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 丸めた布の塊を。燈夜が怪我をした部位に押当てた、木島は。神様に指摘を受け、初めて。己が犯した失態に気付いた様子で。不味い、と顔を引き攣らせる。反対に。普段、勝てない相手の弱点を見つけた時と同じ。瞳を輝かせ、得意満面な表情など映す燈夜は。揶揄いを含んだ、面白がった口調で。好機、とばかりに木島を追い詰めてゆく。 「急ぎ、謝罪した方が良いですよ?真矢の場合は怒鳴り、糾弾して感情を発散させれば。数時間後には元通りですが。真弓は涙を浮かべた笑顔で。落込みは隠して、気丈に振舞う所為で感情を抉られます」 「謝罪は当然です。血抜きが間に合えば助かるのですが。最悪、フリマアプリで代替品を用意します。真矢にも糾弾されるのが辛いです。彼女、真弓を傷付けられる行為が何より赦せない質なんですよね」 「血抜きをされるなら。真矢と真弓の気を逸らして、時間稼ぎが出来れば理想です。最近は、日曜の朝に放送されている可愛い女の子が戦うアニメがトレンドな様子です。関連商品の購入を、お勧めします」 「あの!式神達に謝罪させてください!元はと言えば、武器を振り上げた俺の責任です。燈夜サマが罰を与えてくれないなら。自己満足と思われても構わない。どうか、贖罪する機会を頂けませんか?」  いえ、その辺にシャツを脱ぎ捨てた真弓の責任です。  切実な表情で、悲痛に訴える朔来へ。燈夜と木島の冷静を帯びた声が、綺麗に被さり返る。足の踏み場もない床には。散らばる紅い小花と、血液を吸った鋏が転がり。現実以上の、大袈裟に凄惨な現場を作る。件の刃物は、感触よりも燈夜の掌を深く抉ったらしい。自治会名と盆踊りの回数が書かれた、贈答タオルが。止血の役割を任されていたが、白生地が紅で染まってゆく。救急車も検討する必要が、ありそうな状況に構わず。狼狽える朔来に、燈夜は優しく微笑んだ。 「此方は気にせず、早く着替えて見せてください。公的な手続きは済んでいます。後は朔来が制服を纏えば木花神社の立派な神職です。もう東分社に強制送還をされることもありません。安心してください」 「燈夜サマ。ありがとうございます」 「朔来さんが交わした神職契約を覆せるのは。燈夜様と要様、それ以上の格を保有する神様です。そういえば。制服と私服では、相手に与える印象が変わるそうですよ?昨日は、お楽しみでしたね。なんて」  壱度は言いたい台詞ですね。  細めた眼を皺に埋め、木島が事も無さげに言い放つ。  余りに自然過ぎる発言だった為か。数瞬ばかり、空間を漂う時が止まり。先に我に返ったのは、燈夜で。木島を軽く睨んだ、彼の隣。  ぽかん、と。  頭が真っ白になった朔来は。呆気に取られ。その反応に瞬きを繰返す燈夜は。暫く、様子を窺っていたが。やがて着物の袖で口許を隠しながら、小さな笑い声など溢す。言葉の意味を理解する為に。脳が、木島の揶揄い混じりな音吐を幾度も反芻して。壱度、深い深呼吸で繰返しを止めれば。身体中の熱が、顔に集まってゆくのが分かって。じっとりとした夏の暑さが、噴きだす汗で背中を濡らす。拳を震わせながら、朔来は俯く。宮司、という役職に纏わる因縁は無関係に。  やっぱり、木島は苦手だ。  燈夜を誘う、品性の欠片もない猥談が。予想通り、聞かれていた。素知らぬ振りで黙り、澄まし顔をされるのと。こんな風に、遠回しな暴露を受け。物笑いの種として扱われるのでは。どちらの方が、傷は浅く済むだろう。若いとお盛んで良いですな、と言いたげな。意味深な目配せを送る木島に。  そうだ、切腹しよう。  と、叫びたい衝動に駆られた朔来は思った。 「朔来。狩衣は着方が少々、複雑です。着替えを手伝わせて貰えますか?貴方の初めては、どんな些細な事柄でも奪いたい下心付きです」 「そ、そんな下心、廃品回収されてしまえ!知っています。本当は着付けを手伝ってくれる衣紋者が、二名は必要なんですよね?でも、着方は分かるので不要です。独りでも、余裕で着用出来ます」 「木島の馬鹿!貴方の所為で、朔来が反抗期に突入したではありませんか!責任を取ってシャツの血抜きと真弓への謝罪を急ぐべきです」 「八当たりしないで頂けますか。燈夜様に、お手伝いさせると碌な事にならないと。朔来さんも理解なさっているだけでは?」  あぁ、そうか。支給された狩衣は、死装束か。  茶番染みた、神様と宮司の会話を聞き流し。自己完結をして腑に落ちた、朔来の眼は。この世の終わりを見据えていたと思う。  血液の付着したシャツを片手に。備品倉庫を後にする、木島の背中など見送れば。廊下で響く、少し急いだ重たい足音が遠くなる。教えられた通り、衝立の裏に姿を隠す朔来は。手早く、薄手の白衣に袖を通す。着替えさせてくれる、と誘う燈夜の甘言は。酷く魅力的だったけれど。その言葉すら。朔来を揶揄う為に張られた、罠に思えてしまって。苛立ち気味に断った。  不機嫌に頬を膨らませた、朔来が。慣れた手付きで帯を結び、足袋に踵まで通せば。さらりとした、上質な布地が肌に絡む。呑気に鼻唄を口遊んでいた燈夜の声が。唐突に朔来を向き、思わず心臓が大袈裟に鼓動した。 「朔来。着方が不明な部分は、遠慮無くお声掛けください。ウチに衣紋者が居ない所為で、不便ですよね。配属されたばかりの木島も、頻繁に個性的な格好で境内を練り歩き。先代の指導を受けていました」 「平気です。子供の頃、優しかった神職さん達に着せて貰った経験があるんです。ウロ覚えで怪しい箇所も多々ありますが、頑張ってみます。変な部分があれば指摘して、笑い話にでもなれば嬉しいです」  初めて。狩衣に袖を通したのは、幼少期。確か、退職した神職が返却した制服を。備品倉庫まで運ぶよう、母親から受けた指示に従った時だった。文房具の発注書を作成する為。数名掛かりで、在庫を数える棚卸し作業に勤しむ場面に遭遇した。現れた朔来に歓迎の歓声を上げ、他愛無い雑談が交わされる最中。浄衣を試着してみたら、と。神職の誰かが提案をした。その頃には、両親と尊による朔来の制圧が始まっており。叱られるから、と躊躇う朔来に。怒られる時は一緒だと、駄目押しをした彼等の言葉と。少し、大人に近付ける予感に。ときめく胸が頷いた。  受取った布地を広げ。差袴を穿いた朔来は。紐を、それぞれ前後に諸鉤結びする。狩衣を両手に執り。首紙の蜻蛉を受緒に通すと、合わせた縫目は繰上げてゆく。それは袴に差入れると、腰帯を結ぶ準備へ至った。この狩衣を纏う行為は。木花神社に所属する神職だと認められ、朔来側も受容れたと同義だ。忌子である朔来が、迷える民を導けるのか。東分社しか知らない自分が、中央に馴染める?  渡された衣服を身に纏う都度。込上げる責任や重荷が、朔来を縛ってゆく。募る不安を吐露した処で。きっと燈夜は、大丈夫だと笑うだろう。幼少期の記憶が、紐を結ぶ度に鮮明に蘇る。 「あの時。大勢の、お兄さんやお姉さんが。似合うと褒めてくれたっけ。これを纏う将来に期待した馬鹿な俺は、嬉しくて幸せだったな」  その時も、やはり。現場を押さえた父親が激昂して。気が強い神職と口論になった末。懲罰を与えられた彼等は、行方不明になった。振返れば。笑顔に囲まれていた、楽しかった筈の想い出は。どれも最後には。両親や尊によって、辛く悲しい記憶に書き換えられてしまう。折角。燈夜が幸せにする、と。約束をしてくれたのだ。木花神社で積む日常が、平穏な結末を迎えることだけを願う。  右側に通した、袖を流す。そうして。着替え終えた朔来が、衝立から顔を覗かせれば。先程までの豪奢な着物では無く。“私は神だ”と書かれた愉快なシャツに、薄手の洒落た上着を羽織る燈夜と眼が合う。残念過ぎるセンスにも関わらず。涼しい顔で佇む彼の様相に、格好良く見えるのは何故だろう。朔来が燈夜を恋慕している故、視覚に変なフィルターでも掛かっているのか。ともあれ、現れた朔来の姿を認めた燈夜は。輝いた表情を更に、ぱぁっと明るく華やかせる。 「朔来!和と親しい距離にある貴方なら、きっと似合うと思っていました。浄衣は神力を吸収し易い正装です。これで僕の依代が馴染み、神力酔いが無くなるのも早くなりますね。動き難いでしょう?」  儀式に立ち会う場合を除き。狩衣は着用せずとも構いません。  改めまして。朔来、ようこそ木花神社へ。  黒壇髪を揺らす燈夜が。瞳の向日葵は笑顔で咲かせ、手を差出す。朔来が抱える傷や蟠りごと受容れようとする、優しさに。触れた試しが無かった朔来は、夢みたいだと思った。此処で燈夜の掌を取れば。また、埃が積もった備品倉庫で朝を迎えるような気がして。香染めた瞳を彷徨わせた朔来は。時間稼ぎでも、するみたいに。懸命に言葉を紡いだ。 「褒められて光栄です。燈夜サマが選んだ、伴侶としての自覚と。用意して貰った、この狩衣の分。それから、忌子を受容れてくれた感謝も含め。短い残り時間でも出来る恩返しを考えながら、頑張ります」  だから、俺は。  燈夜から貰った、様々を指折り数える朔来の唇を。細く色白な指先で燈夜が塞ぐ。首を傾げる動作に合わせ、揺れ動く黒壇が魅力的で。澄まし顔で片目を閉じる行為に。彼が仕掛けた色を認識した、途端。頬から首筋まで、朔来の肌が仄かな朱に染まり熱を帯びた。視線でさえ、上手く合わせられず。腕に抱えた狩衣を広げては畳む、無意味な行動ばかり繰返す落着かない朔来を。無垢で惑わせる燈夜は。悪戯を企む子供みたく、無邪気に笑って。唐突に朔来の腕を掴み、窓際へと導いた。 「さあ、朔来。祓いが成功出来た御褒美です!約束通り、喫茶店の新作スイーツ食い倒れデートをしますよ。木島は神職の仕事を教えたかった様子でしたが。一緒に怒られましょうね。貴方と僕は共犯です」 「は?そんな悪事に加担する気は、ありません!日を改めませんか」 「僕と朔来に残る時間は、悠久では無いのですよ?大切な刻は、頭の硬さを競う仕事より。愛を育む為に消費するべきです。消滅が確定して以降は仕事量も減りましたから。デートする余裕は、ありますよ」 「燈夜サマの発言で。織姫と彦星が引き裂かれた訳が垣間見えます」  人差し指を自身の唇に当て。暗に、こっそり抜けだす提案をする燈夜は。先陣を切り、窓枠に掛けた両腕へ。体重を乗せながら、物音が立たぬよう慎重に行動する。動作が遅い為か、身体の各パーツが衣服越しに際立ち。背後から見守る朔来の欲を煽る。  例えば。腕や脚の動きに釣られ、柔く揺れる小振りな尻。レール上で片膝を立てた姿勢になった途端。伸ばされた状態だった太腿が、むちりと布地を圧迫する様。裏口へ続く小道に降立つ瞬間、揺れる髪の隙間から見えた首筋。朔来を振返った燈夜が綻ばす、程良く膨らんだ薄紅の唇。彼が持つ様々に、魅力を覚えた朔来は。ごくり、と喉を鳴らす。美しさや可憐まで併せる燈夜の姿に、無意識が本音を溢した。 「......美味しそう」 「煩悩の数を順調に増やしていないで。早く行きますよ?」  呆れ顔の燈夜が、背中を向け歩きだす。慌てた朔来が、すぐに彼と横並びになれたのは。燈夜が歩幅を合わせてくれた為と察する。こんな部分が好きだと思いながら。朔来は伸ばした手を、燈夜の指先に絡めた。夏の暑さを理由に、拒まれる不安もあったが。握り返される力強さが、朔来の心配や弱気ごと呑込んでくれたようで。嬉しかった。
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