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 様々な商業施設が整う、都心部の繁華街。  薄橙と紺が混ざる空には、悠々と揺蕩う羊雲。真夏の夕暮れにしては、緩く柔らかい日溜り。時折、旋く生暖かい風が髪や浄衣の袖に絡む。多分、木花神社を抜けだした際。おやつの時間は、とうに過ぎていたのだと思う。更け始めた御空の袂。薄汚れた舗装路は、絶えず喧騒で埋まる。気象庁は熱中症への警戒を呼掛けている、というのに。この活気は、損なう真似など知らない。 「これが最先端を往く、中央の軸部分ですか」 「第二類神社の本拠は、もう少し離れた場所にありますよ。それなりに東地域も栄えていたでしょう?中央に近い分、ほぼ同じ景色だと思います。分社付近は自然に間借りさせて貰っている雰囲気でしたが」  朔来、逸れないでくださいね。  物珍しさを覚え、視線が彷徨う朔来に。燈夜が苦笑いで、注意を促す。だって仕方無いだろう。こんな栄えた場所、訪れたのは通学で交通機関を利用する目的でしかなく。楽しむ意図で練り歩く、なんて経験は初めてだ。興奮気味な朔来の手を燈夜は、しっかり繋ぎ直す。  架道橋下を潜れば。列車通過音が、断続的に響く。救急車のサイレンは幾度、聞き流したろう。スクランブル交差点前で。建物外装に飾られた大型ビジョンが、流行の最先端を映す。花売りは艶やかに、しゃなりと街を闊歩して。どこかの居酒屋は、信号機付近で呼び込みに勤しむ。派手な制服アレンジで燥ぐ高校生、草臥れた様子の会社員などが行き交い。その足元では、ヘドロに似た怪異が蠢き。地面を転がるように、虚無な雰囲気で移動する小さな黒い影。異形、とも呼べる存在まで悪影響を及ぼさず共存する環境に。圧倒された朔来は、茫然と香染めた瞳を瞬かせる。 「燈夜サマ。中央の方針があると思いますが。彷徨う悪霊達に、対処は必要ないのですか。現状、害を及ぼす可能性が無くても。悪影響を及ぼす芽は摘んだ方が良いと聞きました」 「放置で構いませんよ。中央は夢を追い、煌びやかな生活に憧れる。生きるのに必死な方が多い地域です。彼等は良くも悪くも無関心、言い換えれば周囲を見渡す余裕が無いという話です」  それが怪異達に、どんな影響を及ぼすか。  “気付かない”と“何も起きない”は、イコールで結べるんです。  例えば。事故物件を借りた、として。契約者全員が、霊騒動に遭遇する訳では無い。その差は。当該の部屋で、事件や事故が発生したという事前情報を持っているか否かだ。何か、霊障が起こるかもしれない思い込みと。そこで漂う悪霊と波長が合致することで、怪奇現象は発生する。つまり、無関心は。霊感がゼロへ等しい“一般人”にとって、最大級の防御と言える。  だって“気付かない”以上。怪異側が、干渉することは出来ない。  何も悪影響が無いならば。此方から仕掛けて、事態を悪化させる必要はありません。  点滅を繰返す信号機に。気付いて立ち止まった朔来を、夕陽が照らし。朱に縁取られた燈夜は、影の中で。平穏な日常を過ごす“普通の人間”な顔で笑っていた。そんな神様の横顔は、誰より美しかった。  現に。駅方面に向かう女性陣は。擦れ違いざまに、燈夜を話題に選び。歩道でボラードを背凭れに佇むホスト勧誘は、検討する素振りなど見せる。数瞬だけ、此方にスマホを向けた女子高生達は盗撮か。  そんな風に。周囲を惹きつける、燈夜が嫌だった。  だって俺の燈夜サマなのに。他人が勝手に見て良い存在じゃない。  不機嫌に頬を膨らませた、朔来は。牽制でもするみたいに、燈夜の腕を胸元へ引き寄せる。朔来の突然過ぎる行動に、蹌踉けた彼は。驚いた様子で、向日葵色を瞬かせた後。辺りを見回して、状況や朔来の気持ちまで察したらしい。意味有りげな含み笑いを浮かべ。心底、嬉しそうに。朔来の頭を撫でた。 「嬉しいですね。嫉妬、ですか?」 「別に。例え、アンタが心変わりしても引留める権利はありません。でも。恋愛に不慣れだった、が理由で。経験豊富な奴に横取りされるのは嫌です。その、燈夜サマに寄添うには似合わない容姿ですし」 「残念ながら。僕は魂の美しさにしか、興味が無いんですよね。容姿は、努力次第で幾らでも嘘が吐けるではないですか。格好良いや綺麗の価値は、時代の推移や流行りで変わるのに。虚しいと思うんです」  容姿なんて、本人が満足なら。それで充分な話ではないですか。  脚の爪先を捻り。朔来の前に回り込んだ燈夜は、上目遣いを選ぶ。外側に跳ねた黒壇髪が、ふわりと彼の頬で弾む。“私は神だ”と書かれた、シャツのインパクトが強過ぎる所為で。こんな魅力的かつ可愛らしい場面すら、台無しになっていると。何故、気付かないのだろう。いや、朔来が問題視しているだけで。案外、燈夜自身は何も考えていないかもしれない。これが、彼の言う。自分が満足なら構わない、の真髄か。燈夜みたいな生き方が出来れば、理想的だと思うが。些細な言葉で変われる程、人間は簡単じゃない。彼の考え方は、恵まれた存在だから出来る考えだ。木島が、燈夜を部分的に嫌っている理由が。漸く、分かった気がする。 「僕は、朔来の三白眼が好きですよ。睨めば悪霊退治が出来そうで」 「喧嘩売ってます?」 「ともあれ。朔来は自信を持ってください。まず知識量が豊富です。洞察力や物事の本質を見抜く勘良さも、あります。貴方は東分社が思う以上に。優秀で才能に溢れた、素晴らしい神職です」  夕暮れが燈夜を優しく包む。発言に、一抹の悪気も無さそうな笑顔は。御世辞を吐く時、特有の。言葉選びに躊躇う素振りすら無くて。恐らく、嘘偽りない本心だろう。沈みかけた日差しを背負う、向日葵色は綺麗だった。  同時に。この世界は残酷だ、と朔来は思う。こんな尊い神様を消滅させなければ。危機を脱することすら、出来ないなんて。  やがて。繁華街から裏路地に入った燈夜は。壁に施されたスプレーの落書きや、転がるバスケットボールなど興味無げに。眠らない密集地を慣れた様子で進む。とある雑居ビルの階段を降りた先。ポスターやネオン看板に彩られた、ライブハウス前を通過すれば。見覚えがある、チェーン体制の喫茶店が現れる。東地域でも、頻繁に見掛ける店舗ロゴに地域差は無いようだ。  危険な場所に連れて行かれるのではないか、と。  駆られた不安が杞憂で終わったことに、安堵した朔来は。燈夜の後に続き、自動扉を抜けた。 「格好付けたいので。朔来に御馳走させてください。チャットアプリで友達登録をしたら。御礼クーポンが貰えました。要様に給料を前借りしたので。僕は、ちょっとした富豪になれた気分です」 「燈夜サマの潔さ、好きです。神様も給料制だったんですね」 「神無月に、年予算が下ります。それを基に神社を運営しますが。残りの金銭は、自由に使えることになっています。今回は十五夜の晩に消滅するので。予算とは別に、退職金みたいな形で頂けたのですよ」  消滅を前向きに受容れている様子だが。  本当に、燈夜は納得出来ているのだろうか。  弾んだ声音で。握り締めたスマホを嬉々と眺める、神様は。空元気で振舞い、無理をしている様な気がした。  店舗に足を踏み入れた途端。煎った珈琲豆の匂いが、朔来を出迎える。いらっしゃいませ、と案内に訪れた愛想良い店員は。人数確認を済ませた後、喫煙の有無まで尋ねると奥席まで通す。程良い硬さのソファに腰掛ければ。初めての場所にも関わらず、朔来は安心感を覚える。それは昔、小説で読んで感じた。不慣れな土地で旧友と再会した雰囲気、に似ていると思う。席待ちの椅子で、待機する客数はゼロだが。断続的な混雑が続く、空間は。外の眠れない街と違い、賑やかよりは穏やかさを帯びて。経過する時間も遅く、ゆっくり感じられる。浮かれた様子だが、上品な所作で座った燈夜は。タブレット端末に映る、メニュー表へ瞳を輝かせながら。堰を切ったように話す。 「混雑が好きでは無いので。少し入り組んだ場所にある、店舗を選びました。待ち時間が発生すると、まだ席案内を受けていない方が気になってしまう所為で。落着いて、スイーツを堪能出来ませんからね」 「燈夜サマの目的は?」 「此方のハニートーストを頂きたくて。写真だけでも、美味しそうでしょう?朔来と訪れたら、幸せな時間になる確信があったので!一緒に来られて嬉しいです。固めプリンやクリームソーダもお勧めです」 「学校帰りの女子高生か!スイーツの美味しさを共有する為なら。式神達の方が、適任では?双子を誘う、燈夜サマの姿なんか見たら発狂しそうなので。どうか、俺が感知出来ない場所で密会してください」 「また捻くれた発言をする。実際、貴方をお誘いしたのはデートが建前。ふたりきりで話す時間を設けたかった、が本音です。あ、朔来。このドリンクは呟き投稿サイトでも話題でした!シェアしましょう」 「......喫茶店を訪れる理由付けが欲しくて。考えた建前が、話す時間を設けたかった。では、無くてですか?」  指摘した途端。燈夜が視線を天井付近へ逸らす。  あぁ。これは図星だな。  そんな燈夜をジト目で凝視すれば。取り繕った素振りで、笑顔を作る彼は。朔来も、質問や話したい内容があるのでは無いですかと。戯けた口調になり、黒壇髪を傾けながら誤魔化す。その指先は、注文画面に食べ切れるかも怪しい量が送信されていて。弁解の余地は無い。  此方を気遣いながら。我が道だけは、ブレずに往く。  そんな彼の姿勢は。どんな話も聞入れ、悩み事は共に背負ってくれそうな頼もしさがあった。茶番を繰広げる燈夜は、とっくに気付いているのだろう。だから多分、朔来とのデートを取付けた。  恋愛と神職関係。どちらに於いても、朔来は。ある程度の愛情を持ちながら。燈夜に、盲目的な信頼は置いていない。理由は至極、単純で。東分社から朔来を連れだした動機に、納得が出来ていない上。他にも、不明瞭な点が多数ある所為だ。経緯は、朔来も知る処であり。忌子に一目惚れした燈夜が、朔来を欲しいと希い。懸命な説得の末に、頷かせたという流れだ。それでは。朔来を見初める前の燈夜は、どんな目的で東分社へ向かったのだろう。  これまで。愛情を育み、恋の自覚に時間が費やされてきたが。それ故、素知らぬ振りを選び後回しにしてきた様々に。向き合う姿勢を燈夜が魅せた。ならば、彼の舌根が乾く前に。朔来も燈夜の考えを全部、知りたいと主張した方が良い。神妙な面持ちになった朔来は。無意識に、居住まいを正した。 「燈夜サマ。質問を、お赦し頂けますか?」 「勿論。聞くだけなら、どんな内容でも。返事は答えられる範囲で、になります。隠し事を抱える、ミステリアスな婚約者は。朔来の好みではありませんか?因みに指輪のサイズは薬指で十五号になります」 「平均値なんですね......東分社を訪れた、本来の目的は?神職候補を探しに遠征してきた訳では無いでしょう。中央なら応募が殺到する筈です。それに名前確認までして、俺を探している様な雰囲気でした」 「あの日。昼食のお弁当に入っていた、カップグラタン。あれに記載された占いに従いました。東分社の忌子と神職契約を結べば、ラッキーが輝く日って。しかも確率の低い、見事な十個星でした」  絶対に嘘だ。  そんなピンポイントな占いをする程、クマちゃんは暇じゃない。  正直。これは、憶測を確信へ繋ぐ為の質問で。明確な回答が貰えなくても。思惑が予想出来る内容だった。気不味そうな顔をする燈夜から、逃れるように。朔来は香染めた瞳を目蓋で隠す。  きっと。この強過ぎる荒魂が目的だ。  そうでなければ。朔来を探して選ぶ必要が無い。  確か、中央に勤務する神職ひとりで。東地域で高い霊力の持主を、上から五人集めたい程度に匹敵すると言われている。朔来は、喫茶店の敷居を踏むまで。燈夜に甘やかされ、愛され尽くした自覚は、あるので。彼に、この荒魂を利用されるなら本望だ。どうせ、燈夜が消滅すれば空に溶け去る魂だ。せめて。彼の御許で散ると決めた選択が、幸せだったと思える終わりが欲しい。  出来れば。この荒魂を燈夜が、どうしたいのかを知りたい。  もうひとつだけ。言葉を投下して、駄目なら大人しく受容れよう。  改めて。燈夜を、真っ直ぐに見据えた朔来は。香染めた瞳を虚に彷徨わせ、弱々しく笑った。 「ミステリアスな神様は、魅力的ですが。俺の好みは真摯に寄り添ってくれる方です。燈夜サマに奉仕すると決めた以上は。アンタに、どんな目的があろうとも。この生命が散るまで、傍に居ます。だから」  使い捨ては嫌ですよ?  誓う忠誠と唇から溢す、本心に。向日葵色を瞠った燈夜の返事は、無い。同情か、或いは腹黒い想いがあるのか。これまで彼が、朔来に向けた感情は暖かく。この神様と消える運命が、最上級の幸せだと思った。だから、まだ何かを隠したがる燈夜に問い詰める気は無い。  もしかしたら。真相は朔来が傷付く内容で、黙っているかもしれないし。この関係に亀裂が走る様な、真実が眠っている可能性もゼロじゃない。冷水の揺蕩うボトル内で、浮かぶ氷が身を削ってゆく。  それでも。朔来を婚約者と明言した挙句。愛だ、恋だの叫ぶなら。そんな大切な相手に隠し事なんか、しないで欲しかった。向日葵色の瞳孔を、彷徨わせていた燈夜は。迷う素振りを繰返した末に。躊躇いながらも、拾い上げる様に言葉を発した。 「例え話を、聞いて貰えますか?消滅する予定にある僕が。往生際悪く、生に執着しています。それを可能にする方法が、朔来にあるとすれば。貴方は。この貪欲で愚かな神を、救おうと想ってくれますか」 「あの時。東分社を訪ねた本来の目的は、それですか?」 「はい。不審な動きをする東分社の調査を行っていた際。歴代で、異様に荒魂の強い忌子が居ると知りました。彼は身内や関係者に、虐待されている情報と共に。ならば、その子を食らおうと画策しました」  それが。お互いの幸せにも繋がると、考えました。  僕は、十五夜の晩に消滅する運命を免れて。件の忌子は、もう誰かに虐げられることが無い。我が身、惜しさに。敵地へ乗込むなど、神として失格ですね。苦しげに眉を顰め、無理な笑顔を湛える燈夜に。  思考停止する朔来の脳が、真っ白に染まる。後頭部を鈍器で殴られた位、衝撃が強く突拍子も無い話だった。ふたりを包む重たい空気には、沈黙が降り。呼吸すら、咎められそうな威圧を帯びた。  会計に至るレジの電子音や。支払い金額を繰返すスタッフの復唱。席案内や注文された品を、厨房に確認する声など。店内で響く、それらが。やけに澄んで、鼓膜を通る。  静寂、という。冷静になるには充分な機会が、与えられた為か。  ふと。朔来の頭上を、ひとつだけ疑問符が浮かぶ。 「例え。燈夜サマの思惑が成功出来たとして。俺を食らっても、強過ぎる荒魂がアンタを蝕むだけで。明日を繋げるとは、思えませんが。その神力や和魂が吸収されて、荒神になる可能性の方が高い筈です」
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