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プロローグ
どうやら私は婚約破棄というものをされるらしい。
不義があったと結論付けられ公爵家を追い出される。
噂話というのは周り回って本人に届くもので、おそらくこの扉をくぐれば私の爵位は剥奪され最悪極刑もあり得る。
愛する婚約者への弁解よりも自身の今後が気になるのは我ながら図太い性格だと呆れもするが、まあ良く続いたものだ。
言葉を交わすことも愛を囁き合うこともない。
一度でさえ彼が部屋を訪れることはなった。
私と彼は婚約者としての名目だけで関わりは皆無。
彼にしてみれば都合が良かったのだろう。
それがまさか不義を疑われるとは思わなかったけれど。
まさに青天の霹靂。
それは彼の方では無いだろうか。
誰のせいで結婚生活を諦めたと思っているのかしら。
第一私とあなたが顔を合わせたなんて片手で数えられる程じゃない。
あなたは私が不義をするふしだら女だというの?
それとも私に責任を取らせて都合の良い条件で別れるって腹なのかしら。
扉の向こうにいるであろう婚約者に腹立たしささえ感じていた。
どうしてやろうかしら。
「……ジュリエッタ!」
彼が件の婚約者、アルバート・ウィルヘルム・ブラッドフォード公爵だ。
「良かった、間に合った」
「は、い?」
この熱く抱きしめてくるのが件の婚約者様のはずだ。
私の不義を疑い婚約破棄をするはずの。
暴君の婚約者様。
「あれは、弟なのだろう?」
「……あれとは?」
「君が逢引きしていた青年だ」
「……はい? 私がなんですって?」
「ああ、くそ。君も戻ってきたわけでは無いのか」
「あの、アルバート様?」
状況が掴めない。
いったいどうしてしまったのだろう。
「今のうちに言っておくが私は君と婚約破棄するつもりはない」
「では私が呼ばれた理由はなんですか」
「婚約破棄だ」
「……ねえ、言っていることがおかしいのは理解してる?」
「君が弟との密会を不義だと思った」
「私がそんなことをするとでも?」
「現に私に隠れて逢引きしていたではないか」
「そもそもアルバート、あなたは私に興味なんてなかったじゃない。それに私はちゃんと外出する許可はとったわよ。あなたが跳ね返してきたんじゃない。だから私は……ちょっと待って、あなたはどうして弟だと知っているの?」
彼に話した覚えはない。
普段から彼と顔を合わせる機会はまずないからだ。
書面でのやりとりを侍女が仲介しているのでこうして彼が私の元を訪れたのはずいぶん久しぶりではないだろうか。
「あーくそ、時間がない。ここは話を合わせろ」
「……ねえ、あなた今日は体調でも悪いの?」
辺境での戦争が長引いていると聞く。
その調整で根を詰めているのではないだろうか。
よくよく見てみれば顔にも疲れが浮かんでいた。
「私のことはいい。気にするな。それよりも今はこの場を切り抜けるのが先だ」
あーくそ。戻るならもっとまともな場面があっただろう。なぜここなんだ。と呟いた姿はまるでちがう人のようだった。
本当に大丈夫だろうか……。
「それと、ジュリエッタ。もう一度言っておくが、私は君と別れるつもりはない。それだけはおぼえておいてくれ」
力強い瞳に真っ直ぐと見つめられジュリエッタは思わず頷いていた。
アルバートが踵を返したのを見計らったように重苦しい扉が内側へと開く。
呼吸を整えジュリエッタは足を踏み出した。
怖さはない。
悪いことはなにもしていないのだから臆することはない。
静まり返った部屋には机が両隣から隙間を埋めるように両壁へと並びそれぞれの役職付きの審議官が陣取りその中心を歩くジュリエッタへと視線が集中していた。
一番奥へと進み審議長の台座前で止まった。
「今回お集まりいただいたのは、ジュリエッタ・ハサウェイ伯爵嬢の不義に関しての投書が報告されています。大変遺憾ではありますが、真実を明るみにするためこのような機会を──」
馬鹿らしい。
尊大に語る審議書記官は、先日、年の半分にも満たない女性と逢瀬を重ねていたところに出会したのを根に持っているのだろう。
「なにか言うことはありますか? ジュリエッタ・ハサウェイ伯爵」
一歩前へと進み出て口を開く。
「彼は弟です」
弟? なんとも苦しい言い訳ですこと。
なんと!
弟と関係を持つとはなんとまぁ。
私は最初からこの婚約には反対でした。
陛下にどのようにお伝えしたらよいものか。
穢らわしい。
嘲笑めいた抑えた笑いにはすでに結果が見えているようでもあったが、ジュリエッタは刺さる視線を払い除け真っ直ぐと審議長を見据える。
「──なにかおもしろいことでもあったか?」
大きくはないがよく通る声に静まり返った場内。
審議長席のさらに上の王座に現れた彼は周囲を見渡し場の空気を掌握し場を沈めるだけの力を秘めていた。
跪き敬意を示す中からアルバートの言葉を受けて声が上がった。
「……おそれながら、申し上げます。ハサウェイ伯爵は男性と会っておいでです」
「それはジュリエッタが不義を働いているということか?」
「……左様にございます」
「では問うが、ジュリエッタ、君は不義を働いていたのか?」
「いいえ」
「では、君の会っていた人物は誰だ」
「……彼は私の弟です」
「そうか」
「そんな嘘を信じるつもりですか、公爵閣下」
「……嘘? 彼女が弟だと言ったのだ。そうなのだろう?」
「ですが」
「彼女が伯爵夫人に引き取られ、弟のウィルフレッドは隣国の騎士団に所属している。従って名前がちがうのだ。そうだろ、ジュリエッタ」
「……は、はいっ」
「調べればわかることだ。彼女の弟は私も知っている」
「しかしながら、公爵閣下」
「それか我が調査団がそんなこともわからない無能とでも?」
肌にひりつく威圧感は口を開くことさえ難しい。
「生き別れたふたりの再会を私も願っていた。だからまずはふたりで会うことを了承したのだ。城内において不穏な噂が流れているのは耳に入っている。私がこの場を承認したのは彼女の汚名を濯ぐためだ。それ以外に理由が必要か?」
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