弥生

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弥生

              一  春の火災予防運動初日の三月一日は催し物が多く、紫芭(しば)消防署は猫の手も借りたいほど忙しかった。春とはいえまだ三月に入ったばかり。日の当たらない場所や道路わきには、黒く汚れた雪のかたまりがあちこちに残っている。  ようやくその日の業務を終えた市川純奈(いちかわじゅんな)は、勝浦朱里(かつうらあかり)と示し合わせ、白い息を吐きながら人目をはばかるようにしてファミレスにやって来ると、奥の席を脇目も降らずに目指し、座った。  座ってから改めて店内を確認すると、ほとんど客はいなかった。窓の外では白いものが舞っていた。 「ああ疲れた」 「すみません、仕事が終わってからも付き合ってもらって」  ダウンコートを脱ぎながら、朱里は弱弱しく頭を下げた。 「ああ、そういう意味で言ったんじゃあないから。気にしないで」  純奈も、解いたマフラーを、傍らにまとめたコートに乗せながら言った。 「すいません」朱里は恐縮しっぱなしだった。 「仕事中に話せることじゃないからね」  勝浦朱里は、職場の後輩である。  消防署という男社会の職場で、純奈は、朱里からなにかと頼られる存在であった。今日、純奈は朱里から相談を受け、ここへやって来た。内容はひと目をはばからねばならないものだった。  注文を受けたウエイトレスが去ると、純奈は、さて、と一度背筋を伸ばしてから、前かがみになった。 「ねえ、同期生には話せる人、いないの?」  朱里は渋い顔をした。
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