した。  解体してしまったじっかに行かなくなってから、しばらくが経っていた。六年前に亡くなったおじいちゃんの顔は輪郭までぼんやりしちゃって、ほとんど思い出せなくなった。  昨年亡くなったおばあちゃんとの思い出だって、幾つかの記憶があるだけ。なんとなく、嫌なやつだったという印象が残った。  お母さんとしょっちゅう喧嘩していたし、礼儀作法とか厳しかった。怒られた記憶だってまだ残っていた。  時々おばあちゃんのことを思い出す。  例えば親友のしずくちゃんが、「あいつなんて死ねばいいのに」と言ったとき。  テレビではニュースが流れていて、有名人が亡くなったことを知らせていた。 「この人死んじゃったんだって。ほら、死亡って書いてあるでしょ」 「美甘ちゃん、死ぬなんて言葉を使っちゃ駄目よ。そういうときは亡くなったっていうの」  てっきり難しい漢字が読めたので褒められるとばかり思っていた。  がっかりする私をよそに、おばあちゃんはいつもどおり柔らかい微笑みを浮かべている。  ミューと出会った日は、おばあちゃんの火葬された日だった。だから時々思い出す。  お母さんは出会いを運命と呼ぶけど、私は偶然だと主張したい。      秋の秋らしい日だった。風が気持ちよくて、軽快な足取りで帰路を歩いていた。  ミューがいなくなったとお母さんに伝えられたのは、学校から帰宅したばかりのときだった。 「ミューがね、いなくなっちゃのよ」 「どういうこと?」  焦って訊ねる私に、お母さんはおっとりとした口調で、さとすように返答する。 「掃除してあげようとしたんだけどね、いつもはいい子に待ってるでしょ、だから今回も大丈夫かなってゲージを開けたらその途端に逃げ出しちゃったの。開けっ放しにしていた窓から外へ逃げて」 「ねえ、どういうことなの、ミューはどこなの?」 「ごめんね。でも、ミューが自分で外へ行ったんだから戻りたくなったら戻ってくるはずだよ。お腹が空いたらきっと帰ってくるはず」 「そんなことないよ。何しちゃってるの。ねえったら」  私は怒っていた。泣き出しそうな気分だった。  この前たまたまやってたテレビ番組では、五年もの間、飼い主と離れ離れになって再開できなかった猫のストーリーが紹介されていた。  うっかり目を離した隙にどっかへいっちゃったペットは、保健所ってところへ連れてかれて、殺処分になっちゃうことだってあるらしい。  もしかしたらミューだって。  心配だ。心配だ。 「お母さんだって一生懸命探したのよ。だけど家の近くにはいなかったの」  言い訳なんて聞きたくないという言葉を飲み込んで、私はいてもたってもいられず、玄関を飛び出した。あてなんてないけど、探さずにはいられない。不安ばかりが押し寄せる。  五時から探し始めて、近所を隅々まで見回して、途中でお父さんが加わって、三人で探しているのに見つからない。用水路の中だって覗いたし、家と家の隙間だってじっくり見た。なのにいない。時刻は八時半になっていた。空はすっかり暗い。  私はすっかり途方に暮れていた。 「すっかり暗くなっちゃった。もう帰りましょう」  お母さんの言葉に力なく頷いて自宅の前に来た。 「あ」  お父さんが鈍い声をあげた。  私だって驚いた。家の前の階段にミューが座っているのだ。 「まったくどこへ行ってたの?」  体から力が抜けていくようだ。 「みんな心配してたんだから、本当に心配したんだよ。勝手にいなくなったら駄目だって分かるでしょ。外は危ないんだから」 「まあまあ、よかったじゃない」  お母さんがなだめるように言った。  私は言いたいことがたくさんあって、上手にまとまらなかったから、仕方なく家に入った。ミューもおとなしくついてきた。  お母さんがふと言った。 「美甘はおばあちゃんにそっくりね」 「え」 「意地っ張りなところとかさ。それにおばあちゃんは美甘のことが大好きだったからね」  今なら分かる気がする。おばあちゃんがあの日、どうしてあんなにもがみがみ怒ったのか。 「私、おばあちゃんに何も返せてない」 「心配することじゃないよ。毎回付いてきてくれたし、優しく接してくれた。おばあちゃんも、美甘の成長を知ってずっと楽しそうだったじゃない。美甘のおもいは届いてるよ」 「そうかな」 「それよりも、おばあちゃんから美甘へ、届けたいおもいを忘れないで。まずは早く寝ること。宿題は明日の朝でいいから」
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