第一話

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第一話

「嘘の証言をした者がいる」  席について公爵様が発した第一声にジュリエッタは耳を疑った。 「現に手元の資料には君の不義が記されていた。そうだろう? ウィルソン」 「ええ」部屋の隅で佇んでいた男が答えた。 「私はそのようなことは一度たりともしていません」 「だろうな。私が握り潰した」 「どうして」  君には妻でいてもらった方がなにかと。そこで言葉を切った公爵様に対して呆れたようにため息を吐いて項垂れた男が視界の隅に見えていた。  なるほど、そういうこと。へぇ、そう。 「なんです? なにかと、なんですか? そう躊躇わずおっしゃってくださいな」 「今のは、あーくそ。どうして君だと……」 「私以外では上手にできると?」 「いや、その、」 「その私以外には嘘がつける誰かさんに妻にいてもらってはどうかしら?」 「ちがう、誤解しないでくれ」 「誤解? 事実の間違えでは?」 「アルバート様はもう口を開かない方がいいかと……」 「ほんとうね。ボロが出るもの」  助け舟を出したウィルソンに同意する。  彼ならばもう少し上手く誤魔化せるだろうに。  弁明する姿はどこか新鮮にみえて思わず緩んだ表情を引き締めるように仰々しくため息を吐いてみせた。 「それで、あなたが私との婚約破棄を踏みとどまった理由はなんです?」 「……今から話すことを最後まで聞いてくれるか?」 「ええ、わかったわ」 「本来ならば私はあの場で君に婚約破棄を伝えるはずだった。そして君は爵位を剥奪され平民として生涯を終える」 「本来ならば?」 「私は以前にも君と婚約していたからだ」 「えっと、そうね、細かいところは置いておくとして、つまりアルバート、あなたは私が不義を働いたと信じたということであっているかしら」 「……そうだ」 「それでそのあなたのいうところの私は不義を働いていたのかしら」 「……いや」 「そうよね」 「私はあの場で婚約破棄の審議を纏め、君を降民させそれから──」  あれ?  私この話知ってる。  どうしてかしら。  目の前のアルバートにもどこか違和感がある。 「私、その話を知っているわ」 「……ジュリエッタ?」 「……アルバートに、ウィルソンよね? あなたたちずいぶん若返って……待って、ここって確かあなたの書斎でしょ。私、どうしてここにいるの?」  だって、私は死んだはずでしょう? 「……ジュリエッタ?」 「アルバート様、お待ちくださいませ。先程のアルバート様もこのような状態でした。ですからおそらく──」  アルバート、私の婚約者は屋敷にいる時は一日の大半を書斎に籠っていた。  そこの無駄に広い机に向かい書類の山に埋まっている姿をよく向かいの自室の窓から見下ろしていたものだ。  この屋敷を出るまでに私が直接この部屋を訪れたのはこれで二度目になる。 『これは一体どういうつもりなのかしら』  一度目は婚約破棄に納得できず彼の書斎に乗り込んで直訴した時。 『……ジュリエッタ様!』  ウィルソンの静止を振り切り乗り込んだ先の書斎で書類に向き合う公爵様は表情を変えずに『いい、閉めろ』と促し『ただでさえ時間が惜しいんだ。君が来た理由を簡潔に述べてもらえるか?』  はなからさして興味はないようで再び書類に目を通し始めていた。  これは少なからず二人の問題のはずで、私と彼は当事者のはずだった。 『なぜ、私と婚約破棄をすることになったのか話してちょうだい』 『君とは婚約を取りやめる。これは決定事項だ。街に降りるなり他国にいくなり君は好きに生きればいい。私は今後君の人生に干渉するつもりはない』 『あなたは、こんな時でさえもそうなのね。どうでもいいのでしょう? あなたは私と話すことはないのよ。私の意見を聞こうともしないのだから』 『……これで私の顔を見ることはないのだから君にとっては満足だろう?』 『どういう意味よ』 『そのままの意味だ。ここには私と君だけだ。今更取り繕う必要はない。私は最大限譲歩したはずだ。これ以上振りまわされたくはない。収穫祭が始まる前には出ていてくれ』  通達は隅々まで轟きそれ以降公爵様に取り合ってもらえることはなく、今後の処遇が決まるまで屋敷の端の塔に幽閉された。  塔の隙間から紙吹雪に見送られ彼が馬に乗りどこかへと出立する光景を見送ったのが私が彼を目にした最後の姿だった。  それから間も無くして街に降りた生活はけしていいものではなかった。  ハサウェイ伯爵家からは縁を切られ、入るはずの修道院からは門前払いをされ住む場所はなく街の外れの廃教会に身を寄せた。  隣国の弟への影響を考慮し、最期までウィルフレッドとの交流が叶うことはなかった。  元より、幽閉されている間にやりとりをしていた手紙は燃やされ灰となり弟の行方はわからなくなっていた。  平民として生活するだけの術を身につけてはいなくけしていい暮らしとは言えなかったが雨風が凌げ巡礼者の施しによって命を繋いでいた。  噂に飢えた人々からしてみれば格好の的だったのだろう。  程なくして廃教会に訪れた輩によって私は死を迎えることになった。 『ずいぶんと強気な女だ』  周囲を取り囲む男たちによって退路は絶たれていた。 『私はあなた方のような人間が触れるのを許されている人間ではないの。ではごきげんよう、さようなら。どうかお元気で』  先程まで身を守っていたはずの剣の柄を逆手に持ち替え、剣先を首元に突き刺した。  慰みものになる前に死を選んだ。  せめてもの名誉を守れるように。  死んでしまえばそんなもの意味を持つはずはないのだけれど。 『ジュリエッタ!』  あの時、最期に名前を呼んだのは誰だったか。  喉からは隙間風のような音がしていたけれど頭をつけた冷たい石床に吸い取られるように痛みが遠のいて、そこでたぶん私は死んだはずだった。  目の前に座る人物の向かいの本棚の硝子戸に映る姿が引っかかった。  ソファーから立ち上がり引き寄せられていた。  緩やかに波打つ薄茶色の髪は滑らかに艶を放ち、緑色の瞳を縁取るふさふさの睫毛に血色の良い頬。  よく手入れが行き届いていたその姿を目にしジュリエッタは絶句した。  手を動かしそれがやはり自身なのだと理解した。  これは、過去の私だ。  婚約者として公爵邸にいた頃の。 「アルバート、これは一体どういうことか説明してもらえるかしら。どうして私が未だにあなたとこの公爵邸にいるのか私には理解出来ないのだけれど」 「まさか、思い出したのか。やはり君も」  振り返り瞳を瞬かせた彼を見据えて言葉を制した。 「……ええ、思い出したわ。あなたに殺されたようなものだもの」  たじろいだ公爵様にたたみかけるように隣に腰掛け詰め寄った。 「不義を働いたと言われた女がどうなるか公明正大でお優しいアルバート様はもちろんわかっていたのよね」  ささくれもあかぎれもない綺麗な指先。  満足に満たされた暮らしを送っていることは一目瞭然だった。 「待ってくれ、ジュリエッタ。君と私では」 「いいえ、弁解は結構よ。無意味だわ。それで、もう一度聞くけれどあなたが今回に限って婚約破棄を止まった理由はなにかしら」 「君と婚約破棄をする理由はないからだ」 「理由になっていないのだけれど」 「元より、私は君と別れるつもりはなかった。君が私に破棄を要求し、調査をした結果、君が他に慕う奴がいるならと身を引いたのであってそもそも勝手に出て行ったのは君の方ではないか」 「……はあ? あなたが出て行けって言ったんじゃない」 「……私は言ったおぼえはないのだが」 「なにいっているのよ。この部屋で書類の山に埋まって私に言い捨てたじゃない。忘れたとは言わせないわ」 「……それはいつの話だ?」 「あなたに婚約破棄を告げた書類が私の元に届いたその日よ」 「……その日は私は君と顔を合わせていないはずだ。そうだろう? ウィルソン」  ああ、そうかちがうのか。すまない。投げかけられた人物は戸惑いの色を浮かべその意味を理解したアルバートが寂しげにもらした声を抱えこちらへと向き直る。 「信じなくてもいい。だが、私は君にそう告げることはない」 「じゃあ、あれは一体誰だったのよ」 「……君は自身の死の真相を知りたいとは思わないか?」 「いいえ。もう済んだことだもの」 「今は起こってはいないことだ」 「まだ、起こっていないのよ、アルバート」 「起こることはない。君に関することは私がすべて握り潰す」 「あら、ずいぶんとお優しいのね」 「私と別れるよりも共にいる方が君にとっても都合がいいはずだ。どうせなら、君と私で死の真相を暴き犯人を捕まえないか?」 「嫌よ。ごたごたに巻き込まれるのは真っ平なの。私は辺境の領地にでも移るわ」 「どういう意味だ」 「座を明け渡すから、あなたは新しく妻でも迎えたらどうかしら。そうすれば私の問題事に時間を割く必要もないでしょう?」 「君以外に割く時間など意味を持たない」 「な、なによ」 「私には君が必要だ」 「アルバート、あなたが私と一緒にいるのは都合が良いからでしょ」 「そうじゃない、ジュリエッタ。私は……」  いつになく真剣な顔に、ジュリエッタは押し黙った。 「私は君が、君のことが……」  今まで彼に話しかけられることはなかった。だからどう接したらいいのかジュリエッタにはわからなかった。  手を包まれ、透き通る瞳に吸い込まれるように引き寄せられ唇が触れる間際、咳き込んだ声が割って入る。 「あのー、私のこと忘れてませんか? 惚気はふたりきりの時にお願いします」 「……の、惚気てなんかいないわよ。この人が屑だったって話で」 「君が弟にデレデレして情けないって話だ」 「誰がデレデレしてるのよ」 「私といる時は」 「第一あなただって」  一際大きな物音に体がぴたりと止まる。 「……あなたたち、解決するつもりはおありで?」
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