アムンゼン 5

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 「…な、なんだ? これは?…」  私は、繰り返した…  と、  そこには、リンがいた…  いや、  リンがいたというより、部屋のあちこちに、リンが、絵で、描かれていた…  ちょうど、一般家庭で言えば、部屋中至る所に、好きなアイドルのポスターが、張られているのと、似ている…  ちょうど、中学生や高校生の男のコが、部屋中に、好きなアイドルの水着姿のポスターを、張っている…  それと、同じで、この部屋には、あの台湾のチアガールのリンの絵が至る所に描かれてあった…  しかも、  しかも、だ…  この部屋は、何度も言うように、美術館や博物館を改装した部屋…  だから、部屋中に張ってある、リンの絵画もまた、芸術品だった…  正直、リンの絵画は、大半が、チアガール姿か、水着姿だった…  にも、かかわらず、いやらしさが、まるでない(笑)…  あくまで、高尚というか…  正直、変な感じだった…  だから、うっかり、  「…これでは、芸術品だな…」  と、呟いてしまった…  「…これでは、ダメだ…いやらしさが、まるでない…水着の写真もチアガールの写真もいやらしさが、なければ、ダメさ…」  私が、力を込めて言うと、アムンゼンが、  「…その通りです…矢田さんのおっしゃる通りです…」  アムンゼンが頷いた…  「…たしかに、キレイなんですが、いやらしさがない…これでは、聖母マリアを描いたのと、同じです…生身の姿が、まるでない…生身の生々しさがない…」  アムンゼンが、嘆く…  「…これでは、感情移入ができません…リンに、夢中になれません…正直、困ったものです…」  アムンゼンが、続けた…  私はそれを、見て、考え込んだ…  その場で、腕を組んで、沈思黙考した…  なぜ、沈思黙考したか?  それは、この矢田とアムンゼンの意見が、一致したからだ…  おそらく、初めて、一致したからだ…  つまりは、この矢田が、アムンゼンに近づいている…  アラブの至宝に、近づいている…  と、いうことは、どうだ?  いずれは、この矢田が、アムンゼンにとって、代わって、アラブの至宝と呼ばれる日が近づいている…  そういうことではないのか?  もちろん、一瞬だ…  そんなバカなことは、ありえない…  しかしながら、ほんの些細なことでも、凡人が、いわゆる天才と、同じように、考えたとき、  「…ああ、こんな頭もいいひとでも、自分と同じように、考えるんだ…」  と、感嘆するものだ…  それと、同じだった…  この矢田も、それと、同じだったのだ…  私は、今、初めて、このアムンゼンと同じ位置に立った…  初めて、同じ目線で、物事を、見た…  そういうことだ…  と、いうことは、やはり、この矢田も、近い将来、アラブの至宝と呼ばれる日が、近いのかも、しれん…  なぜか、またしても、そんなことを、考えた…  アムンゼンを見ながら、考えた…  3歳のガキを見ながら、考えたのだ…  そして、この矢田のアムンゼンを見る視線に、アムンゼンもまた、気付いたらしい…  「…どうしました、矢田さん、そんな細い目で、ボクを見て?…」  「…いや、この矢田も、オマエと、肩を並べたかも、しれんと、思ってな…」  「…ボクと肩を? …冗談は、顔だけにして下さい…矢田さんが、ボクに叶うわけないでしょ? そもそも、ボクと矢田さんでは、比較の対象じゃ、ありません…」  「…なんだと?…」  「…いや、わかりました…今、このリンを見て、いやらしさが、足りないとボクが、言ったら、矢田さんも、同じことを、言った…つまり、考えたことが、同じです…だから、ボクと、矢田さんが、同じだと、思ったんでしょ?…」  「…そうさ…」  「…それでは、頭の悪い偏差値30代の工業高校を出た男が、東大卒の男より、早く仕事が終わったから、オレは、社会に出れば、東大卒より優れているんだと、豪語するのと、同じです…」  「…なんだと?…」  「…簡単なことも、難しいことも、同じに考える…それと、同じです…」  私は、言葉もなかった…  たしかに、その通り…  その通りなのだが、悔しかった…  このアムンゼンに言い負かされて、悔しかったのだ…  だから、睨んでやった…  口で、勝てんから、睨んでやった…  さすがに、手を出すことは、できん…  なにしろ、相手は、アラブの至宝だ…  手を出せば、簡単に勝てるが、それでは、いかん…  なぜなら、それは、誰でも、できることだからだ…  だから、いかん…  そもそも、この矢田は、暴力が、好かん…  暴力が、苦手…  だから、いかに、この矢田が、勝てる相手でも、暴力に訴えることは、ない…  35歳の矢田だ…  いかに、相手が、30歳でも、カラダが、3歳なら、勝てる…  しかし、それは、せんかった…  なぜなら、それは、私の流儀では、ないからだ…  だから、せんかった…  かといって、この矢田にできることなど、なにも、ない…  だから、睨んだ…  睨んだのだ…  正直、それしか、思い浮かばんかった…  思い浮かばんかったのだ(涙)…  すると、なんと、このアムンゼンが、予想外の行動に出た…  なんと、この矢田を睨み返したのだ…  元々は、アラブの至宝と呼ばれるほどの頭脳の持ち主…  家柄も良い…  サウジアラビアの王族出身…  前サウジアラビア国王の息子であり、現サウジアラビア国王の腹違いの弟…  当たり前だが、プライドが、滅茶苦茶高い…  まさに、百獣の王のライオン並みに高い…  そして、そのプライドの高さを隠すことなく、この矢田を睨み返した…  ライオン並みの気迫で、この矢田を睨み返した…  私は、ビビった…  もしかしたら、この矢田は、アムンゼンを本気で、怒らせたのかも、しれんかった…  アラブの至宝を本気で、怒らせたのかも、しれんかった…  だとすれば、どうなる?  この矢田など、真っ先に、あの世に送られるかも、しれんかった…  だから、それを、考えれば、怖かった…  怖かったのだ…  だから、とりあえず、睨むのは、止めようと思った…  それゆえ、急いで、目を伏せた…  すると、だ…  「…おや、どうしました? 矢田さん、ボクを睨まないんですか?…」  と、アムンゼンが、挑発した…  3歳のガキが、こともあろうに、35歳の矢田を挑発したのだ…  だが、  この矢田トモコは、アムンゼンの挑発に乗らんかった…  なにしろ、この矢田トモコは、35歳…  たかだか、3歳のガキに凄まれて、同じレベルで、対応するわけには、いかんからだ…  この矢田トモコは、大人…  立派な大人だからだ…  だから、せんかった…  睨み返さなかった…  すると、だ…  「…二人とも、もういい加減にしましょう…」  と、オスマンが言った…  私と、アムンゼンの仲裁に入ったのだ…  「…オジサンも、です…これ以上、やったら、矢田さんに嫌われますよ…」  オスマンが、言う…  「…矢田さんに、嫌われる? それが、どうした?…」  「…矢田さんに、嫌われれば、あのマリアという女のコも、オジサンを嫌います…なにしろ、あのマリアは、この矢田さんに、なついている…それを、忘れたオジサンじゃ、ないでしょ?…」  「…それは、わかっている…」  アムンゼンが、憮然とした表情で、言う…  「…わかっては、いるが…」  「…ここで、矢田さんと争ってなんになります…それに、矢田さんは、来日するリンの世話をするそうです…オジサンは、リンの大ファン…ここで、矢田さんと争うのは、不毛でしょ?…」  オスマンが、説得する…  アラブの至宝を説得する…  私は、それを、見て、  「…プッ!…」  と、吹き出す寸前だった…  本来なら、見た目通り…  二十代後半の長身で、イケメンのオスマンが、3歳の子供に、優しく、言い聞かせる…  これは、まったくおかしくないのだが、事実は、違う…  3歳のガキにしか、見えないアムンゼンは、実は、30歳の大人で、二十代後半の長身のイケメンのオスマンは、アムンゼンの甥…  だから、実際は、甥が、オジサンをまるで、子供に言いきかせるように、説得しているのだ…  だから、それを、考えると、笑ってしまう…  つい、笑ってしまうのだ…  そして、なぜか、このアムンゼンが、私の笑いに気づいた…  「…矢田さん…なにが、おかしいんですか?…」  と、いきなり、言ったのだ…  私は、慌てたが、  「…なんのことだ?…」  と、知らんふりをした…  その方が、都合がいいと、思ったからだ…  「…矢田さん…ボクの目は、ごまかせませんよ…今、たしかに、矢田さんは、笑いました…矢田さんの大きな口が、ニヤリとしました…」  アムンゼンが、憤慨する…  が、  私は、認めんかった…  「…知らんな…」  と、言い張った…  「…オマエの見間違いだろ?…」  「…知らないわけは、ないじゃないですか!…」  アムンゼンが、激高する…  私は、正直、ビビったが、今さら、笑いましたとは、言えんかった…  口が裂けても、言えんかった…  だから、なにも、言わんかった…  これ以上は、なにも、言わんかった…  すると、だ…  「…オジサン…そんな感情的にならずに…」  と、またも、オスマンが、私とアムンゼンの間に入った…  「…オジサンは、相手が矢田さんだと、いつもの沈着冷静さは、どこへやら…まるで、子供に返る…」  オスマンが、呆れた口調で言う…  「…オジサンは、ホントは、矢田さんが、好きなんですよ…」  「…なんだと? …この矢田が好き?…」  「…好きでなければ、矢田さんに、こんな態度は、取りませんよ…」  「…なんだと?…」  「…オジサンは、きっと、矢田さんに甘えているんだと、思います…そうでしょ? オジサン?…」  「…バカなことを、言うな!…」  アムンゼンが、一喝して、否定した…  「…ふざけたことを、言うんじゃない!…」  アムンゼンが、怒った…  しかしながら、その顔は、真っ赤…  激怒して、真っ赤というよりは、ホントのことを、言われて、真っ赤になったというのが、真相というか…  当てはまると、思った…  思ったのだ…                <続く>
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