紫苑の花

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―――紫苑の花を。 9月24日。 忘れもしない。大切な日。 あいつが遠くに行った日。 いつものように、馬鹿みたいなくだらない話で盛り上がりながら、馴染みの海を見に行って、夕陽が落ちるころに帰宅したんだ。 ニケツしたバイクの後ろでお前は、その日のことを振り返りながら、しきりに感謝の言葉を述べていたのを覚えている。 いつも、ありがとうだのなんだのといった言葉をよく口にする奴だったけれど、その日はいつにも増して多かったから、余計と印象に残っている。 海が好きで好きで仕方のない奴。 けれど、電車やバスだと接続の悪い地域に住んでいる俺らは、車か、それこそあの時のようにバイクに頼るしかない。 唯一、車もバイクも免許を持っているのは俺。 だからいつも、ニケツのバイクで海まで連れて行ってやっていた。 一応、車も持ってはいたけれど毎度バイクにしていたのは、あいつの要望だった。 次第に海に近づくにつれて香る潮の匂いが好きだったらしい。 それに、と初めてあの日、2つ目の理由を言っていた。 「バイクだとさ、君との距離が近いから楽しさが倍増するんだ」 俺は、そりゃ引っ付いてないと振り落とされるからな、なんて適当に返した気がする。 だらだらと他愛のないことを話しながらの帰宅途中、俺はかねてより疑問だったことを尋ねた。 「そういえばお前さ、この時期になるとなんか紫の花を海に流すよな。あれ、なんなん?」 「ん~」 ニケツのバイクだ。もちろん後ろの奴の顔なんて見えなかったけれど、俺の疑問に少し困った様子だったのは伝わってきた。 それでも俺はその話題を続けることにした。 その時はちんぷんかんぷんだったけれど、のちのことを思えば、あの時、ちゃんと聞いておいてよかったと、心の底から思う。 「・・・風水的なやつとか?」 「んーん。・・・好きなんだよね、紫苑の花。花自体は小さいけど、寄り添って咲いている感じとかがさ。秋口に咲く花だから、大好きな海に大好きな花を添えたら最高じゃん?」 ふふ、なんて笑いながらあいつはそう答えた。 続けて、 「あとね・・・花言葉が・・・」 「花言葉?どんな?」 俺が再び尋ねると、あいつはいたずらっ子のように笑って言った。 「今は内緒!・・・いつか調べてみて。それで・・・好きだってこと、出来たら覚えててほしい、な」 「ふぅん、まぁいいけど」 あいつが頼みごとをしてくるのも、少し濁したように話すのも珍しかった。 だからたぶん、あの出来事の直後、真っ先に思い出したんだろう。 その後も、とりとめのない話をしながらバイクを走らせ、すっかり暗くなって今度は星がきれいに見えるようになったころ、ようやく自宅に送り届け終えた。 「んじゃ、またな」 互いの家はそこまで遠くないものの、お互いの生活リズム的になかなか頻繁には会えない。 次、海に駆り出されるのはきっと来月の半ばころだろう。 つまり、次に会えるのもその時だ。 「うん。今日もありがとう。すっごく楽しかった」 「なかなか頻繁に、とはいかねぇけど、また行こうぜ。お前といるとなんだかんだで楽しいし。まぁ、毎回海なのはあれだけど」 なんて軽口も混ぜつつ別れに差し掛かったところで、 「・・・あのさ。本当にありがとう。君に出会えて本当によかった。君といると楽しくて幸せなのは一緒だよ。たくさん海に連れて行ってくれていつも感謝してる」 「なんだぁ?今日はやけにこっぱずかしいことばっか言うな」 「へへ、なんか伝えたくてさ。ちゃんと、伝えたくて。でも・・・君といると、君との会話になると、一緒にいてもいなくても話したいことが沢山溢れてきちゃうからキリがないや」 にへっと笑ってあいつは手を振った。 「じゃあ、ばいばい。帰り、気を付けてね」 「おう、またな」 俺も同じように手を振り返して、再びバイクを走らせ、あいつの元を後にした。 そして、その知らせを聞いたのは、翌朝のことだった。
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