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 寄添う燈夜の色気に。惑わされた朔来の気持ちが、落着いた頃。  遠慮気味に緩く襖を叩く音が、鼓膜で響き。  具合は、どうですか。動いても問題は無さそうですか、と。  体調を伺う言葉と共に、木島が姿を見せる。眼を合わせない処か、首までも不自然な角度に傾げ。傍目には、彼との親睦を明らかに避ける姿勢に映ったと思う。けれど。決して、歩み寄る意思が無い訳ではなく。気不味さを誤魔化す為だが、その意図が的確に伝わっている気がしない。訪れた参拝客や相談者も、容易に気を許せそうな。人好きする愛想良い笑顔を、僅かに引き攣らせた木島だが。御案内します、と。冷静に対応する辺り。流石、中央所属の宮司だ。  此方です、と先導する彼に従い。廊下を歩く朔来の素足に。傷や塗装剥げが目立つ、年季入りの木目が。肌へ張付く感覚に、少し気持ち悪さを掴む。朔来の数歩前を往く、木島が晒す背中は。様々な経験を積み、自身の在り方に正解が出た風な。重々しい雰囲気を醸す。  そうだ。相手を詳しく知らない癖に。勝手に抱いた印象で、苦手意識を持つのも理不尽甚だしい。少しずつ理解する処から始めようと。香染めた瞳を彷徨わせ、内心で話題など探す朔来は。狼狽え、痞えながらも。懸命に言葉を紡いでゆく。 「あ......あの」 「慣れない環境で御苦労された上。燈夜様に振回されて、大変でしたでしょう?あの御方は、御自身の役割以外に無関心故。朔来さんに対する執着強さは、驚きました。感謝しています、有難う御座います」 「感謝される謂れがありません。暴力や恐喝を受けると考えていました。燈夜サマを誑かした、とか。東分社の忌子が中央で神職を名乗るなど生意気だ、やら。身体を売り、忖度されたと糾弾されるかもと」 「想像力が豊かな方ですね。そんな嫉妬が渦巻く環境なら。朔来さんが木花神社に到着した時点で、真矢と真弓に刺されています。私は燈夜様が嫌いな部類です。神職の移動願いも幾枚、したためたことか」  ペンダコが慢性化する程には、綴ったと思います。  衝撃を与える発言など、さらりと流しながら。朔来を振返った木島は。仄かな照れ笑いを浮かべ、懐旧の籠る雰囲気になる。そんな皺に埋もれた彼の眼が。朔来の胸奥で蟠らす不安を見抜いた様な感覚に。一瞬だけ、足が竦む。  木島さんは、燈夜サマが嫌い。  その明言は純粋に嬉しかった。主従する相手に、僅かでもマイナスな感情があれば。緊急事態など起きた際、その面が強く表出る傾向にある。つまり土壇場で、木島は燈夜を裏切る可能性が高い。それならば、朔来だけは燈夜の味方だと胸を張れるし。その言葉を悪用して、燈夜を朔来に依存だってさせられる。  けれど。木島の嫌いだ、発言を受けた鼓膜は。壊れたテープレコーダーのように、その言葉ばかり反芻して。都度。燈夜の笑顔や凛とした格好良い姿を、想いだす所為で。酷く悲しい気持ちになる。燈夜を独占出来る、嬉しい機会な筈だったのに。嫌われているのは、朔来じゃなく燈夜なのに。  どうして胸が痛むのだろう。  生涯で出会った相手、全員に好かれるなんて。無理な話だと、誰もが知っている。だから、朔来が好きな燈夜でも。他の誰かに嫌われている、そんな状況は当然だ。それが判明した処で、朔来には影響の無い範疇で。寧ろ、どうでも良い部類に分けられると思う。  それなのに。燈夜は、悪い奴では無いと理解して欲しい。木島が燈夜を見直す機会なんか、設けたいと想う訳が。漸く、分かった。  あぁ、そうか。燈夜を愛しているから苦しいんだ。  着用するシャツごと。自身の胸元を掴んだ朔来は。蝉が嘶く中。再び迷い、痞えながら言葉を絞りだす。 「燈夜サマが、嫌いな理由を窺っても?確かに変態で、喋れば戯言だらけですが。神様としての面は、凛と格好よく真っ直ぐで。彼にも良い処は、沢山あると思います。貰った言葉に俺は、幾度も救われて」 「燈夜様を良く理解されていますね。私は、あの御方が嫌いながら尊敬もしています。彼は作業を効率化したり、略式で済ますでしょう?それが歴史や伝統を軽んじているようで。その姿勢に苦手意識より」  嫌悪感を抱きました。  実際に試せば。便利や楽だ、と感じられて。簡単に受容れてしまうのですが。それでも納得出来ず反発する、以前の私は。随分と、頭が硬く。意固地だったと思います。燈夜様の柔軟な、お考えは。若い方の気を惹く魅力があり。参拝客の増加にも繋がる実績を、お持ちで。驚かされるやら、感心させられます。 「猫や季節の花を刺繍した、御守りの販売は。年配の方にも評判が良く素晴らしかったですが。ライトが七色に点滅する、少年心を忘れないモデルを提案された際は。流石に、拳を叩き込んでしまいました」  日曜の朝は、式神達とテレビに張付くタイプだな燈夜サマ。  思わず、遠い眼をする朔来の鼓膜に。抑揚は無いながら、楽しさを含んだ声が響き。木島が燈夜の前衛的な活躍に期待している様な、雰囲気さえ感じられて。この宮司は、自身が奉仕する神様を嫌いながら。部分的に認めているのだな、と思う。  なんだ、結局。この宮司も燈夜サマが好きなんじゃないか。  そう、実感した胸を暖かい安堵が包む。思わず、口許が綻ぶ朔来を他所に。ふと、歩みを止めた木島は。浄衣の袖を片手で抑え、持ち上げた腕は朔来へ振るう。咄嗟に身構え、落とす視線先では。宮司の足袋に包まれた脚が、不自然に数歩分ばかり退がり。蹴られる、と怯えた本能が。身体と神経を竦ませた背後で。  スパンッ、と。  勢いよく、障子を開く音が響く。  驚いた朔来が肩を跳ね上げ、硬く瞑る目蓋の底より。香染めた瞳孔を、顕にすれば。表情と頭に疑問符を浮かべ。不思議そうに朔来を見下ろす、木島が映る。 「朔来さん?まだ本調子では無いのに、ご無理をさせてしまいましたね。気遣いもせず、連れ回す真似などして申し訳ありません。飲み物を用意しますので休憩にしましょうか。燈夜様も、お呼びしますか」 「あの、えっと。体調は問題ありません。御心配頂き、ありがとうございます。俺の勘違いで迷惑を、お掛けして申し訳ありません」  あぁ、駄目だ。やっぱり。宮司格である木島は、苦手だ。  狼狽える視線と迷子の言葉は、朔来の意思で落着くものじゃない。本能が警戒を強める、宮司という役職に対する恐怖。種族が人間で歳上の男性、なんていう父親に近い特徴。そんな広義の物差を使わなければ。木島と父親は、全く異なる存在だと脳での理解は出来ている。頭を抱えて、唸りたい衝動に駆られた朔来は。自己嫌悪へ陥った。  だって。木島の視点で状況を映せば。ただ、燈夜の指示に従って目的地まで案内したら。まだ、浅い関係の朔来が怯えた。意地悪や嫌がらせを施した訳でも無いのに、そんな仕打ち。嫌だろう。  こんな時。どんな言葉を選べば、弁明になるのだっけ。  いや。もう、取返しのつかない位。関係に亀裂が入っている可能性も高い。朔来の胸奥から滲む、黒い影が全身まで覆い。脳内で積み重なる、無為な記憶が。宮司、という役職だけで。父親と木島を同格に捉えてしまう所為で。神経を張詰めさせた朔来は、強く奥歯を噛む。大丈夫だから、と幾度も自身に言い聞かせているのに。異常な呼吸音が、喉奥から溢れ。心臓を打つ脈拍数が、徐々に加速してゆく。 「違うんです、木島さん、俺は......いえ、申し訳ありません」  燈夜が傍に居てくれたら、と思う。  そうならば。きっと、彼が上手に取り持ってくれるから。  幾ら、気遣いある接し方をする優しさを理由にしても。燈夜に頼り過ぎるのは良くないと、朔来も自覚はしている。けれど、仕方ないじゃないか。本能に植えられた恐怖は、頭での理解や意識より。ずっと強い権力を有するのだ。  木島と父親は違う、当然。中央の持つ考えが、東分社と異なる新鮮さとか。忌子の朔来に、魂が美しいと受容れる神様達も通して。この場所に敵は居ないと、身体では充分に感じている。けれど、簡単に警戒が解ける程。朔来が負わされた傷は、どうやら浅くない。  どんな振舞い方が、正解だ?  敵意を向けてすらいない相手に怯える、朔来の態度は。木島からすれば、きっと最悪だった筈だ。この一方的な悪者扱い、例えるなら。そう、痴漢冤罪を受けた気分と同等になる。その位、失礼な奴には。苛立ちを覚え、激昂したくなるのも当然だろう。燈夜へ奉仕する、神職仲間だと認めるのも嫌になるに違いない。  嫌味な感情は無い、と。  伝えたいのに、声帯は謝罪の言葉にしか震えない。  解決策すら見出せず、俯くばかりの朔来は。勇気が湧くよう、御守り的な効果を期待して。燈夜の名前を、頭が馬鹿になる位に胸内で反芻する。幼少期から言い慣れてきた筈の、ごめんなさいすらも。東分社と木花神社では、吐出す際の重さや価値が異なる気がして。喉奥で痞える言葉に、戸惑う朔来を。眉を下げた困り顔で受容れ、優しく微笑んだ木島が。泣き噦る子供を宥めるように。その頭を、大きな掌で撫でた。 「此方が備品倉庫になります。文房具の替え等、細々した品も多いので。在庫確認と発注書作成は少し大変ですね。今回の目的は、朔来さんが着用する勤務正装の発掘が目的です。頑張って見つけましょう」 「そんな、大掛かりな捜索になるんですか。固定の場所に用意してあるものでは?他の場所に保管されている可能性も、あるのですか」 「えぇ。紙面上に記録された保管先。それと、実際の場所が異なる場合が多々ありまして。ウチは、付喪神が居られない代わりに。道具を使うだけで片付けの出来ない、愉快な神様が三名程おりますので」  全く。神具は管理も徹底した、厳重な保管が出来ている癖に。  人間の道具は。量産型が殆どで変えは効くから、使いたい時。見当たらなければ、買えばいいやとか。消耗品に執着しない、とは言え。費用面も考慮して欲しいものです。  呆れ顔で項垂れた、木島が。深い溜息を溢す。彼が、愚痴を溢したくなる気持ちは。聞いた話と眼前に広がる惨状を認めれば。詳細な事情を知らなくても、激しく同意出来る。同時に。朔来は、香染めた瞳で瞬きを繰返す。理由も無く怯える朔来に、木島は事情を聞かなかった。朔来が抱える、視えないを抉らないよう。配慮してくれた、と思う。無理のない程々で接する位が、彼との理想的な距離だと知る。  案内された倉庫内は。足の踏み場もない程。様々な備品が転がる床と。カーテンレールに掛かるハンガーには冬物の衣服が、窓から差込む陽光を拒む。お陰で空間は、昼間でも電気を頼らなければ。どんな品が置かれているか、探し物は何処か分からない。本来、季節物の衣服は。防虫剤とケースに保管する必要が、あるのではないか。強盗の侵入を疑いたくなる部屋を見回す、朔来の足元で。押入れを開いた木島は。様々な道具名が書かれた段ボールを漁り。漸く、横長な木箱を引っ張りだした後で。たとう紙に包まれた着物を、朔来へ差出す。 「あの衝立裏で試着して御覧なさい。サイズや裾丈を確認してください。燈夜様の無計画が原因で、荷物を纏める暇さえ無かったと思います。後程、衣服等を揃える為に通信販売サイトを覗いてみましょう」 「通販、ってネット媒体ですか?先代から懇意にされている商店がある、とか。販売員が母屋まで訪問なさる、では無いのですか」 「そんな閉塞的な慣習は。とうに、燈夜様が撤廃されました。店の掲げる拘りに、共感出来なければ。安価で大量購入が叶う、通信販売の方が便利だそうです。玄関まで届けてくれるので、便利ですよね」  さあ、着替えてしまいましょう。  もうすぐ燈夜様も、いらっしゃいますよ。  そんな言葉を添えながら。手渡された、重たく上質な布地の塊は。確かに神職衣装、狩衣で。忌子である朔来が、袖を通すなんて。本当に赦されるのだろうか。土壇場になって、込み上げる不安が朔来を脅す。これまで、ずっと。手が届く位置にありながら、触れられず居た憧れを。両手で抱えている、この状況が夢のようで。どうぞ、と。実際に促されてしまえば。直前になって、幸せを奪われそうな感覚に襲われて怖くなる。  過去の経験が。どうせ、また奪われるよと。朔来の耳元で囁く。  幼稚園の帰り道。宮司達に内緒で訪れた、図書館で。優しかった神職が読んでくれた、童話。マッチ売りの少女が、物語終盤で儚い灯へ幸福な幻想をみた瞬間に覚えた感情が。漸く、理解出来た気持ちになる。幸せだ、と感じる時間程。失うまでが、残酷な位に早い。結局、父親の息が掛かった図書館司書により。あの、お姉さんは。東分社に戻った直後。儀式に参加するよう指示を受け、行方不明になった。まるで、朔来に穏やかな時間は赦さないとでも言いたげに。  もし。此処で朔来が、狩衣を纏えば。燈夜や木花神社の存在すら、消えそうで怖くなる。燈夜から明日を奪って、朔来も後追いすれば。この幸福は、永遠になるのではないか。香染めた瞳が、乱雑に書類が仕舞われたカラーボックスの上で煌めく鋏を捉えたのと。背後から唐突に、愛しい声が聞こえたのは。ほぼ、同時の出来事だった。 「朔来?まだ試着されていなかったのですね」  皺が寄りそうな程。強く布地を握り、俯いていた朔来は。振向きざまに、利き手である左指で鋏を掴む。鋭利な切先で、素早く燈夜の喉を狙うも。季節外れな椿花を咲かせたのは、拳に丸められた色白な掌だった。手首を流れ続ける鮮血に動揺した、朔来が。鋏に絡んだ指先を解けば。刃物を地面へ投げ捨てた燈夜が。やらかした事の重大さに青褪めた顔で震える朔来へ、平気ですと微笑み。負傷していない方の腕を伸ばすと。朔来の前髪を持上げ、口付ける。神様に攻撃を仕掛ける、なんて。身の程知らずな真似をした朔来は、神力で罰せられるのが当然で。優しくされる筋合いは無いのに。  どうされたのですか、と。  到底、責め立てる口調では無く。癇癪を起こした子供を宥めるみたいに。朔来が落着くように促す雰囲気を纏っていた。毒気を抜かれ、弛緩する朔来の身体は脚元から床へ崩れ落ちてゆく。馬鹿みたく、謝罪を繰返しながら。必死で、不安を吐露する朔来に。燈夜は、眉を下げた同情的な表情になって。暖かな掌で背中を叩いた。 「......本当に。この制服を俺が着ても平気なのですか?」 「はい。心配は無用です。狩衣に袖を通せば、朔来が木花神社の仲間入りをするだけです。誰も行方不明にはなりません。だって貴方は。東分社が統率を得る為の、必要悪に仕立て上げられたに過ぎません」 「燈夜サマ。救急箱を探す間、此方で止血なさってください。ほら、日頃から使ったら戻すを徹底しない所為で。迅速な手当てが必要な場面で困る羽目に陥るんです。これに懲りたら片付けを徹底しなさい」 「木島。このシャツは、真弓が気に入っていた廃盤品では?」 「あ......」
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