序章 香菓の神子

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序章 香菓の神子

 幼い橘花織(たちばなかおり)は夢中になって、母の菊香(きくか)が優美な手つきで餡を包んでいく様子を見つめた。  菊香が丸めた手を器用に動かすたび、漉し餡が、桃色の生地の中に収まっていく。  綺麗な玉になると、菊花は三角棒を優しく押し当て、生地に五本の筋を入れた。筋で句切られた部分を順番に指で摘まみ、一枚一枚花びらを形作っていく。  再び三角棒を取り上げ、花びらの中央に浅い刻みを入れ、別に作ってあった黄色の生地を中央に飾ると、可愛らしい桜の練り切りが完成した。 「きれい……」  花織が思わず声を漏らすと、菊香はにこりと笑い、できあがったばかりの菓子を皿に載せて差し出した。 「味見してみる?」 「うんっ」  満面の笑みで菓子を手に取り、ぱくりと囓る。上品な甘みが口の中に広がり、花織はうっとりと頬を押さえた。 「おいしい。きっと龍神様も喜んでくださるね。お母様のお菓子を食べたら、龍神様はお元気になるんだよね? だって、お母様は、龍神様にお力を与えるお菓子を作る、香菓(かくのみ)の神子だもん。龍神様はそのお礼に、神力でお天気を操って、私たちを守ってくださるんでしょう?」  花織の問いかけに、菊香はほんの少し表情を曇らせながら微笑んだ。 「私のお菓子にはそれほど力がないから、龍神様の神力は完全には戻らないのよ」 「そうなの?」  悲しそうな菊香を見て、花織は不安になった。菊香は花織の前にしゃがみ込むと、小さな手を取った。 「もしかしたら優しいあなたなら、大切な人ができた時に、真実の神子になれるかもしれない。あなたも橘の血を引く娘なのだから」  菊香はそう言うと、花織をそっと抱きしめた。 「私にとっての大切な人は、あなたのお父様だった。だから、本当の意味での神子にはなれなかったの」  花織には、母の言葉の意味はよく分からなかったが、菊香の目に涙が浮かんでいたので、それ以上、何も聞けなかった。
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