バトンタッチ

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バトンタッチ

 その日は朝から暑く、蝉の声が耳にこびり付いて離れなかった。  七月下旬から八月上旬にかけて行われる、通称インターハイと呼ばれるその大会は、全国各地で行われた地区予選、ブロック大会を勝ち抜いた選手が揃う。各競技の開催場所はそれぞれ異なり、近隣の県を跨いで移動することも少なからずある。  森海(しんかい)高校陸上部からは男子100m×4人リレーの学年混同チーム、女子走り幅飛び・男子400mにそれぞれ三年生、そして男子100mに二年生の(ひいらぎ)シンが出場する。  リレーのチームは一年生の飯垣菜緒(いいがきなお)、三年生で部長の樫木悠(かしきゆう)、同じく三年生の立花隼人(たちばなはやと)、そして二年生であるシンの四名で編成された。  三年生にとっては全国大会最後のチャンス、そして下級生には初全国デビューとなる。シンは陸上部マネージャーでバディを組んだ相棒である哉明(かなめ)の分も、最後まで駆け抜けると誓った。  あのファミレスの一件から、哉明の元チームメイトである三人組からの妨害はない。相当堪えたのか、もうちょっかい出すことを諦めたようだ。 「──あっ、応援席に二年のみんながいる…!」 「応援団に参加するのは任意だって言ったのに、クラス全員ついてきたのか!」  哉明が苦笑いしつつも、観客席に向かい嬉しそうに手を振る。 「まさか楓が栗ちゃんと葉平に連れられて応援に来るなんてなぁ…」 「わかる。栗ちゃんは今回も剣道に出場するから、それどころじゃないだろうけど」  仲の良いクラスメイト達を見つけ、二人は顔を見合わせて笑った。少しだけ緊張が解れると、哉明がシンの肩に腕を回して耳打ちする。 「まずはリレー予選、がんばれよ。俺はゴールで待ってるから」 「ああ!こうなったら大会新記録出してやるぜ」  拳を突き合わせ、気合を入れてシンを送り出す。相棒ならきっとやれる、と確信を持ってその背中を見つめた。 ×     何度も頭の中でシミュレーションしてきた成果を試す時が来る。  シンはバトンを受け取る位置につき、今か今かと待つ。初めての競技場ではあるが、普段練習しているグラウンドと変わりなく走ろうと決めていた。 「位置について──」  アナウンスが耳の奥まで響く。ピストルの音と共に、一年生の飯垣が全力で駆け出した。予選で気を抜いてなどいられず、次に繋げるための全力疾走だ。  リレーはバトンを繋ぐ瞬間のロスひとつで命取りになってしまう為、入念に準備してきた。バトンは飯垣から樫木へ、次いで立花に渡される。今のところ、順位は首位を維持していた。しかし後続とは僅差だ。 「シン!後はまかせたぜ!」  先輩である立花からバトンを受け取り、シンはすかさず走り出す。得意な100m、短距離はスタートダッシュが肝心だと、哉明から口酸っぱく言われたことは今でも鮮明に憶えている。 「うぉぉぉ!」  気が付けばゴールテープを切っていたシンの頭の中は、からっぽだ。  見事、予選を勝ち抜き決勝まで駒を進めることとなった。 「やってくれたな、おまえら!決勝進出おめでとう!」 「二人三脚じゃなくて九人八脚だからな!当然だろ!」 「選手四人、マネ四人、あと一人は…」 「何言ってんだ、コーチに決まってんじゃん」 「シン…!」  ゴールしたシンを囲み、駆け寄った選手たちとコーチが歓喜に湧く。それぞれのマネージャーたちもホッと胸を撫で下ろし、あるいは涙ぐみ、戦いはこれからだと鼓舞する者もいた。  少し離れたところで見守っていた哉明と目が合ったシンは、にっと笑い掛ける。ガッツポーズを返した哉明の目は、少しだけ潤んでいた。  その日の夜は競技場近くの宿に一泊することとなり、意気揚々と引き上げることになった。大会は連日行われるため、1日で決着がつくものではない。翌日の決勝に向けて英気を養う為、その日は皆で夕食を取り風呂に入った後、早々に床についた。  翌日。  いよいよ男子リレー決勝が近づき、泣いても笑ってもこれが最後となる。  入念に準備を行い、シンは深呼吸して集中力を高める。狙うは表彰台だが、ここまで来れた今までの出来事に感謝した。  過去の哉明と今の自分、二人分のバトンをゴールで待つ、相棒に届けるために。 スタートのピストルの音と共に、飯垣が走り出す。疲れ知らずなのかあっという間に走り抜けて、次へとバトンを渡す。三年生コンビの息が合ったバトンパスで一歩リードし、首位でシンに繋ぐことができた。 「よしっ!行ってこい!」 「よっしゃぁぁ!」  シンは昨日以上に力を出し切るつもりで走った。個人単距離よりも、このリレーにすべてを賭けたと言ってもいい。  昨晩哉明と一緒に大浴場へ行って、彼の左足は膝から下が義足であることを知った。そして今の自分に何ができるのか考えた挙句、ただ前を向いて走ることが答えなのだと悟る。  隣に並んだ選手よりも一歩でも前へ。我武者羅に先を目指し、真っ先にゴールテープを切ったシンは雄叫びを上げた。すぐ傍で見守っていた相棒も吼えている。哉明がシンを抱きしめながら、確かめるように問い掛けた。 「俺とおまえの夢、まだまだこここからだよな…?」 「ああ!」  二人の元へ次から次へとチームメイトが駆けてくる。観客の歓声が木霊する。  哉明に託されたバトンを、優勝と供に再び彼へ届けることができたシンは心の底から笑った。
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