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「お忘れですか。僕は魔を滅する神です、荒魂には耐性があります。貴方を吸収した後に、神力で和魂へ反転させる算段でした。それで、十五夜の晩に約束された消滅が回避出来る筈だったんです。けれど」  朔来の魂が綺麗で、一目惚れしてしまった。  貴方を愛して、視えない傷を癒したい欲求に駆られた。  それが生じた誤算です。  心底。苦しげに絞りだされた声音と。弱りきった笑顔を浮かべた、燈夜が。慈しみ深く、けれど切ない雰囲気を醸す。その空気感に隠れた、嫌われる可能性に怯える恐怖すら感じられて。東分社を訪れた本来の理由を。明かす選択を躊躇った訳が察せた。多分、燈夜が抱く朔来への想いや恋心を。彼自身が生残りたい、という願いの為に利用したと。一方的に決めつけられ、糾弾された挙句。疑われるのが嫌だったのだろう。そうなった途端。燈夜が与え続けた愛情に、価値が無くなってしまうから。恋愛関係では意外と臆病な燈夜に、朔来は。木島と彼の会話を、盗み聞きした時みたいに。  不思議と。裏切られたとは思わなかった。  嘘吐きだ、と。糾弾する意思や駆る衝動すら、無かった。  燈夜の気持ちに嘘偽りは無いと、知っている。  利用する為に、対象から信頼を得る必要があるのは人間程度なもので。神様なら、ふたりきりになった時点で喰らえば済む話だ。けれど燈夜は、そんな選択をせず。朔来を壊れものみたく、大切に扱った。  それ故。東分社を出た直後に抱いた、燈夜への警戒が失せる程。  朔来も、燈夜を深く愛してしまっていた。  廻る思考が、答えを導きだした瞬間。何だか、気不味くなった朔来は。香染めた瞳孔を余所行きに逸らす。 「恋に堕ちても、両想いは簡単になれません。好意を寄せても、貴方の気持ちは操作出来ません。だから朔来に依代を打込み、寿命を繋ぎました。その上で道連れにされたくなければ、と脅すつもりでした」 「結婚しなければ明日を捨ててやる。って、脅迫みたいな話ですね。俺を好きになったから。燈夜サマは更に追詰められてしまった、と」 「そこで、また誤算が生じました。驚く程、朔来は生に執着していなかった。きっと東分社での境遇が理由でしょうね。貴方と接する内に。こんな綺麗な魂と消滅するならいいか、に考えが変わりました」  テーブルの上で。組んだ手指を動かす、燈夜は。何処まで話すべきか、思巡している様な。次に紡ぐべき言葉を考えている様子だった。  相手が思惑を暴露する場面に、遭遇した経験は。朔来も幾度か、あるけれど。サンドバッグみたいに。対象が、ぶつける気持ちを受止めるだけだった朔来は。黙り込んで俯き、時間が曖昧に解決してくれるのを待つばかりだった為。正解の言葉や求められる行動が、まるで分からない。  きっと、これまで通り。知らない、分からないで逃げる方が簡単だと思う。けれど、変わりたいと願う朔来は。燈夜の言葉を噛み砕き、その気持ちを完璧に理解したい。多分、それが。燈夜へ抱く好意の証明であり、貰った愛情に報いる最善だ。彼の表情から察するに。あの発言に至るまで、苦渋の決断を繰返したと思う。本気で朔来を想い、気遣って愛する彼は。積み上げた信頼を、こんな風に崩す真似はしたくなかった筈だ。それでも、裏切られたと相手に誤解させるような。発言をしてまで、朔来に真摯で居ようとした。グラスを曇らせる程の冷水を、半分ばかり嚥下した朔来は。ひとつ、深い息を吐く。 「燈夜サマは。まだ、生きていたいんですよね?」 「往生際が悪いと、笑ってください。僕は多分、限りなく人間寄りな思考の神です。自分を取巻く環境が、少し変わるだけで。新たに欲望を孕んでしまう。僕は、朔来とセックスがしたいです」  自身の胸に手を当てた燈夜が。席から尻は浮かせ、朔来を見下ろす体勢になりながら訴える。厨房の方で、グラスが割れる音など響き。付近に席を充てがわれた団体客の笑い声で。脳が眩みそうな、燈夜の発言は掻き消される。失礼しました、と。スタッフの悲鳴に近い叫びが聞こえ。一瞬ばかり、静寂が降った店内は。再び活気を取戻す。あれ?公共の場に、そぐわない言葉が聴こえなかったか。 「......燈夜サマ。それは本心ですか?」 「勿論。朔来に抱かれるなら、本望です」 「俺が誘った時は、断った癖に?」 「意地悪ですね。“義務”でするのが嫌だと、訴えたに過ぎません。行為、そのものを拒んだ訳では無いです」  そうか、きっと彼は。  この淫らな欲求を。文言通りの意味で、発した訳では無い。朔来も確かに、燈夜と肉体関係を結びたいと常々考えている。けれど。言葉は同じでも、互いが抱く意図は擦れ違っていると思う。だって。そこの部分に相違が無ければ。朔来が誘った際に、燈夜も受容れた筈だ。ふたりの欲望は合致しているのに、それでも拒む理由は。やはり、気持ちの問題なのだろう。燈夜の向日葵色した眼に映る、朔来は。まだ感情が迷子な風に視えるのか。お互いに抱く愛しているの温度が。同じか、測る方法も無いのに。結局、匙加減な癖に。頬杖を突いた朔来は、注文した珈琲と燈夜のミルクセーキが運ばれてくる様を。ぼんやりと眺めた。 「最初から。その話を打ち明ければ良かったのに。傀儡扱いだった東分社から、俺を救ったアンタが。助けて欲しいと望めば、それが残酷な手段でも受容れます。燈夜サマが救われる方法を教えてください」 「怒らないのですか?幻滅されたり、糾弾を受ける覚悟もあります」 「怒る要素がありません。アンタが寄添った時間に、嘘は無かったですよね。そりゃ、燈夜サマが甘い蜜だけ吸いたいって姿勢なら。離れますが。相手を動かす為の駆引きや損得勘定が、下手なんですもん」  俺も燈夜サマの為に尽くしたい、と思う位。  燈夜がくれた時間は。あれ以上の幸福が、朔来に訪れることは弐度も無い気がする程。満ち足りている。後向きな姿勢を改め、燈夜みたいに俯瞰で物事が考えられるようになりたいと思えた。燈夜の為に生きられるなら、それは本望。その位、燈夜が朔来に捧げた溺れそうな愛情は。嬉しかった。  燈夜は。朔来を良く理解している、と思う。  きっと。被害妄想に陥る傾向にあるネガティブな性格だと、見抜いていたのだろう。だから、燈夜は糾弾される覚悟が必要だった。  転がす言葉達を。受取る彼は驚いた様子で、向日葵色を瞠った。口許を綻ばす、朔来の表情は。気遣いや本音を隠す為の違和感ある、笑顔では無い。比較的、穏やかな雰囲気を纏う朔来に。呆気に取られた燈夜は。気を取直したように。言葉を紡いでゆく。 「僕が消滅を回避する方法は単純です。朔来が、御自身に宿す荒魂を和魂へ反転させるだけ。貴方とは、依代を介した繋がりがあるので。理論上の効果は充分な筈です。気持ちの問題で難易度は高めですが」 「気合いで荒魂を和魂に反転出来る、とか?時代遅れな根性論です」 「違います。神が保有する、荒魂と和魂の天秤は。時代背景や信仰、考え方が強く密接します。それを朔来に当て嵌めると。東分社で虐げられた貴方が、非常に強い荒魂を持つ理由も説明出来るでしょう?」 「俺が幸福を感じて、前向きになる程。和魂に変わっていく?」 「正解です。魂が純粋だから。感じた気持ちや置かれた環境で、荒魂と和魂が反転するのでしょう。東分社を脱する際、貴方の瞳が仄かに煌めく様を見て確信しました。朔来が味方な限り、僕は助かります」  その煌めいた瞳は、荒魂が和魂に反転した証拠です。  生き延びられる可能性があるなら、賭けて欲しい。  どうか、救って貰えますか?  物寂しそうな顔で。弱りきった、甘えた声で懇願する燈夜に。応える様に、朔来は神妙な面持ちで頷く。  朔来は、燈夜から溢れる程の愛情を貰った。  案内された木花神社は、朔来に敵意を抱く相手なんか居らず。儀式に参加しようと、誘ってくれた上。必要な存在だと評してくれた。花束みたいに、素敵な日常を貰っておいて。御礼や恩返しを用意しないとか、そんな薄情な話は無い。だから。例え、我が身を賭しても。燈夜の為に消費する生命に後悔はない。どう頑張れば、荒魂が和魂に反転するのか。まだ分からないけれど、覚悟を固めた朔来は。  おや?と。覚えた違和感を、燈夜へ投げ掛けた。 「今更な話ですが。燈夜サマが、十五夜の晩に消滅する理由は?神様が消滅する条件は。人間に忘れられ、神力の源である信仰を失った場合のみだと聞きました。アンタが消える条件は揃っていない筈です」 「朔来は勤勉ですね。東分社の不審な動きが目立つと、話したでしょう?要様が千里眼で御覧になった処。彼方で、大きな災厄が起きるそうです。僕の神力と相打ちを仕掛けて、漸く阻止が叶うそうです」 「何故、引受けたんですか?錫司様も采配下手だ、燈夜サマで相打ちなら。それより格上の神様に、任せれば良い話だ。アンタの依代が破魔矢だからって。悪霊退治が出来る奴は、他に居るじゃないですか」 「いいえ。あの御方が為す采配に、間違いはありませんよ。確かに悪霊退治を担う神は複数居ます。その集団内で最高位を預かるのが、僕です。上の立場に居る者が真っ先に犠牲とならず、どうするのです」  僕は。これでも偉い存在です。  指示を出すだけが、役職持ちの仕事では無いのですよ。  少しずつ近付く藍。薄く儚げに朧いだ、煌めく月。沈んだ太陽が残る光は。洒落たクラシックが流れる、半地下空間の天窓から差込み。幼く笑う燈夜を照らす。彼の穏和だが凛々しい横顔は。燈夜の為に憤る、朔来の気持ちを落着かせ。心で靄掛かる蟠りを解く。肺で溜め込んだ不満を二酸化炭素ごと、吐きだした朔来は。燈夜を失いたくないと、必死な自身に気付く。  頬杖を突いた、朔来の眼前。知らない間に、ミルクセーキを飲み終えた燈夜は。果実やピールが混ざったドリンクを、掻き混ぜながら嬉々と煽る。喉を上下させた彼は。瞳だけで無く、顔まで輝かせて幸せそうだ。  あぁ、彼の笑顔が見られなくなるのは嫌だな。  燈夜が注文したスイーツが。テーブルを埋め尽くす様など、眺めながら。ぼんやり、浮かんだ違和感の解消を求めた朔来は問う。 「錫司様の采配に納得して。諦め混じりに、消滅する覚悟を固めた癖に。可能性を探す程、生きたいと望んだんですか?」 「矛盾でしょう?僕は、ええかっこしいの臆病者なんです。朔来に惚れる前は。ハロウィンの季節に発売される、オバケモチーフのグッズを。見る前に消滅するのが嫌で、生き延びる手段を探していました」 「随分。煩悩塗れで俗世的な理由ですね」  良く言えば。タダで転ぶ気はない、という話です。  得意気に胸を張った燈夜は。手許に皿を引寄せ。素朴な見た目だが可愛らしい、三角形のケーキにフォークを刺す。中程まで食べ終えた処で。食べ口は朔来に映さないように、洋菓子自体を皿へ倒す。その上品さと、相反して。掬い上げた、それを大口で頬張る燈夜は。瞳の向日葵色を細め、堪らないと言いたげに。緩んだ頬を片手で抑える姿など晒し。とても可愛い。  燈夜サマって、不思議な存在だよな。  傍に居るだけで胸を暖かく和ませる癒し効果がある、というか。  こんな表情で調理品を堪能されたら。喫茶店側も、職場冥利に尽きるだろう。二種類のドリンクとスイーツを、追加で注文する燈夜を眺め。自分も、家庭料理や付随する菓子位なら作れるし。と、張り合う気持ちは膨らませた頬の中に留める。不満を抱きながら啜る珈琲は、やけに苦かった。  燈夜サマの同行者である俺に嫉妬してるな、この喫茶店。  舌先を痺れさす味に、言い掛かりなど内心で付けだす朔来に。不思議そうに訝しむ顔をした燈夜が。話題を、東分社に戻す。 「東分社は、貴方の古巣です。きっと、悪い想い出だけでは無かったでしょう?これから話す内容の真偽は、貴方にとって都合良い判断で構いません。要様の千里眼や調査を重ねた結果を、聞いてください」 「以前から。東分社を疑っていた様子ですが。多分、俺と燈夜サマに視えている問題は違いますね?突止めた経理や忖度なんて、社会的な部分の他に。どんな事態が、あの場所で起きているというのですか」 「まず、忌子に関する御話です。東分社には荒神を封じた、記録が残っていますよね。その瘴気に充てられた、当時の宮司を救う為に。尊殿が子孫へ継がれる呪いに書き換えました。これは正史ですか?」 「間違い無く。節目年に授かった子供は、荒魂を有して産まれます。人柱や生贄に選ばれた、歴代忌子の怨念まで継いだのか。俺の数代前から、周囲に影響を及ぼす威力で荒魂が暴走し始めたそうです」  重要性の高い内容な所為か。  雰囲気は重苦しさを纏っているが。燈夜の手許で主張する、可愛らしいスイーツ達に。意識を持っていかれる。向日葵色を据わらせた燈夜は。フォークをスプーンに持替え、パフェの攻略に掛かる。抹茶とチョコらしきアイスを堪能する、彼の左手は。荒目の包帯が巻かれていて。知らない間に、散乱した倉庫から救急箱を発掘出来ていたらしい。そんな些細な変化に、朔来が注意深く観察している隙にも。燈夜は、懸命に考えながら慎重に言葉を紡ぐ。その振舞いは、隠し事のボロを出さないように意識していると言うより。朔来が傷付かないように、配慮しているのが分かるので。純粋に嬉しい。 「以前。朔来が話していた、強過ぎる荒魂の起こす問題がありましたよね。そんな東分社を揺らがす事態に陥り、被害も発生する割に。中央に、相談や報告の連絡は一件も届いていません。何故でしょうか」 「プライドが高い両親です。中央から受ける評価を懸念したか、世間体を意識して。内輪で問題を、収めたかったのだと思います。本来であれば。問題の解決案や対策を仰ぐ為に、報告は必須でしょうが」 「東分社なら考えそうですね。もし、その模範解答がカモフラージュで。別の場所に目的があるとすれば、どうでしょう?例えば。忌子の産まれる連鎖が出来る要因を、何か理由があって復活させたいとか」 「そんな馬鹿な話がありますか?人間に苦痛など与えた荒神を封印した、張本人が解きたいって。その目的と、強過ぎる荒魂が起こす問題には。繋がりがあると、燈夜サマは考えているってことですか?」  朔来。中央の地を踏んでから、荒魂は暴走していますか。  あの繁華街に居た悪霊や怪異達は、貴方を襲いましたか。  空になったパフェグラスは傍に。柄の長いスプーンを朔来に突きつけながら、燈夜が尋ねる。その言葉を受けた、香染めた眼は呆然と瞬きを繰返す。指摘されて。あ、と声を上げる程。気付き、それから驚愕した。  確かに。東地域で分社を出た瞬間、追掛けてきた悪霊達は。駅前で雑踏に紛れ、呑気に彷徨っていた。木花神社では、儀式を手伝わせて貰ったのに。神具や祭壇が壊れたとか。雷が祠に落ちたやの、関わった存在が行方不明になることも無かった。両親や尊に散々。糾弾されてきた筈の問題が、中央で起きていない。脳裏で振返った記憶と、燈夜の言葉を総合して。腑に落ちた朔来は。ひとつの結論に、辿着く。
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