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 全く、鈍感なんだから。  呆れ顔の真矢が。腰に手を当て、人差し指は朔来へ突きつける。途端。燈夜が鋭い口調で、彼女を咎めるも。その首筋から上は。炎天下の中、神社を訪れた参拝客のように真っ赤で。  そんな顔も魅せるんだな、と。  朔来の胸を、熱が昂ってゆく。隠れた側面を知ってしまった、動揺で。鼓膜を内側から叩く、心臓の鼓動が煩い。だって、東分社で見た燈夜は。好きも結婚したいの言葉すら。飄々とした、涼しげな表情で愛を語り。朔来が欲しいだけで、宮司と尊を威圧して黙らせた。格好良いと感じた、東分社での彼と比較しても。余裕が無さすぎる。  人間、なんて種族とは違い。悠久に等しい刻を生き続ける神様、燈夜は。東分社に軟禁されていた、朔来より。ずっと、恋愛経験が豊富だと思うのだが。予想外にも不慣れな彼に驚く。そんな朔来の手首を。掴んだ燈夜は自身の太腿に触れさせながら。向日葵色の瞳孔を携え、上目遣いする。 「朔来は。ご自身が起こす行動の価値に、自信と責任意識を持つべきです。初めては二度も訪れません。まだ、僕も貴方に撫でられていないのに。その掌が、最初に知る感触が真弓なんて赦せません」 「......誤解を招く発言は控えてください。俺は忌子ですから、神様は以ての外。人間に触れた試しも、ありませんが。神社に居着いた野良猫は、幾度か撫でた掌ですよ?そんな騒ぐ程の話じゃないでしょう」 「何処の泥棒猫ですか!どうして、そんな大問題を黙っていたのですか。まあ、僕の太腿を触った事実は覆りません。責任を取って結婚、して貰えれば。そんな些細な過ちも、水に流しましょう。それから」  二言目には忌子だと、ご自身を卑下する癖。  心の傷と共に、ゆっくり直していきましょうね。  唐突に。真剣な顔付きになった燈夜が、促す言葉は。間違ってないし、正論だと分かるけれど。その前に繰り広げた舌戦との温度差で、脳が眩む。  加えて。掌を伝う、滑らかで弾力強い太腿の感触が邪魔をする。彼の肌へ這わせた指先で、シャツを捲る悪戯がしたい。或いは。足の付け根横で結ばれた、下着紐を解きたい衝動など堪えて。名残惜しむ爪が、未練がましく結び目を引っ掻く。  あぁ、折角。許可が貰えたのだから。  やせ我慢なんか、しなければ良かった。  後悔まで連れ、密かに落込む朔来を認め。恍惚と、口許を歪ませた燈夜は。艶やかな黒壇髪を傾けながら、満足気だった。それから。真矢と真弓には聞こえない様に、配慮したのか。朔来の傍まで顔を近付けると、耳朶で嬉々と囁く。 「お声掛けを貰えれば。いつでも、お見せしますよ?」 「あの、燈夜サマ、え......?」 「知らない女性で抜く貴方は、嫌いです。まず、朔来が見せて欲しいと懇願するでしょう?あ、お触りは禁止です。生殺しに悶えて、我慢を強いられた頭は。僕しか考えられなくなる。素敵ではないですか」  朔来が朝晩、常に僕を求めて想い。  他の誰かに惹かれる暇も無く、その掌は僕しか知らない。  なんて、幸福なこと。  胸の前で両手を組み、うっとり微笑む彼。中央所属、なんて肩書きを保有する筈の燈夜が。どうしよう、馬鹿っぽく思えてきた。きちんと観察すれば。彼が着用している衣服も。“私は神だ”と、英語で書かれた主張の激しい面白シャツだし。東分社で最高潮まで抱いた、燈夜に対する尊敬が。この数十分で、崩れる砂山みたく奪われてゆく。  まあ、卑猥な会話は抜きにしても。  こんな賑やかで、平穏な朝は初めてだ。  そう考えた途端。歪む視界と、頬を流れる熱帯びた雫。あれ、どうしてと狼狽え。瞬きを繰返す朔来の異変に気付いた、真矢と真弓は。驚いた顔で、眼を瞠り。自分達の所為か、と怯えた素振りで身を竦ませる真弓と。直前に内緒話をした燈夜が理由では、と。胡乱な視線で神様を刺す、真矢。式神達は真逆な反応を見せる。 「東地域で大変だった、って。燈夜様に教えて貰ったのに。マユ達、お喋りが楽しくて気遣いしなかったよね?察しが悪くて、ごめんね」 「安心なさい、マユ。人間は、相手から向けられる感情に敏感よ。私達は敵意や嫌悪を持って、サクと会話していた訳じゃない。寧ろ、そこの変質者。いいえ、燈夜様の方が心当たりがあると思いますが?」 「真矢、使役主に辛辣過ぎませんか。ふたりとも僕に似て、聡明な式神で誇り高いです。朔来も楽しそうでしたし、貴方達が理由ではないでしょう。実際、初対面から振返れば心当たりは幾つもありますね」 「そ、そんなに意地悪したんですか?燈夜様、最低です!」 「燈夜様の種族が神で無ければ。今頃は塀の向こうが確定だわ!」  参りましたね、と苦笑う燈夜に。口々に軽蔑の言葉をぶつけた、真矢と真弓は。極めつけに、冷めた目線で使役主を見遣る。目上の相手に、不遜な態度を取る彼女達に。立場を弁えないと、怒られるのではないか。と、朔来は不安になる。東分社では、神様や人間同士の上下関係が厳しく。特に宮司が廊下を闊歩する際は。姿が見えなくなるまで、頭を下げるのが通例だった。もし、規律を怠れば厳しい処罰も受けたりする。そんな自身の経験から心配する、朔来を他所に。驚く程、燈夜と双子の関係は対等だ。東分社が会社組織なら、燈夜の御許は家族のような。戯れるように、責任を押し付けあう彼らに。  誰の所為でもない、と朔来は首を横に振る。 「アンタ達は。忌子とか気にせず、俺を受容れてくれます。だから、もう。宮司と尊様に理不尽な理由で怒られることも。他神職達の顔色窺いも必要ないんだなって、実感が湧いたら。安心、してしまって」  もう。朔来を取巻く環境に、怯える必要は無い。燈夜や真矢、真弓と会話を重ねる内に気付き。張り詰めた神経と尖った警戒心が、緩んだ故の涙だった。懸命に気持ちを吐露する、朔来の手に。燈夜の繊細い指が、優しく絡む。綺麗な半円を描く爪先で、瞳縁に溜まった雫が丁寧に拭われ。朔来の胸内で暴れる激情を整理した果てに、見えた本心は。小さく蟠る、幸せだった。 「朔来。人生は試練と良い事が半分ずつになるよう、出来ているそうです。東分社で苦労した分、僕が幸せにします。此処、木花神社に貴方を苦しめる要素はありません。楽しい想い出を残しましょうね」  あぁ、いつだって燈夜は狡い。  変態の癖に、朔来が欲しい言葉を的確にくれる。  朔来が言葉を吐き出す都度。燈夜は毎回、嬉しそうに口許を綻ばせて。繰返し頷きながら、否定もせず聴いてくれるから。もっと彼に自分を知って欲しいと。身の程知らずな欲を抱いてしまう。傍で様子を窺う真矢と真弓も、そんな朔来の様子に。心底、安堵した素振りだ。  燈夜が朔来にくれる、眼に視えない様々は。きっと。どれだけ朔来が燈夜に尽くしても、返しきれない。少しずつでも、感謝を彼に伝えようと決意など固めて。ありがとう、と告げようとした朔来を遮り。 「真矢、真弓!朝食の支度を放ったらかした挙句、言いつけも破るとは良い度胸ですね?同じ神職である私が朔来さんに御挨拶してから、お前達を紹介する手筈でしょう。物事には順序があると何度言えば」  再び、勢いよく扉が開き。  真矢と真弓、何故か燈夜までもが肩を跳ね上げさせる。  説教を連ねた声と共に現れたのは。糊の効いた浄衣を纏う、初老男性だった。恐らく、彼が。燈夜が奉納される、この神社を管理する宮司なのだろう。年齢を感じさせない、凛と伸びた背筋や頑丈そうな足腰。加えて、厳格な雰囲気を与える目元と真一文字に結ばれた唇。怒らせたら怖いのは、説明が無くても理解出来た。  そんな神職の姿を認めた双子は。小柄な体躯や身軽さを活かして、それぞれ。隙を見抜く洞察や、華麗な瞬発力など披露しながら。窓と天井に分かれて逃げだす。あっという間に姿を眩ませた、彼女達に。宮司は、深い憤りが篭る溜息を溢した。  死なば諸共、と言いたげに。朔来の腕に、両手で抱きつく燈夜へ冷めた睨みを送った宮司は。ゆっくり腕を振り上げる。その動作が、東分社の宮司や尊を脳裏に浮かばせ。殴られる、と痛みや罵倒など覚悟した朔来は、身体を縮め構える。  目蓋を硬く閉じて数秒。衝撃に襲われる処か。皺の寄った大きな掌は、朔来の頭を撫でる。度肝を抜かれ、呆気に取られた朔来が宮司の顔色窺いなどすれば。慈しみ深い穏和な眼で、此方を映す。燈夜との初対面時と同様。瞬き程度の時間、悪意を向けられなかった位で。きっと、悪い人では無いと判断する朔来は。相当に甘いだろうか。 「澄んだ透明な魂ですね。燈夜様が、無計画に連れてきたのも納得です。確かに荒魂は強いですが別段、周囲に影響を及ぼす危険性も無い。東は彼を忌子だと蔑み虐げ、何を大騒ぎしていたんですかね?」 「計画的な犯行です!朔来を見た瞬間、頭の中で作戦が浮かんだのですから。僕達、神は。殆ど、過ちを笑って赦す種族です。余程、絶望する出来事が起きない限りは、荒魂の面が表出ることは無い筈です」 「当日に完結させた、鮮やかな犯行でしたね。幾ら、人間が感情の起伏が激しい種族だとしても。荒魂は、そう簡単に暴走するモノじゃない筈。彼が原因とされている事件、洗い直す必要がありそうですね」 「......どういう、ことですか」  中央の神職は。霊力の種類や魂まで、感じ取れるのか。  朔来に触れた宮司が首を傾げ。燈夜も難しい顔で、東分社を話題に選ぶ。彼らが交わす会話の重要な鍵は、朔来っぽいのに。蚊帳の外な扱いをされるのが嫌で。話の割込みは嫌われる要因と知りながら、声を発する。そんな朔来に、少し考える素振りを見せた燈夜は。 「忌子の荒魂を理由に片付いた、東分社で起きた様々な事件。あれが全部。朔来の所為では無い可能性が高い、という話です」  と、簡潔に纏め。朔来の背中を軽く叩き、話は締め括ってしまう。朔来も居合わせる場で会話をする、ということは。聞かれて、問題無い内容か。敢えて情報を流し、信用出来るか見定められている。何方かだと思う。恐らく、後者だと朔来は推測する。  燈夜が朔来を愛しているとか、魂が綺麗なんて私情は他所に置き。東分社から移動して間も無い自分に、警戒や疑惑を持つのは当然だ。  散々、東分社で向けられた忌子に対する不安。好奇の目線や、意図された悪意。朔来が消えろと呪った、それらの感情を。顔に出さないだけで、実際は。友好的な真矢と真弓、この宮司も腹奥で抱いている可能性はゼロじゃないし。燈夜だって本音では朔来を、どう思っているか分からない。そうだ。地域が変われば、忌子に対する考え方も違うなんて。勘違いするのも、烏滸がましい。  考える程。朔来の気持ちが、泥沼に落込んでいく。  そんな鬱屈とした心を、掬い上げたのは。やはり燈夜だった。 「朔来を疑ってはいませんよ?仮に、貴方が東分社の差し向けたスパイでも。僕と直接、神職契約を結んだ以上。裏切った瞬間に雷が直撃します。まあ、有り得ないでしょうが。離れようとするのであれば」  常世から、久城朔来という存在や記憶を抹消した上で。  この神社に閉込めて、愛しているを身体に叩き込みます。  朔来という人間は確かに居るのに。僕以外は誰も貴方を知らない。  なんて、独占出来る幸せ。  頬を仄かに朱染め。恍惚とした表情で、人差し指を唇に押し当てた朔来が笑う。脅しでは、と宮司が頬を引き攣らせるも。貴方が裏切っても愛し続けます、の宣言だと捉えた朔来は。胸奥から喉へ、込み上げる嬉しさを感じて。自然と、口許が緩んでゆくのが分かった。弾んだ気持ちが、衝動的に燈夜の肩を掴ませ。その華奢な身体に、朔来が覆い被さる体勢になる。多福感が支配する、香染めた眼に。積極的な朔来に、戸惑い瞬きを繰返す燈夜が映る。押し倒されて、畳に散らばる黒壇髪が。その状況を、秘めやかで美しい情景へと彩ってゆく。この神様に認められたい、もっと愛されたい。そんな、我儘で身勝手な欲望ばかりが募る。 「裏切った方が。今よりずっと、愛され易くなりますか。神職に執着も、この世へ未練すらありません。燈夜サマが、好きだと抱き締めて時々は触らせてくれたら。俺は良い人生だったと、思える筈です」  爛々と、瞳を輝かせる朔来に。燈夜は、やらかしたと両手で顔を覆う。そんな彼の反応で、あの言葉は本気じゃなかったことに気付く。愛される可能性は、どんな内容でも掴む。肉食系な朔来が、真に受けない訳が無いだろう。意味不明な言語を並べて呻き、何事か熟考する素振りなど見せた燈夜は。やがて、朔来の両手を握り。悲しそうな顔で笑う。 「脅した癖に、変な話ですが。朔来は、東分社以外の世界を知らないから。そう言えるのだと思います。貴方に見て欲しいものが、沢山あります。デートや色々な話をして。それでも常世に希望がなければ」  貴方を神域に閉じ込めてしまいましょう。  急がば回れ、ですよと。眉根を下げながら諭す、燈夜の声に。僅かに、含まれている焦りに気付いた朔来は。結局。言葉巧みに、朔来を手中へ収めようとしているだけで。実際、燈夜は。朔来を愛しちゃいないのではと、疑う。
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