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#8
あんなに降っていた雨は小降りになり、冠水していた車道の水も引いていた。はやる気持ち抑えつつ、トラックはマンションに向かった。
マンションに着いたのは、21時ギリギリだった。克史は荷物を抱えて走った。
息を整え、インターフォンを鳴らす。
「宅急便です」
「いま出ます」
やがてマンションのドアが開く。
現れたのは、20代と思われるショートカットが似合う可愛らしい女性だった。
彼女は深々と頭を下げる。
「どうもすみません、何度も来ていただいたんですよね」
「大丈夫です。間に合ってよかったです。旅行にでも行かれていたんですか」
女性に荷物を渡しながら、微笑みを作ってそう言った克史だったが、荷物を受け取り、配達伝票に視線を落とした彼女の表情が曇るのを見て、微笑みを消した。
「峯村さん、で、よかったですよね」
克史の言葉に、彼女は予想外の表情を彼に向ける。その顔を見て、克史は呆然とした。今にも泣きそうな顔をしていたからだ。
「どうしました」
母親からではなかったのか。
「母からです」
彼女の声が微かに震えていた。
「私、実家に帰っていたんです」
克史の頭が困惑する。荷物は実家から送られて来たのではないのか。
彼女は続けた。
「母は、数日前に亡くなりました」
「えっ・・・」
思いもしない言葉に、克史は息を呑む。
「車に跳ねられて、即死だったそうです。お通夜やお葬式でバタバタして、電話できなくてすみませんでした。それにしても、母が私に荷物を送っていたなんて・・・」
彼女は、荷物を片手に持ち、もう片方の手で配達伝票を愛おしむように撫でる。
お悔やみ申し上げますという言葉さえ、克史には憚られた。
もうこの世にいない母親から送られた荷物が、いま娘の手にあることの事実。自分がこの荷物に執着していたのは、亡き母親の思いだったのかと思えた。
「本当に、届けていただいて、ありがとうございました」
彼女は克史に深々と頭を下げる。克史も、静かに頭を下げた。
まさかこんな結末になるとは想像もしていなかっただけに、頭は真っ白になっていた。
荷物を抱きしめながら頭を下げた彼女に、克史はずっと思っていたことを口にした。
「この荷物は、僕とお母さんふたりで、運んで来ました」
克史の言葉に、彼女は手にした荷物を胸にぎゅっと抱きしめる。顔が歪む。荷物に落ちた水滴を、克史はじっと見ていた。
「それでは、失礼します」
一礼し、克史は踵を返すと、いつものようにトラックに走って行った。
車内がシンとしていることに、克史はふと気づく。峯村さんのことが頭に残っていたからだ。ラジオのスイッチをオンにする。
音楽が終わり、男のアナウンサーの声が車内に流れた。
「・・市に住む峯村すずさんからのこんなメールをいただきました」
その名前に驚き、克史はヴォリュームを上げる。
アナウンサーは続けた。
「いま、夜空にナイトレインボウが出ています。そして、私の大好きなアイスをいただいています。母が送ってくれました」
間違いない。彼女だった。克史は車窓から首を伸ばして夜空を見る。
満月と共演するように、神秘的な虹が見えた。
「リクエスト曲お願いします。母の最後の思いを伝えてくれた、素敵な宅配便のお兄さんに送りますということです。何か深いご事情がありそうですね。それにしても、夜にも虹が出るんですねぇ。ちなみに調べてみました。ナイトレインボウは、最高の祝福を意味するそうです。ぜひ夜空を見上げてみてはいかがでしょうか。では峯村ちえみさんから素敵な宅配便のお兄さんへ。オーバーザレインボウ、お聴きください」
克史のもやもやとした気持ちがパッと晴れ、これまでになく誇らしい気分でいっぱいになっていた。
「もう少し、この仕事を続けるか」
夜空に神々しく輝く虹をくぐるかのように、克史の運転するトラックは、悠々と夜の街を走った。
【了】
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