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 この国には。  天と地を統治する、ふたりの主宰神を筆頭に。  八百万の神様が存在する。その膨大な頭数を管理する意図で、個々が担う役割により。複数のグループ分けが為されていた。  熟、思う。  碌でもない人生だった。  文化的価値の付いた廊下は、踏み込む都度。軋んだ音を鳴らし、その歴史を語る。書類を握り締め歩く、久城朔来の前方から足音が響き。顔を持上げ、相手の確認などした朔来は。視線を余所行きに逸らして俯く。雑談をしながら、近付く彼らは。東地域でも有名な議員の息子と、取巻きだったか。裏取引の末に、神職という就職先を斡旋された奴だ。  肩を震わせた朔来が、数秒後には襲うだろう痛みに身構え。彼と擦れ違う瞬間。勢いよく、体当たりされた為に蹌踉めき。絡れた足を払われ、盛大に転ぶ。そんな無様を、蔑みが含んだ眼で見下ろす彼らは鼻で笑う。 「あぁ、忌子さん。禍々しい気が見えたので、悪霊かと思いました」 「いえ、此方の注意散漫です。また、服を汚してしまいましたね」  これで足りますか。  棒読み口調と機械的な動作で、着物の袂から取出す紙幣に。顔を輝かせた彼らが、分かってんじゃんと。満足気に引っ手繰る姿を。睨んだの怖いだ評される、虚な香染めた三白眼へ映す。樺茶色の髪を汚す埃は、払うのも億劫だ。  馬鹿だな、と朔来は自身を嘲笑う。あれが、最後の所持金だったのに。けれど仕方無いじゃないか。下手に抵抗をして、第三者が挟まる事態に発展すれば。負けるのは朔来だ。余計な傷を増やすなら、諦めた方が痛くない。腕に抱える書類の無事を確認した、朔来が立ち上がった瞬間。足首へ走る鋭痛に、奥歯を噛んで堪える。どう抗っても、朔来が強い立場になることは無いので。悔しいとか、見返すなんて思わないけれど。此処で、リアクションを見せて。彼らを喜ばせるのは、嫌だ。平静を装い、目的地へ向かう朔来の背中を。強い衝撃が舌打ちと共に、襲い掛かる。下品な爆笑が、廊下を反響して。蹴られた、と頭で理解すると同時に。床に擦れた肘が熱を持ち、新たな擦過傷など主張した。 「視界に入るだけで苛つくわ。不幸を背負ってますって顔でさ」 「......申し訳ありません」  諸国言語が解けて賑わう、紅い鳥居の向こう側。賽銭を投込む音に紛れて。吊り下げられた本坪鈴は、神様の御心を慰める為に今日も転がる。そんな拝殿から離れた、緑陰が仄めく社務所内にある応接室。扉を叩き、許可された入室に踏み込んだ足が。顔面に飛沫を浴びた驚愕で、立ち止まる。水滴が落ちる前髪越しに、光も差さない眼で。状況の把握に努めれば。朔来の奉仕する神様、尊が。空のグラスを片手に、宙へ浮いている。多分、中身は麦茶だった。そんな匂いがする。 「良い御身分ですね。私達を待たせて、重役登場なんて。いつから宮司や神より、上位の存在になったのですか?歴代最悪の忌子さん」 「東分社の最高神である尊様。ならびに地域を束ねる宮司、巫女の御三方を。不快に思わせる態度を取り、大変申し訳ありませんでした」  昼下がり。床に頭を擦る朔来を、眩い日差しが慰めるように包み込む。科学発展が著しい現代では。オカルトと伝統の狭間で、揺蕩う話だが。朔来の生まれは代々、東地域を守る土地神に奉仕する神職家系である。当代の父親が、社や土地を仕切り。母親が神託を降ろす。自分達の役割に、エベレストより高いプライドを持つ彼らは。大層、ご満悦な雰囲気で。革張り椅子に、ふんぞり返って座る。  応接室に設置された、旧型扇風機は。稼働音が煩いばかりで。茹だる暑さすら、解消出来ずにいる。数分前に、熱中症で搬送された参拝客を思えば。冷たく硬い床に正座を強いられた、この状況は。足首の怪我を悪化させるが、暑さ対策な意味で辛うじて良いと言える。気怠い憂鬱を顕現する汗が、朔来の首筋を流れた。 「やはり。忌子を後継候補にせず、他神社に押付けるべきだった」 「宮司殿。それでは歴代の忌子に失礼です。私が見届けた彼らは、懸命に務めを果たされ、その生を全うしました。大変、立派でしたよ」 「失礼。他の忌子達は、東分社を支える久城家の者として。二極の霊力を巧みに操り、尊様に貢献されたとのこと。それに比べ、此奴は」  とんだ、失敗作だ。此奴に掛けた時間と金は、無駄だったな。  朔来の頭上を、絶えず暴言が降り続け。気道が狭まる感覚に、息苦しさを覚えた。辛い、悲しいと思う痛みは。とうに、感じなくなった筈なのに。宮司と神様が、愉しげに皮肉や嫌味を繰出す都度。胸奥を靄掛かった蟠りが積もってゆく。この罵倒は、恐らく。神社の運営に関わる氏子や、参拝客らに対する不満も含んだ八当たりだ。ずっと、塞がらない朔来の心傷は、抉られ続けるのに。此奴には、何を言っても構わないと。そう思われる程、弱い立場の自分が情けなくて。噛み締めた唇は、彼らを喜ばすだけと俯きで隠す。  面談を組んだ主犯である父親、もとい宮司は軽蔑気味に。隣で腰掛ける母親、ないし巫女は。穢れた存在でも見るような一瞥を、朔来に送る。決して、朔来に好意的でない両親の頭上では。憐れむような顔で腕組み浮遊する東分社の神様、尊を含め。誰もが神妙な面持ちで、敵だった。 「虫唾の走る顔ね。どんな大罪を前世で犯せば、こうなるのかしら」 「こんな、荒魂が滲んだ顔面で無ければ。忌子でも、周囲から友好的に接せられたものを。人望処か取り柄も無い。起こす騒ぎは、大体が悪霊関係。そんな奴に東分社の歴史や伝統も安心して任せられない」 「指導者向きな性格で無くても。せめて、愛想と可愛げがあれば。東地域を護る神からも、後継に認めて差上げましたが。残念な事です」  僅かに、顔を持上げれば。悪意の篭る貶しが、嬉々と弾んだ口調で朔来を殴る。両親と尊にだけ、出された麦茶は減らず。氷ばかりが身を削ってゆく。  あと幾分、耐えれば終わるだろう。確か、人形供養の祈祷が控えて居なかったか。時間が赦す限り、久城朔来という人間を否定する両親と尊から逃げる様に。朔来は目蓋を伏せる。前世が誰で、どんなか。なんて知る訳が無いし。容姿だって、整形しようものなら。彼らは、鬼の首を取ったみたいに罵るのだろう。この場で朔来に赦される行動は、沈黙のみで。  ひと呼吸、置き。宮司が、和調卓上に給与袋を乗せる。通常より多過ぎる分厚さで主張する、それに。瞠る香染めた瞳孔は、この茶番の趣旨を理解した。神社で朔来が奉仕を始めてから、ずっと。未払いだった賃金を、纏めて支払う気になったとは思えないし。乾いた口内に延びる違和感に、眉を顰めた朔来は。恐らく。吐かれるだろう言葉を、黙して待つ。 「お前は。歴代忌子と比較しても、荒魂の面が強過ぎる。尊様も、その穢れた霊感に困っているそうだ。先日、起こした騒動の件もある。この手切金を受取り、二度と久城家の敷居を跨ぐな。ロクデナシめ」 「ご迷惑を掛けたこと、改めて謝罪致します。被害が参拝客まで及ぶ前に、危険な芽は摘む。立派な判断ではありますが。その、無責任過ぎませんか。忌子を遺伝させた元凶が匙投げして追い出す、なんて」 「お黙り。生意気な発言は慎みなさい。荒魂に呑まれた忌子は、神様へ払う敬意も忘れたのですか。子供は、ひとりしか儲けられない決まり故。渋々育てましたが。恩を仇で返す気ですか、生まれ損ないめ」  嫌悪と恨みの籠る視線が痛い。けれど。これまで朔来が原因の霊騒動で掛けた迷惑や、苦労させた後ろめたさが。その眼を甘んじて受容れる。幼少期から暴力に罵倒と、陰湿な抑圧を受け。本能が恐れ、逆らえずに居る相手は。世間が大人と認める年齢になった現在でも、怖いけれど。  どうせ、厄介払いをされるなら。どうなっても良いと、感情的になって。彼らにヤケッパチな反論をした。けれど、結局。発言する直前で怯え、震える唇が溢す中途半端な覚悟の嫌味じゃ。一矢報いる処か。間髪容れず否定され、更に機嫌を損ねるのが精一杯で。身体を支配する恐怖の所為で。開き切った香染めた瞳孔と、過呼吸を落着けるように。朔来は、両手で顔を覆う。けれど。鼓膜の内側で脈打つ心臓を通して。この縁切り宣言が撤回されるよう望む、朔来自身に動揺する。感情と心が別々に動くように。なんで、どうしてと理由を探す合間に。唇が勝手に言葉を紡ぐ。 「あ......身の程知らずな発言、並びに御不快にさせた旨を併せて謝罪致します。どう償えば、明日も久城朔来でいられますか?」  そうだ。友達はおろか、頼れる親族も居ないのに。久城家を追い出されて、どこに行けばいい。誰も朔来を知らない新天地は、どうか。住民を尊重して馴染める程、陽側な性格でも無い癖に?ならば、東地域で忌子と蔑まれる方が、ずっと良い。  例えば。差別や苛めの動機が、相手を格下と思うからで。陰口が、相手の反撃を恐れる故の行為ならば。忌子は悪、な先入観と。抽象的な噂話ばかり独走する、朔来は。危険か、無害かすら不明瞭な為。壱部の人間以外は、腫物扱いが精々で。流行りのシンデレラみたく。極端に虐げられる経験が、無かった分。善良な環境と周囲に、恵まれた訳でも無い癖に。意外と、故郷に情を移していた。そんな心中を見抜いたように。伸ばす指先で、朔来の顎を掬い上向かせた尊は。目線を持上げ、蔑視の含んだ顔で笑う。 「先程の発言は不問としましょう。この場で、貴方が誠意を見せれば縁切りも白紙です。荒魂が強い忌子でも、簡単に捨てるのは惜しい」 「尊様は懐の深い御方だ。後継に使えない忌子も、価値があると仰ってくださる。この恩は、生を東分社と久城家に捧げても返せないな」 「お前の態度次第で。お赦し頂けるそうよ。どうせ、この土地を出ても。忌子に行く当ても、生きる術も無いのだから。賢くなりなさい」  あぁ、これは。ある種の洗脳だ。  尊から逃れる様に、虚な香染めた瞳を転がした先。下卑た笑顔を浮かべる両親が映り。麦茶の揺蕩うグラスに浮いた水滴が流れ落ちた。罵倒で、朔来の精神を追詰めた後。不本意な決定だ、と掌を返す。見え透いた態度に、裏があると。朔来も理解はしている。けれど。彼らに、逆らう選択を用意しない頭が。実子可愛さに救済措置を提案してくれた、と。幸せな思い込みをする。すぐに朔来の理性が、間違っていると警鐘を鳴らす。  昔から、そうだ。両親は、愛情より体裁。その手は子を抱締めるより、神様へ伸ばす為にあり。血の繋がった忌子より、神様が大切だ。それでも感情は。彼らの一挙一動に、朔来へ向く興味や関心を期待して。また思い過ごしだった、と落胆する。それを幾度も、繰返した癖に。未だ、彼らを信じる朔来も諦めが悪い。けれど、もしかしたら。そうやって拠り所にしてきた薄い望みが、胸を締付けるから辛い。 「東地域に残る理由が頂けるなら。尊様、並びに宮司様方の御役に立つなら。どんな行為でも受容れる所存です。誰も俺を知らない、新天地よりは。慣れ親しんだ、この場所に居たいです。お願いします」  あぁ、本当に馬鹿だなぁ。  折角、忌子と蔑む家から逃げだせる機会だったのに。  所詮、朔来は。東地域に不必要な邪魔者で。嫌われていると、分かっているのに。態々、残りたいと懇願するとか。もう二度と訪れないだろうチャンスを、自ら潰すなんて。愚かな朔来自身に呆れる。  窓硝子越しに見える、注連縄を纏う御神木で。生命を散らす、蝉の鳴き声が響く。東地域を統括する彼らが。喜ぶ言葉を懸命に選び、吐きだす都度。上顎の粘膜と舌が乾いて張付く。この先、路頭に迷うよりは。屋根のある家で、安全に暮らせた方がいい。例え、置かれる境遇が悪化するとしても。  久城家に、忌子が産まれる理由は。時代を幾つか遡る。荒神の暴走により天災が頻発した年。その封印に、尊と当時の宮司が挑んだ。難航を極めた儀式は、成功したが。荒神の瘴気に触れた宮司は、瀕死へと陥った。そこで尊が瘴気を。一族に伝染する呪いに書き換え、救ったらしい。  それ故。荒神が封印された節目年に、産まれた子は。祟りを及ぼす神様の怒り、荒魂と。運や奇跡で幸福を与える、和魂。その二極な霊力を持ち、忌子と呼ばれた。因みに上位の神職は、自身の霊力に加えて。奉仕する神様から、和魂を貸与されている。そして朔来は、歴代忌子と比較しても。生まれつき、荒魂の方が異常に強かった。    ふと。愉悦を帯びた顔で尊が。項垂れる朔来を覗き込む。上機嫌な弾んだ口調で、彼が手を差出す。 「この握手を以て、契りとします。忌子として東地域に身を粉にして尽くす。対価に我々は、その荒魂が原因で起きた問題を内々で処理する。御自身の立場を弁えている様で安心しました」  尊の笑顔は口許だけで。雰囲気と表情までも、朔来を受容れる姿勢では無い。けれど、その眼だけは。言葉を以て神様と契約や主従関係など結ぶ時、特有の。鋭い光を虹彩から放っている。尊が差出した手を取れば、多分。朔来は彼に服従を強いられるのだろう。これ以上、痛いとか傷付くのは嫌だけれど。  それでも。誰も知らない浮浪者より、明日も久城朔来で居たい。  高級な革張りの椅子が、軋み鳴る。膝を床に揃え、呼吸すら押し殺す。そんな朔来を見下ろす、両親と尊は。小馬鹿にしたような笑顔で大変、満足気だ。首筋を滴る汗が、衣服に染み込んでゆく。両手に体重を預け、頭は地面へ擦る。虐げられる覚悟を噛み締めた朔来が、尊の手に触れかけた瞬間。 「人間って、変わり者が多いですよね。貴方の土下座で買える商品なんて、精々。明確になった、上下関係に虐げられ。利用されるだけの毎日です。気軽にフラッペも飲めない生活なんて、有り得ないです」  神楽鈴の清涼な響きを連れ。琴を弾いた音と似た声が、蝉に紛れて聴こえた。同時に、応接室を流れる刻が止まり。夏の照った陽射しが窓を通して。柔らかな光の粒へ変わり、空間内に溶けゆく。扇風機の羽は、性能以上な速度で逆回転を始め。テーブルに置かれた、麦茶が凪ぐ。突如、巻き起こる旋風が。朔来の瞳を、埃や粉塵で塞ぎ。やがて還る静寂に、居合わせた全員が。状況も呑めず、茫然とする間。  絢爛華麗な布地の神御衣を纏う、見知らぬ神様が。嫋やかな微笑みで、朔来の心を奪う。骨張る肩口を撫でる黒壇髪と、向日葵色に染まる硝子玉のように澄んだ瞳。その虹彩に刻まれた蓮花が、高い神格を証明する。尊とは比較にもならない位に、儚い気高さと荘厳な威圧を纏う姿に。見惚れた朔来は、ほうと熱い吐息を溢す。綺麗、以上に美しさを表現する言葉を知らない。そんな己の無知が恥ずかしくなる程。圧倒的な力の差を見せつけた神様は。足を床に着地させる数秒で。朔来の姿を捉えた途端。  向日葵色の瞳を瞠り。頬を火照らせ、唇は色っぽく窄め。堪らないと言いたげな表情で、恍惚と相好を崩す。神御衣の裾を華やかに翻す彼は。朔来の眼前にしゃがみ込み。自身の膝上で頬杖をつき、艶やかに蕩けた溜息など溢す。その癖、獲物を定めた獣のように爛々と輝く眼は怖い。逃げ腰ながら、精一杯な気遣いと畏れを唇が溢した。 「あの、お召し物で床を掃除しています。折角、良く似合っているのに汚しては勿体無いです。あと、尊様や宮司は彼方に居られます」 「と、言うことは貴方が久城朔来さんですか?」 「......そうですが」  心底、愛おしそうに朔来を見つめる神様が近過ぎる。瞳孔に刻まれた蓮花の奥で、好きという気持ちを映す。そんな彼が纏う、名前も知らない花の芳香に。どうしようもなく、脳が眩む。これは彼が持つ強い神力、或いは和魂に酔ったか。恐らく、この体内で蟠る荒魂との相性が物凄く悪い。額に浮かぶ脂汗や吐気を堪える、朔来の手を。無理に引き寄せた神様は。それを両掌で優しく包み、気持ちを伝えた。 「僕......貴方が絶対に欲しいです!透き通って凄く綺麗な、その魂に一目惚れしました。好きです、誘拐するので結婚して頂けませんか」 「......熱中症、ですか?」 「恋に浮かされた、という意味なら熱中症です。その治療薬が、貴方だと言えば。僕を好きになって貰えますか。同棲から始めますか?」 「あの、通常運転で変態です?」  熱心に愛を囁く、初対面の神様に。体調不良も忘れて困惑する、朔来の手が強く握られ。触れられ慣れていない身体を、震わせれば。少し、考える素振りを見せた彼が。朔来を包む掌を緩めていく。解いた片手で、愛おしげに頬を撫でた神様が微笑み。不意に腕を持上げ、神御衣の布地で。両親や尊から、自分達の姿を隠す。そうして、残り数センチ単位まで近付いた後。神様は朔来の唇を奪った。
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