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「え?は、セ、セッ......クス、ですか?」  水を溜め切ったか。鹿威しの、石にぶつかる音が壁を擦り抜けて。外から室内へ響く。きっと、朔来が落着く言葉を贈ろうとしたのだろう。燈夜の柔い声音を遮って。突拍子も無い提案を放った朔来は、神妙な面持ちで頷く。説得する為に、脳が言い包めの作戦を立てる間。向日葵色を瞠り固まる燈夜が、困惑と絶句の混ざる表情で狼狽える。  かぁっ、と。  彼の頬が、一息に朱染まる様を見たのは弐度目だっけ。  変質者だの、塀の向こうだ言われる彼だが。意外とピュアな面もあるんだよな。あの余裕や威厳のある姿は、気張って誇示しているだけと。知ってしまえば、愛おしく思う。  暫し。狼狽え、慌てた燈夜だが。朔来の額に掌を当て、顔色など異常が無いか確認した後。掴んだ手首に指先を添え、脈拍数の計測まで済ます。道端で倒れた要救護者を相手にするように。忙しなく触診を繰返すも。彼が望む収穫は得られなかったらしい。何処か追詰められた、鬼気迫る必死な表情。けれど心底、困った雰囲気で。馬乗り姿勢の状態で、燈夜が朔来を見下ろす。 「平熱で脈拍数も通常ですね。意識を失った際に、頭を打った様子には見えなかったです。単純に和魂を吸収し過ぎた副作用ですか。荒魂が悪影響を及ぼしている?......結論を急がせ過ぎてしまいましたか」 「婚約者、でしょう?そう、変な発言では無い筈です。俺は真剣ですよ。祓いの補助役が連勤出来ない理由は。この身体で歪む荒魂と和魂が、燈夜サマの神力を使用した反動で爆発する。という話ですよね」 「はい。その考え方が正解です。人間の言う、天ぷら油の火災が近いと思います。朔来は聡明で凄いです。それが、どうして。その、セ、セックスに繋がるのですか。もう!卑猥な単語は言い慣れません!」 「行動は平気でする癖に。そして和魂酔いは、燈夜サマの依代が馴染めば治るって話でしたよね。なら、俺がアンタの神力を手っ取り早く吸収すれば。問題の反動が、上手く抑え込めるのでは無いかと思う」  俺は。式神達より有用な、燈夜サマの武器になりたい。  ね、悪くはない話だと思いませんか?  そう、甘えた声で訴え掛けた朔来は。燈夜に掴まれた手首を捻り。指の股を爪先で引っ掻きながら、緩く絡ませながら弄ぶ。そんな朔来の掌を撫でた燈夜も。躊躇うも確実に、手を繋いでくれる。  想い出に数えられるかも怪しい、瞬き程度の時間だが。  なんだか、幸せだなぁと。  溶けそうに甘い瞬間に浸る、朔来とは相反して。眉根を吊り上げた燈夜が、難しい顔になる。常ならば。変態行為を仕掛け、好きと愛しているを連呼する彼だ。勿論、と頷き。手放しで喜んだ上で、この提案を受容れると考えたが。どうやら、違うようだ。予想外の反応に、おや。と、朔来は香染めた眼を軽く瞠る。数分前みたく、怒っている雰囲気では無いけれど。失望気味な燈夜の溜息を聞いた、朔来は。  失敗した。  落込みかけた自覚を、取繕うみたく。両手を顔の前で振りながら、懸命に弁明する。 「俺は。忌子の肩書きが強過ぎて。神職資格の方は、活かせて来なかったんです。だから、初めて神職として為せた功績が。嬉しかったんです。燈夜サマとの祓いを成功出来た達成感が、幸せに感じられた」 「確かに合理的な提案だと思います。ですが朔来、初夜は結婚式の晩と相場が決まっているでしょう?“したい”では無く“義務”で、そういった行為をするのは嫌です。申し訳無いですが、賛成は出来ません」 「義務......?」 「僕は朔来が好きです。貴方も自認出来ないだけで、恐らく同じ気持ちでしょう。ですが、行為に至るには両想いが薄過ぎます。この距離感で赦される行為なんて精々。キス、或いはボディタッチ程度です」  朔来から受ける愛情が足りなさ過ぎます!  照れを誤魔化す目的か。呻き声混じりな燈夜が、羞恥を堪えた様子で。視線は余所行きに逸らして叫ぶ。室内で木霊する神様の訴えに、電撃と似た衝撃が朔来の脳天を直撃する。  確かに、と。妙な納得が胸に落ちた。ならば。どうすれば、燈夜に分かりやすく愛情を捧げられるだろうか。  好き、と事ある毎に言ってみる?  一緒に過ごす時間は、ずっと手を繋ぐとか。  どんな理由でも、あれば。キスを仕掛けたり。  なんだそれ、幸せじゃないか。  熟考を巡らす朔来は。見つけた最適解に、口許を綻ばせてゆく。若干、胡散臭いけれど。試す価値はあるじゃないか。その考えに至った途端。燈夜を見つめる朔来の瞳は、純粋に輝いていたと思う。祓いの時に感じた一際の達成感が、また味わいたい。今度は、きちんと。燈夜の助けになれた、満足に浸りたいし。これなら、安心して任せられると。認められ、褒められたいと強く願う。  そういえば。意識を手放す直前、木陰から覗いていた陰。あれを認めた本能が。精神を守ろうと、防衛意識を働かせたのが。倒れた理由の、ひとつであると思う。そうだ、あの時。認めた存在を、燈夜にも共有する必要があったのに。あのっ、と声を出し掛けた朔来の額を。燈夜が指先で弾いた。 「まずは。追出されるかも、という。貴方の不安を、解消する必要がありますね。手始めに制服を受取ることから始めましょうか。木島に手伝わせます。話せば、怖いという先入観も払拭出来ると思います」 「制服、ですか?」 「形から入るタイプだな、と思われたでしょう。意外と重要な意味を持つのですよ?制服は、学校の看板を背負って歩いている様なもの。と、学生時代に言われませんでしたか。組織の一員である証拠です」  つまり。朔来が木花神社の一員である証明。  或いは。雇う側が、貴方を邪険に扱えば。此方も世間に悪い印象を与える。お互いの為に存在する、首輪と考えて良いでしょう。  薄暗さを帯びた笑顔で、燈夜が告げる。彼の言葉を受けて、漸く。東分社が、朔来に制服を与えなかった理由に気付く。パワハラやイジメなどに対して、寛容な時代は終わった。それが何を意味するか。父親や尊の持つ考えが、燈夜と同じなら。制服を着た朔来は東分社所属と、周囲は判断するだろう。そんな彼に罵倒して拳を振り上げる、宮司の姿なんか万が一にでも目撃されたら。どうなるか。きっと、動画や写真などの証拠を添え。憶測や事実無根な噂話までもが、ネットの海に放流されるだろう。そうなれば、誹謗中傷の嵐だ。けれど、制服を着用しない朔来ならば。東分社側も、どんな言い訳でも通用させられるという算段か。  変な処には、頭が回るんだな。  様々な状況を想定して立ち回らないと、生き残れないのだろう。  呆れに近い感心を抱き。遠い眼を窓枠の向こう側へと向ける。そんな朔来の頭を、慰めるように燈夜が撫でた。 「そういえば、朔来。食べ物の好き嫌いはありますか?」 「へ?突然、どうしたんですか」 「真矢と真弓に、聞いておくように頼まれました。夕飯は、朔来が好きな料理を用意してくれるそうですよ?少しずつ貴方を知り、相手への好きが募る、この感じ堪りません......!僕も楽しみにしています」 「......パンの耳が嫌いです。ラスクを作って食べたら、砂糖に硝子片が混ざっていたことがあって。好きな食べ物、は。子供の頃に神職さんが連れて行ってくれた、洋食屋のオムライス。美味しかったなぁ」 「朔来。すぐ東分社を滅ぼしましょう。事情を話せば、木島も納得する筈です。真矢と真弓にも同行をお願いします。貴方を苛むモノは、根絶するべきです。久方振りに本気を出せるとは、腕が鳴りますね」  大輪の花が咲いた瞬間のように。美しく微笑んだ燈夜だが。眼だけが据わっている所為で、怖い。指先を繋ぐ力が強くなった為に、痛いと訴える朔来に。は、っと我に返った様子で向日葵色を揺らした燈夜は。少し、バツが悪そうな顔をして。  繋いでいない方の指先で。まだ緩やかに涙が伝う瞳縁を、愛おしげになぞり。額に落ちる口付けが、朔来へ更なる愛を期待させる。影響を受けた身体は、緊張で強張ってゆき。本能が呼吸を止めて数秒。熱情が込められた唇は、朔来の乾いた紅と重なり深く食む。  全身から顔に集中する高い温度は、きっと。蝉が鳴き声で、暑さを意識させるから。余計、熱が昂った所為。頬の内側を這う、痛み混じりの甘美な痺れが。脊髄を伝い、腰辺りで溜まってゆく。深味を増した濃いキスは。幾度、繰返しても慣れることは無くて。無意識が、燈夜の首筋へ縋るように両腕を絡ます。快楽へ溺れ、徐々に弛緩してゆく身体が。布団に沈む感触が、背中の骨や筋肉を軋ませる。仰反る後頭部から、銀糸を残して離れてゆく濡れた唇を。名残惜しげに眺めれば、満足気な顔で。燈夜が、朔来を見下ろす。その向日葵色した眼は蕩け、妖艶な雰囲気を漂わせる。少し乱れて肌蹴た着物の隙間から垣間見える、胸の飾りが。ぷっくり、と色付いて。彼が纏う衣服を乱雑に掴んだ、数分前の朔来と握手したい。  そんな下心が透ける朔来に。深い溜息を溢した燈夜は。呆れた様子で、朔来を見下ろすと。布越しに、下半身の膨らみを指先で弾いた。 「性欲を滾らせる程、惚れ込んでいる癖に。その身体で次の奉仕先を探す、おつもりですか。僕としたキスの味を、簡単に忘れられると言うのですか。不安は抱え込まず、先に相談してください。約束です」 「......燈夜サマが、そう仰るなら。約束します」 「木花神社の面々に。貴方を厄介者扱いしよう、なんて悪意はありません。木島は、本人以外の神職が居ないので負担が減ると歓迎していました。双子達も既に接した通り。あの気持ちに表や裏は無いです」 「本当ですか。燈夜サマの憶測、という可能性はありませんか?」 「それは有り得ません。神職契約や使役などが結ばれる理由を、御存知ですか。裏切りや謀反を避ける為です。神は、縁を繋いだ相手の気持ちを色で視認出来ます。不便な点もありますが、有益でしょう?」  心が読めたら、壱番なんでしょうけれど。  知らない、が幸せなことも。常世には幾つもありますからね。  少し寂しげに、眦を下げた燈夜が笑う。横に退いた彼が差出す手を頼り、起き上がれば。脳の重たさが前へ掛かる感覚が、朔来に現実である認識を促した。燈夜がくれた言葉は、気休めや慰めの一種かもしれないが。まだ此処に居ても良い、と許可が得られた様で落着く気持ちと。もっと、褒められるように頑張りたいと改める決意。少し、前向きになれた朔来に。貴方なら大丈夫、と微笑む燈夜は眩しかった。 「数十分あれば足りますか?木島には、その位に部屋を訪ねるよう伝えておきます。早めに、溜まった欲望の処理を済ませてくださいね。僕を好きだと、頭では理解出来ないのに身体は正直で嬉しいです」 「......燈夜サマ。抜き合い、しませんか?」 「お触り禁止ですよ?以前より、素直に欲望を曝けだす朔来は好きですけれど。断られて我慢を強いられながら、苦悶する姿が見られると思うと。更に愛おしく、貴方が晒す痴態に嬉しく感じられるのです」  だって、そうすれば。  朔来の頭は、ずっと僕を考え続けるでしょう?  なんて、素敵なこと。恍惚と蕩けた眼で。心底、愛おしそうに燈夜は朔来に微笑む。意地悪だ、と糾弾を返すも。満足気な雰囲気を纏った燈夜は。着物の裾を美しく翻しながら、立ちあがると。綺麗な所作で襖を開き。壱度だけ振返ると、妖艶に微笑み朔来の心臓を揺らす。 「木島。僕は、要様に提出する為の報告書を作成します。貴方は、神職の移動書類を東分社に送り終え次第。朔来に制服の支給を、お願いします。終わった頃合いを見計らって、僕も顔は出そうと思います」 「承知致しました。そういえば、燈夜様。朔来さんに託された書類ですが。然るべき機関へ投函が、無事に済みました。彼等の息が掛かっているのは、東地域のみです。すぐに人間の法で裁かれるでしょう」 「有難う御座います。では引き続き、人間側の機関と連携を怠らないでください。要様にも報告をします。同日に東分社を叩く方向で、調整したいです。絶対に彼等へ悟られないよう、慎重に動きましょう」 「燈夜様の御意志通りに」  ん?と、香染めた眼が瞬きを繰返す。  ちょっと、待ってくれ。と、自身に言聞かせながら深呼吸。  違和感を覚えた朔来は。冷静な面持ちで、頭に疑問符を浮かべる。  燈夜と木島の会話が、丸聞えする程に近く。完全に閉じられてはいない、襖の向こう側では。大きさの違う、ふたつの陰が揺らぎ。燈夜の薄い背中越しに、狩衣の袖部分が見えた。  徐々に。顔が青褪め、身体から引く血の気を自覚させられ。抱いた疑惑は、確信に変わってゆく。一瞬だけ、現実逃避をする為か。燈夜の横顔が綺麗だと、見惚れた朔来は。両手で樺茶染めた髪を乱し、掻き毟りたい衝動は抑え込む。若年性のハゲになるのは御免だ。スキンヘッドは、自分を強く魅せられそうで格好良いかもしれないけれど。部屋を出た燈夜が。ぱっと、声を掛けられる程。木島が近くで待機していた、となれば。  セックスしよう、と誘っていた言葉も聞かれていた?  だとすれば、木花神社での生活は終わったも同然では。  そんな考えに至れば。朔来の背筋を冷汗が流れ。言い訳や弁明の出来ない、もどかしさで焦りが募る。脳が眩む感覚と、半ば朦朧とする意識の狭間で。朔来は、酸素や言葉などを求めるように口の開閉を繰返す。燈夜と同じくらい、親しい関係でも無い木島に。あんな猥談を聞かれて。どんな顔で、木島と対峙すれば良いのか。狼狽える朔来の気持ちに応える様に。滾っていた下半身が萎えてゆく。ちらり、と燈夜が横目で。朔来を見遣る行為をしていたのも、気付かない。 「真矢と真弓は、掃除中でしたよね?終了報告を受けたら、僕の部屋を訪ねるよう伝えてください。お手数ですが宜しくお願いしますね」 「承りました。燈夜様も神力の回復に努めてください。朔来さんがいらして以降。常に御自身のことは、後回しで居られるのですから」
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