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女性の名前を知るより先に、男は男自身の名前を知る必要があった。
男自身のアイデンティティーである名前。
そして、記憶。
失ったように思えるそれらのものが、男の目の前に迫っていた。
男がネームプレートを確認したのと同時に「トラシュマコスさん」と看護師が言った。
ネームプレートで確認した名前は「トラシュマコス・即鑼(ソクラ)」だった。
・・・そうだと言われればそんな名前かもしれない。
・・・しかし、違う名前だと言われれば違う名前かもしれない。
それだけ、男は自身の記憶がはっきりとしなかった。
男は名前に関連して何かを思い出すかと思ったが、そうは甘くなかった。
結局名前以外は何一つ思い出せなかった。
「トラシュマコス・即鑼・・・」
男は困り果てて、口の中でただ自分の名前を繰り返すしかなかった。
「病室はどうですか。何か気になりますか?」
看護師は病室の方へと手を伸ばした。
不思議な感覚だった。
見ず知らずの家に入って、ここがあなたの家ですよと言われたような気分だった。
男は何かふわふわとした気分でいたたまれなくなった。
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