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 香染めた瞳を瞠る数秒。薄く開いた唇から侵入した神様が、口内で好き勝手に暴れた。脊髄を流れる痺れが、手足まで伝い。快楽に塗れた脳は、真面に物事を考えられなくなる。やがて朔来の舌を絡め取った神様は。丸い球体を喉奥まで押込む。既に溶け始めていた、それを無抵抗に呑込めば。舌先に残る甘さが、菓子の類かと推測する。  唇を離された途端。脱力した朔来の身体は、再び床に逆戻りする。状況も掴めない朔来は、二酸化炭素に塗れた言葉を発した。 「飴......ですか?」 「酔い止めです。効果は応急処置程度、ですが。新しく度数の高い眼鏡を掛けると、脳が眩む現象と同じで。初めて浴びた神力に充てられたのだと思います。貴方の身体に、僕が早く馴染めば本望ですね」 「......ファーストキス」 「それは光栄です。責任をとるので、結婚しましょう」  ディープキスが種族間の挨拶なのか。この神様の思考が狂ってるだけか。朔来にとって最も身近な神様である尊は。同じ屋根の下に居ながら、殆ど接する機会が無いので。判断基準が分からない。  これで気持ち悪さは治ったでしょう?そう尋ねる神様は、先程の濃厚なキスすら無かったかの様に。体調など窺いながら、朔来の額に掌を当て。比較的、穏やかに微笑む。殆ど感情を忘れた朔来にとって。キスをされた、出来事は。最初の衝撃以外、大した気持ちは無く。寧ろ、痛くない刺激に戸惑う。  虐げる意欲を感じない辺り。変わり者だが、この神様は悪者じゃ無さそうだ。頬に触れた彼の体温は、低めで心地良く。触れる指先の優しさが、朔来に安堵を与えた。それが何れ離れてしまう、確定された未来が嫌で名残惜しくて。振り払われる恐れを抱きながら、頬擦りで甘える程。暖かい情に飢えていたようだ。そんな朔来に、心臓を鷲掴まれた様な顔で神様が天へ仰ぐ。 「あぁ、もう!絶対に連れて帰ります、覚悟を決めてください。神力で結婚式場を喚べないですかね。東地域の久城家に居る忌子は、荒魂が強く。その霊力で傍若無人に振舞ってるとか、嘘ではないですか」 「......噂って尾鰭がつく生き物ですから」  どうやら。噂話に振回されたことが、悔しい様子で。神様が頬を膨らます。先程までの荘厳は、どこに捨てた。彼から、抱えきれない量の好意を受け。心臓は早まる鼓動で落着かない。まるで花が綻ぶ様に、朔来の閉じ籠る内殻を抉じ開けてくれたような。彼だけは信頼に値する気がした。しかし。縁を切られそうな状況から、どうしたらプロポーズまで至る。そんな急展開に混乱する頭じゃ。この神様に、まだ返事を差出せそうにない。けれど。朔来の香染めた瞳には、光が差込み始めていた。  一方、愚かな両親は。彼の神格高さを感知するのが、難しくなる程に。眼前の寸劇に、立腹しているらしい。単純に。自分達が蚊帳の外になる事象が、嫌なのだと思う。彼らの牽制混じりな睨みを受けた、朔来は。忌子の癖に、自我を表出し過ぎるのは生意気だと。幼少期に叱咤された記憶を思いだす。また、怒られてしまう。怯えて肩を跳ね上げた後、青褪めた顔で俯く。 「何者だ!来客の予定も無かった筈、関係者以外は立入禁止だぞ!」 「結界の綻びは修正し終えた筈......忌子!また、お前が良くないモノを引寄せたのですか!無駄に問題ばかり起こして、迷惑極まりない」 「随分、親しげだと思ったが。そんな真相か。また碌でも無い真似をしやがって!味方を増やした処で、忌子である事実は変わらん!」 「久城殿、お待ちを。此方は錫司様の居られる、中央所属の方です」  暴言を制止する尊に。唯ならぬ、畏れを察したのだろう。拳を握って、激昂する宮司や。不審者の侵入を、朔来に糾弾する巫女も。偉ぶり胸を張っていた東地域内の最高神が、引き攣った顔など晒すので。改めて、朔来と対峙する神様に視線を走らせて数秒。彼らは、舞い降りた来客の高い神格を漸く把握したらしい。  その場に、慌てた様子で頭を下げる彼らは。醜態を見せた自覚が、真っ先に浮かんだらしい。空間内に走る緊張を、朔来も感じ取る。そんな両親に追討ちを掛けるように。立ち上がった神様は、上品な所作で礼を披露した。 「連絡もせず訪問した無礼、並びに。名前の申し遅れ、重ねて謝罪致します。名誉ある最高位の神職であれば分かると、買い被り過ぎたようです。第二類神社、中央所属の燈夜です。以後、お見知りおきを」  神力を使用した移動は久方振りでしたので、仕方無いですね。  戯けた口調で。嫌味など含ませ言放ち、燈夜が朔来の腕を掴む。動かした足と擦り剥いた肘は先程より痛んで、悪化を訴える。着物の上前を摘み、左側から椅子に腰掛けた燈夜は。怪我に震えながら堪える朔来を、自身の太腿へ座らせる。  流石に。神様の上に腰掛けるなんて、身の程知らず過ぎだ。  脳へ電撃的に走った自覚が。咄嗟に、降りようと身体を動かすが。腹に回された屈強な細腕と右肩へ乗せられた燈夜の顎が、それを許さない。慣れない密着に赤らむ朔来の頬を認め、燈夜が慈しんだ顔で微笑む。どうして、こんな状況になった。文章化出来ない疑問符が、幾つも脳内で浮かぶが。考えたら負け、な判断が。朔来に思考の放棄を選ばせる。  燈夜が名乗った、第二類神社とは。土地を護る神様達による集団であり。皇居付近を治める最高神、錫司要の神社が中央と呼ばれ。そこを起点に、東西南北で分社が存在する。異世界風に説明するなら、魔王と四天王の関係が近い。特に中央は、最高神を護る為。四天王以上の精鋭陣が所属している。つまり、燈夜が群を抜いて格上なのは確かで。尊や両親が、朔来と接する燈夜を大人しく許すのも納得だ。  厳つい顔で、悔しげに眉を吊り上げた宮司は。初対面で、燈夜の神格を見抜けなかった。位高い神職や強い霊力の持主であれば、すぐに分かる筈なのに。そんな初歩的な失態が、尾を引いているのか。血の気が引いた顔で震える巫女に。人形供養の準備に戻るよう、指示を出す。退室する母を見送る父は。咳払いで、自分達の無礼を誤魔化す。そんな彼は、まだ燈夜から受ける評価を挽回出来ると信じている様子で。自分より上位の相手へ諂う時、特有の。貼り付けた笑顔を作る。 「大変、失礼致しました。錫司様が遣わせた方と気付かず。また、生意気にも。当家の忌子が無礼を働いたこと、重ねて謝罪致します。此奴には後で、きちんと言い聞かせますので。早く膝から降りないか」 「どうぞ、お構いなく。明日の結婚相手を抱えているだけですから。こんな綺麗な魂が、僕の神力で濁ってゆく様を想像するだけで。尊さと愛おしい感情が、胸に溢れて堪りません......!大好きです、朔来」 「......左様ですか。恥ずかしながら。内輪の問題が、まだ解決に至っておりませんで。申し訳ありませんが別室で、お待ち頂けますか?」 「その手間には及びません。因みに、此方へ伺った理由に要様は無関係です。東分社の愚かな内輪揉めに、終止符を打ちに参りました。久城朔来さん、僕が棲む神社で、宮司候補として奉仕しませんか?」  穏やかな声が。凛と張られ、その提案を応接室に響かせる。空間内で走る緊張が、宮司と尊を不安定に揺らす。そんな雰囲気に、燈夜は構わず。魅惑的に膨らむ染井紅染めた唇を、愛らしく持上げ。吐息で朔来の耳孔を擽りながら、美しい鞠が転がるように微笑む。その妖艶に囚われた朔来の心臓は、喉奥で激しく鼓動を打つ。何事か、言い掛けた宮司を。素早く掌で制止した燈夜は。どうですか、と朔来の耳朶を甘噛みしながら尋ねる。  彼の戯れに、やめて欲しい嫌悪感は無かった。朔来を尋ねた本当の理由は、まだ隠しているだろうが。暴力や罵倒で抑圧した上で服従させようとする、両親と尊とは正反対に。燈夜は朔来を気遣い、壊れ物扱いで慎重に接してくれていると分かるから。もっと、甘やかされたい。燈夜が抱く感情の全てを独り占めしたい、と思う。どんな映画でも、欲張りは碌な顛末を迎えないのに。燈夜に過剰な愛を求めてしまう、朔来自身が嫌になる。 「俺、は。忌子、です。歴代で荒魂が壱番強い、最悪の。小学生の頃は、悪霊に襲われ。登校班の子に怪我をさせ。優しくしてくれた、神職のお兄さんやお姉さんも。行方不明で、まだ見つかっていません」 「はい」 「神具や儀式に使用する備品が壊れるのは、日常茶飯事で。狛犬は横を素通りした途端、砕ける。先日は悪霊夜行が神社に押掛けて、境内が阿鼻叫喚でした。そんな俺だから。燈夜サマも後悔する筈、です」  この短時間で、燈夜から沢山の愛を貰ったけれど。すぐに飢えと渇きに苛まれてしまって。失望される可能性を多く含む、毒に頼った。  燈夜から愛情を注がれる未来にあった筈の自信は。両手で顔を覆いながら。弱った声で、不安を少しずつ吐露してゆく都度。荒魂の起こす実害を知った燈夜が。朔来から手を離す結末の方に。現実が傾いてきたような気がして。怖くなる。  あぁ嫌わないで、まだ愛していて。見捨てないで。  いや、こんな素敵な神様に迷惑を掛けるなら。どうか軽蔑して。  そんな風に、朔来の中で鬩ぐ想いを見透かした様に。耳許で呆れ気味な溜息が溢れ、腹に回された腕が解かれる。やっぱり愛情を貰う為の博打とか、するもんじゃない。きっと失望されてしまった。落込む朔来の髪に、指先を絡めた燈夜が。悪い想像なんか、させないと言いたげに。涙が溜まり始めた、朔来の瞳縁に目隠しをして。彼の柔らかい声だけが、鼓膜から脳を支配した。 「間が悪いだけの話でしょう。多分、朔来が原因で起きた現象ではありません。過ぎた出来事を聞いて、簡単に壊れる恋心だとでも?侮られては困ります。そんな無責任な気持ちで、結婚なんて言いません」  過去に起きた些細な問題と。霊的な実害を、簡単に切り捨てる燈夜に。呆気に取られた朔来は、茫然と瞬きを繰り返す。これらの出来事は、どれも。両親や尊に事あるごと散々、蒸し返された話だった。心の余裕と赦す度量が、東地域と違うのだろうか。懐の深さなど見せつけた燈夜は、ひとつ呼吸を整えて笑った。 「他に。僕の想いを疑う要素はありますか。夕飯に嫌いなピーマンが出されるか、程度の心配事でも聞かせてください。自己肯定感の低い貴方が、感じる不安や恐れを。一緒に背負わせて頂けませんか?」  燈夜の言葉が、朔来を釘付けにする。この神様の手を取りたい、と本音が胸内で訴える。  だって燈夜は。朔来の魂が綺麗だと評して惚れたと笑った。朔来を宮司に必要と、言われたのが嬉しく。大切に抱き締めてくれた。優秀な成績を修めても、落ちこぼれと蔑んだ両親と違う。ずっと欲しかった普通をくれる、朔来の御許で奉仕する。なんて素敵な明日だろう。  欲望に任せて頷きかけるも。顳顬を頭痛に似た、鋭い痛みが走り躊躇う。操った霊力で、攻撃を仕掛けた犯人。基、眼前で睨む宮司は。朔来が東地域から出る許可をくれない。香染めた瞳に差込んだ光が、落ちる影で消えてゆく。両親と尊の思惑に外れた行動を、今更しようにも。見えない傷だらけな身体じゃ、動けない。  二度も訪れないと思った筈の機会が、また巡り。  今度は朔来に向かって差出す手もあるのに。  諦めて燈夜も見ずに首を左右へ振る朔来は、多分。ずっと、東地域の言いなりだ。 「......申し訳ありません。燈夜サマが、何を期待されているか。推測も出来ませんが。多分、俺は役不足です。お誘いは光栄な話ですが、遠慮させてください。こんな忌子より、相応しい神職がいる筈です」 「それは。正しく貴方の意志ですか?僕が勧誘している相手は、朔来です。東分社が、どんな意見をお持ちでも。欠片の興味も無いんですよ。寧ろ、振ってもいない話に割込む作法知らずな方は嫌いです」  一瞬。真顔を晒した、燈夜の向日葵色は。父と尊を、射抜くような鋭い眼光で刺し。朔来と会話する時の快活な声は、冷たい低さを帯びて。聞く相手が怯む程の、緩い威圧を与えた。燈夜の繰り出す皮肉や嫌味を良い加減、察したのだろう。宮司は、苦虫を噛み潰した顔で舌打ちする。朔来が、決して逆らえない存在達の化け皮を剥がし。プライドは的確に砕き。余計な発言を許さず、黙らせる。そんな燈夜の姿は。気高く格好良い、無二の美しさを誇っていた。  柔らかな太陽みたく。穏やかに細められた燈夜の瞳が、香染めた眼を捉え。その端正で綺麗な顔が近くて、緊張した朔来は。眼の遣り場に困り、狼狽える。眦を下げ、少しだけ困った様に笑う彼は。  もう壱度。朔来の意志は、どうですかと問う。幼少期から続く抑圧が、恐怖として神経を巡るけれど。真っ直ぐに朔来と向き合う燈夜へと、傾き始めた心が。顔色やご機嫌伺いではない、芽生えたばかりの自我を翳す。 「この生命を、神様の為に散らすなら。燈夜サマの傍が良い。悪霊関係の騒動を頻繁に起こす忌子でも、愛してくれますか?沢山、口説いてくれますか。東地域を出ても、俺は上手く馴染めると思いますか」 「朔来を口説く理由、伝わっていますか......?まあ、隣が良いと仰って頂けただけで充分でしょう。貴方の荒魂は、中央所属である僕には無問題です。愛される近道は、相手を同じだけ好きになることです」 「そんな簡単に済む話、でしょうか」 「はい。中央は東地域のように、ハリボテな威厳で偉ぶっているわけではありません。新天地では、そうですね。ありがとう、と。ごめんなさい、が言えれば心配はありません。気付けば馴染めていますよ」  強いて言えば。どんなに下手でも、笑顔が作れたら花丸です。  ね、だから大丈夫。琴を爪弾いた様に、静謐な声が。若干の悪態を混ぜながら。朔来の不安を、丁寧に安堵へ昇華させる。それは久城家から申し渡された縁切りなど受容れ、東地域を旅立つ未来に現実味さえ帯びさせる。朔来を思い遣り、じっくり燈夜が纏めてゆく話に。不満と傲慢を、たっぷりと乗せた言葉で割込んだのは。宮司だった。 「お待ちください。中央所属の燈夜様に抜擢を受けたことは。久城家としても光栄な話。ですが、東分社の後継もまた、忌子のみなのも事実。此方の都合も考えず、当人同士で勝手に合意されては困ります」 「その大切な跡取りを。疎み、手放されたばかりでは?壱度でも吐いた言葉は、簡単に取消せません。貴方は、手切金と縁切りの交換を提案した。それも神様の前で。朔来が、その封筒を受取った時点で」  久城家と朔来は他人ですよ。  もう少し考えて、発言するべきでした。  燈夜が。落着いた声を、凍てつく温度で発する都度。神経が感じる畏怖に、自然と身体も地に伏す様な。脅しに近い威圧を感じる所為で。燈夜と宮司間の会話であるにも関わらず。横で聞いている朔来まで、不必要な緊張をする。  痛い場所へ的確に針を刺す、燈夜の物言いに。頬を引き攣らせた宮司は。きっと、腑が煮えくりかえっている。お前の所為だ、と言いたげに。八当たりが籠る怒りを、目線だけで朔来にぶつけ。それを受けた本能が覚えた恐怖に、背筋まで粟立つ。心は、燈夜を完全に信用した様子で。咄嗟に彼が纏う着物の共衿を掴む。その手を覆う様に被さる燈夜の掌が、朔来へ安堵など与えた。そんな光景を前に。激昂を表出さず、笑顔を取繕う辺り。流石は、媚売りや機嫌取りで。中央に次ぎ、強い発言権を持つ地位へと確立させた血筋だ。 「御言葉は、ご尤も。ですが、燈夜様の御許で奉仕させて。悪霊問題を起こされては、久城家の恥。宮司候補を探されているのでしたら、優秀な神職に当てがありますので。ご紹介させて頂けますか?」 「往生際が悪いですね。東分社が、お荷物扱いする存在を娶ると言っています。其方も厄介払いが出来て、好都合ではないのですか。神職移動の手続きは此方で行います。御用件は式神を遣わせてください」  さあ、朔来。  あとは貴方が覚悟を決めるだけです。
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