夜に虹がかかるのは

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#2  克史が今の仕事についたのは8年前だ。  大学生のバイトで時々やっていたが、卒業を間近にした頃、正社員で働かないかと会社から打診された。  最初は、まったくその気はなかった。  荷物を運ぶのは決して楽な仕事ではない。暑い日、寒い日、雨の日や雪の日もお構いなし。タラタラ歩いていると定期的に巡回している監視員に見つかり、注意を受ける。  早足、もしくは走る。  炎天下の時はユニフォームは汗でぐしょぐしょになるが、お客様に汗臭いと思われないようにとデオドラントには気をつけている。  バイトだから割り切ってやっていたが、正社員ともなれば配達件数で給料が決まるため、より迅速さが求められる。しかし、留守宅が多く、不在票を入れてもまったく連絡がないこともよくある。  そんな時は2度までは連絡する。ダメ元で立ち寄り、いなければ不在票をまたポストに入れる。  その繰り返しだ。  ネットで時間指定も出来るが、年配者にはそれができないから、不在客は減らない。  そんなこともあり、正社員の誘いは断ろうと思っていた。  そんな矢先。  父が脳梗塞で倒れた。そしてそのまま息を引き取った。  実家は兄夫婦が両親と暮らしていたが、父の訃報は克史にはショックだった。  父は風邪ひとつひかない人で、健康だけが自慢だと自分でも言っていたからだ。  それから3ヶ月、母が心不全で突然、他界した。  後を追うとはまさにこのことだと、葬式の席で兄と弔いの酒を酌み交わした。  母の棺を見ながら兄は言った。 「夫婦の会話はあまりなかったけど、あの2人はお互いを必要しとったな。オヤジが亡くなった後のおふくろの衰弱ぶりは、見てられんほどやったもんな」  そして、笑いのネタの荷物も送られて来なくなった。  月に一度は当たり前のように来ていたものが、来なくなる。それは言いようのない寂しさだった。    そしてそのことで、気づいたことがある。  両親が荷物を毎月送って来るのは、自分と電話で話したいからではなかったか、ということだ。  おそらく、きっとそうだ。  両親は荷物を送ることで、自分と話がしたかったのだ、と。  宅配便は、ただ物を移動させているだけではない。送る人の思いを運び、電話で話をするきっかけも作ってくれる。  両親を亡くしてから、身を持って知ったことだ。  社員になることを決めたのは、自分にはもう親からの宅配便は来ないけれど、誰かの思いは届けることが出来ると思ったからだ。  それはきっと、価値のある仕事だと思えたからだった。
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