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 こおん、と。  棒を硬い石に打ちつけた様な、小気味良い音が響く。  遅れて。流れる水が、何処かに溜まってゆく。そんな清涼な雰囲気が。朔来の鼓膜を満たす。あれは日本庭園で良く見掛ける鹿威し、だろうか。蝉の鳴き声も相俟って、夏らしい風流が心地良い。頬を撫でる緩い風に誘われ。再び微睡む意識が、眠りの底まで堕ちかけ。  「燈夜様が新しい神職を連れ帰ったんだって。東地域のお土産も美味しかったね!ねえ、真矢ちゃん。戻らないと木島に怒られちゃうよ」 「あの人間は、燈夜様の婚約者よ。あのお菓子は皇居専属の銘菓で、食べ慣れた味だったけどね。東地域も壱番、中央に近いからって。お土産を逆輸入すんじゃないわよ。名物位、作って販促しろっての!」  小学生連れの親戚が、両親を訪ねてきたのか。  会話の内容を噛み砕ける程、廻らない頭で朔来は考える。その間にも、燥いだ舌足らずな声と遠慮の無い足音が近付く。  あぁ、面倒だな。  数秒も経てば、子供達は。朔来が居る物置部屋の扉を、開け放ち。忌子は邪悪だ、と叫び。握り締めた石を投げてくる。背後では、宮司達が下卑た笑いを浮かべながら。善悪の区別が出来るのは偉いと、子供達を褒め。朔来が感情や反抗の意思など表出せば、立場を弁えろと。罵倒と暴力が酷くなる。布団の染抜きが大変なので、怪我は青痣で留めたい所存だ。  無防備な姿を晒す、行為は。どんな仕打ちを受けても受容れる、意思表示になる。素早く、神経中に警戒を巡らせ。ゆっくり、目蓋を持ち上げた朔来は。眼前で広がる、見知らぬ天井に毒気を抜かれ。茫然と瞬きを繰返す。 「客間、か......?」  天井の梁で走る木目を、無意味に数えて幾秒。  見慣れた、刀傷が目立つ柱や。本能が気味悪さを覚える、畳の黒ずみもない。見渡す室内に覚えている限りの特徴が、何ひとつ無く。朔来の現在地が、東分社ではないと悟る。  どんな経緯で、何処へ連れて来られた?  非常に薄い、考える意欲は。開け放たれた窓を覆う、風に揺れるカーテンや。その隙間を縫う、青々とした木々と綿飴みたいな入道雲が奪い。余りに平和過ぎる光景が。まあ、成るようにしかならないと思わせる。冷房が無くても、涼しいな。とか、呑気に考えて。些細な違和感が朔来を襲う。  あれ?自分で布団を敷いて、眠ったのだっけ。  胸内で蟠る疑問符が、朔来の身体を蝕む。廊下から聴こえる子供特有な甲高い会話が、徐々に。朔来の意識を覚醒させてゆく。 「あの婚約者が。私達の神職に相応しいか、見定めるだけ!新しい環境で彼が落着くまで、姿を見せるなと木島は言うけど。購入初日のハムスター並みの心臓じゃ。東地域の古巣に居た方が、きっと幸せよ」 「真矢ちゃん、お客様だよ。でも、あの人間を連れて帰ってきた燈夜様。物凄く神力を消費していたけど、幸せそうだったね」 「そうね。深夜になって戻られたと思えば。僕の結婚相手です、が第一声だもの。木島に頭を叩かれていたけれど、燈夜様は御満悦だったわ。まあ、あんな綺麗な魂の持ち主。独占したくなるのは当然よ」  だって。燈夜様は神だもの。  砂山から金の鉱脈を見つけた人間が、欲に溺れる様に。煩悩に塗れた魂から、高純度な水晶を捕まえれば。骨の髄まで愛したくなる。それが、悠久を生きる神様の性。喪う悲しさや、見送る苦しみなんか。幾度、経験しても慣れるものでは無いのに。それでも。寿命の違う、ひとりに恋焦がれ。執着して、どんな手段を講じても欲しがる。 「その様は、無様で儚く美しく。なんて、素敵なこと」  幼い声質には似合わない、恍惚とした雰囲気の発言に朔来は悟る。  この子供達は。燈夜、或いは彼に奉仕する宮司が使役する式神だ。人型で喚べる霊力の持主は、中央に固まっているし。東分社で遣う、それは殆ど小動物だった為に。ピンと来なかった。  漸く。真面に巡りだした思考が、呼吸を繰返す都度。東分社で起きた出来事を蘇らす。視界隅で揺れる豪奢な飾り、背中から貫通した矢の先端。思わず、胸元を掌で押さえて飛び起きた朔来は。燈夜が起こした真意の読めない行動、それから。彼の声が聴こえない不安を抱き。その狭間で不安定に情緒が鬩ぐ。動揺で激しく鼓動する心臓を、宥める朔来は。彼を探しながら。東分社と同じ二の舞はないから大丈夫、と自身に言い聞かせる。 「......燈夜サマ?」  震える喉で、神様の名前を呼ぶも。  静寂に紛れた、自然音ばかりが返る。  もう、自分には彼しか居ないのに。  やはり、燈夜にとって。朔来は、用済みとなってしまったのか。  重要な情報を渡すのが早過ぎた?でも、朔来が示せる燈夜への信頼は。あれ位でしか、証明出来なかった。他に方法が、あるならば。どう行動するのが、正解だったのだろう。 「燈夜サマの誘いを断って。東分社に残った方が賢明、だった?」  身体中を焦燥が巡り。過去を振返る脳は、あの行動が愚かだったと評して悶々と悔い続ける。忌子は真面な判断が出来ない、と。両親や尊の口癖が朔来を苛む。落着かない呼吸と、不規則に揺れる瞳孔。背筋を冷汗が流れ、麻薬切れに近い頭は。馬鹿みたいに燈夜を求める。  彼を見つけ次第。出来ることなら何でもする、と頭を下げ。忠誠を改めて誓い、それから。  あぁ、これじゃ結局。東分社に居た頃と同じだ。忌子は、何処に行こうと扱いが変わらない。落胆しながらも、朔来が燈夜の姿を求めて身動いだ途端。腰に錘を付けられたような。重たい何かに邪魔をされ。自由を奪われる感覚が、腹まで伝う。その原因を、目線だけで探る朔来は。香染めた眼を下側へ落とし。喉奥から迸りかけた、悲鳴を嚥下する。 「なんですか、朝から動きが騒々しい」 「燈夜サマ」 「......はい。僕は此処にいます、貴方の傍に。ただ、神力が回復しきれていないので。まだ寝たいです、おやすみなさい」  若干、投げやりで面倒そうな口調だが。頭を振った燈夜が、朔来に抱きつく。鹿威しの落ちる音が鼓膜に響くのを、嫌がるように呻き。寝返りを打った彼は、シャツのみ着用した姿で。色白な太腿を付根辺り、際どい位置まで晒す。その所為で、朔来の身体中から集まった熱が頬を火照らせた。  燈夜サマ。パンツを穿かないで寝るタイプか。  東分社では蔑まれながら、明日を迎えるのが精一杯で。性を意識する暇すら無くゼロに等しかった朔来の欲が、此処で顕になったらしく。燈夜が股座から上を晒さないか、下品な期待をしている。 「これが大人の色気って奴か......エッチだ」  初めて、性を認知した思春期な子供の様に。知性や品位の欠片も無い感想を抱いた、朔来は。燈夜の太腿だけを、執拗に凝視する。あと少しでも。再び、彼が身動げば。頼りない布地が捲れ、見えてしまう。特に目的もなく漠然と膨らむ期待や、恩人を下品な眼で映す後ろめたさが。朔来の心を責める。失礼な真似をしている、自覚はあるのに。凝視した視線を逸らせずいる朔来の心拍数が、急上昇する。東分社でプロポーズされた時は、朔来も余裕が無くて意識しなかったけれど。燈夜の顔立ちは、可愛い寄りな容姿端麗で。艶やかな仕草が、その愛らしさを主張する。その癖、雰囲気は気品ある美しさを持つ欲張りセットだ。こんな神様が。朔来を欲しがって、懸命に手を尽くすのだから。世の中、どうなるか分からない。  ふと。燈夜が足指を動かし、シャツの裾は僅かにズレる。思わず生唾を呑む程の魅力が彼にはあった。相変わらず、脚元を凝視する朔来の首筋に。燈夜の両腕が這い、軽いリップ音を残しながら。施すキスで唇を奪ってゆく。呆気に取られる朔来に。悪戯が成功した子供みたいに、笑う燈夜は。まだ少し、眠たげな掠れた声で。  見たいですか、と尋ねる。 「昨日。沢山頑張った朔来になら、見せても良いですよ。東分社を叩くのに、重要な書類も提供してくださいましたから。ご褒美です」 「あの、俺は別に。疚しい下心があって、あの書類を渡した気は無いですし。同意があるのは、余計な罪悪を抱かずに済むので嬉しいですが。緊張が凄くて。偶然、遭遇出来た位の秘めやかな方が好みです」 「あぁ、ムッツリなんですね。折角です、見ておいて損は無いと思います。こうして、僕の本拠である神社に居るということは。婚家に入ったも同然。いずれは結婚する間柄ですし、問題は無いと思います」 「......見たい、です。ただ憧れや夢は、そのまま残したいと言うか。まだ、見られる様な身分で無いと思うので。もっと、燈夜サマが感心する功績を上げてからにします。その時は是非、触らせてください」  我ながら思う。  何を口走っているのか。  神様と忌子が、揃って真剣な顔付きで。こんな品が無い会話をしているなんて、傍目にも思わないだろう。朔来の発言に驚いた様子で、軽く向日葵色を瞠った燈夜は。この不毛な論争に、終止符を打つ為か。起き上がり、居住まいを正す。跳ねた寝癖が可愛いな、と呑気に感想など抱く朔来の腕を掴んだ燈夜は。自身のシャツを、勢い良く捲る。ひっ、とか。喉から情けない悲鳴を溢した、朔来だが。鼠径部を捉えた視線だけは、頑なに逸らさず。  変態、と燈夜が揶揄い口調で罵る。  そんな、朔来の香染めた瞳孔に映るのは。 「紐パンじゃねぇか!」  普通に穿いていたじゃないか。  儚い夢が崩れ落ちる感覚に。朔来は、言葉を叩きつける様に叫ぶ。  洒落た黒の布地は。燈夜の美しさを際立たせ、妖艶だったけれど。  朔来の胸内を、妙に損した気分が広がる。いや、冷静になれ。額に手を当てた朔来は、気持ちが落着くように深呼吸など繰返す。  同性のモノを見られなかった程度、何処に悔しい要素がある。自身の下腹部にも、大きさは違えど同じ逸物があるだろう。いや、でも。好意を抱く相手になら、見れる期待に鼻息は荒くなるし興奮も覚える。そこまで考えた朔来は、おや?と違和感を覚え。頭に浮かんだ疑問符を、纏まらない考えごと燈夜へぶつけた。 「俺。興奮出来る位、燈夜サマに好意を寄せてるようです。この気持ちがアンタと同じ温度かは、まだ分からない。でも、好きだと思う」 「朔来の言葉は嬉しいです。冷静な自己分析で、ご自身と向き合う姿勢も立派です。ムードや雰囲気も考えない、曖昧な告白が。複雑な気持ちにも、させますが。貴方には、まだ難しい要求でしょうから」  まあ、及第点にして差し上げます。  燈夜から伸ばされた色白な掌が、朔来の頭を優しく撫でる。髪に神経なんか、通ってない筈なのに。擽ったいような心地良さが、炭酸みたく神経で弾けて全身を染み渡る。感情を形成する内殻では、安堵と多福感。それから。少しだけ募る恋心に、切なさも転がっているような。この燈夜の掌が、ずっと朔来を褒め続けてくれたら良いのに。  甘えたい衝動に駆られた朔来が、燈夜の腕を掴み。駄々を捏ねる子供の様に。その華奢な肩に、頭を擦り付けて唸る。そんな朔来に、酸素が篭る笑い声を溢す燈夜は。片手を背中に回すと、あやすみたいに軽く叩いた。 「朔来に。ひとつ、宿題を出します。どうか、好きと思った理由を見つけ。教えてください。貴方の頭が僕で埋め尽くされる程、考えて」  答えが出たら、また愛していると告白してください。  要望を、燈夜が穏やかな声で囁き。朔来は、素直に頷く。  この心地良い時間が、ずっと続けばいい。  そう思った朔来が、香染めた眼を細めたと同時に。勢いよく、襖が開き。眼前には燈夜のように豪奢な布地では無いが、気品ある着物を纏う子供がふたり。朔来の背中に腕を回して、満足気な。燈夜の姿を認め。揃って丸く目を見開き、固まっていた。彼女達の反応を認めた途端、朔来の頭が真っ白になる。相手も茫然としている状況で、燈夜だけは悠然と構えていた。  「おや。真矢、真弓。おはようございます、素敵な朝ですね」 「え、燈夜様。その、此方が東分社からスカウトされた方ですか?」 「そうだよ、彼は久城朔来さん。朔来、髪の長い方が真矢でショートは真弓。彼女達は僕の式神で一対の武器......俗に言う双子だね」  ひと組しか、敷かれてない布団。シャツのみ着用した姿の燈夜。  誤解を招く要素が、ふんだんに詰まった室内で。状況的には相当、不味いだろうに。焦る朔来など構わず、燈夜が平然と会話を始めた所為で。神様にとっては、動揺する案件でも無いのか。朔来が大袈裟に騒いでいるだけなのか、と。更に混乱する。  簪や着物の色、髪型で個性を主張する彼女達は。気の強そうな吊り目を持つ、長髪が真矢。物静かな雰囲気を醸す垂れ目の少女が、真弓らしい。式神は現世に留まらせるだけで、霊力の消費量が物凄いそうで。東分社は、必要な時だけ呼出すのが常だった。だから。こんな風に式神が、普通の生活を送る姿は新鮮だ。言われなければ、老舗料亭や旅館の跡取り娘にしか見えず。  可愛いものだな、と真弓の頭へ。撫でようと伸ばした朔来の掌が。燈夜によって、小気味良い音を連れて叩き落とされる。暫し、茫然とした朔来は。東分社の忌子風情が触るな、という意味で解釈したが。燈夜が、そんな発言をする訳無いと思い直す。けれど。振返った先の彼は、何故か不機嫌に頬を膨らませて怒っている様子だったので。再び、朔来は考える。やがて。そんな行動に出た彼の真意を察して、ひとり納得した。 「......悪い。異性を触る軽率な行為は、セクハラになるんですよね。東分社でも、厳重注意を受けた神職が居たな。今度は気を付けます」 「誠実な方ですね、マユは平気です。それと、多分。燈夜様は貴方様を注意したかった訳では無く。嫉妬した、だけだと思います」 「嫉妬?」 「私や木島がマユを撫でた処で、燈夜様は注意しない。アナタだから嫌だと思って、制止したの。誰が、の部分が重要だったという話よ」
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