エーテル体の死と再生

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エーテル体の死と再生

3b5b0318-cbb3-42aa-9a2b-092e81fc50c1 「破壊と創造」 「崩壊と再構築」 そういった体験を人間は程度の差こそあれ誰もが味わっている。 人体の維持も細胞の入れ替わりで成り立っている。 人間の意識がそれを実感的に認識・理解するには 「エーテル体の死と再生」 を体験する必要がある。 イジメられっ子や被差別者などの被虐者が精神異常者になりがちなのは 「エーテル体の再生が起こる前にエーテル体が壊れ続けるので、エーテル体の死と再生体験が完遂されない」 事の反映である。 被虐者が 「引きこもりたい」 という衝動に駆られるのは 「エーテル体の再生が終わるまで攻撃や刺激を受けたくない」 という潜在的欲求によるものであるが… 「エーテル体の存在自体を否定している文化」 では 「エーテル体の再生促進と再生終了までの保護の必要性」 それ自体が否定される。 「引きこもり」という現象を 「エーテル体の適正再生」に繋げるには… 被虐者自身が「エーテル体の存在自体を認識する」という感性を持っていなければならない事が多い。 そのエーテル体だが 当然ながら肉体とは違う。 「生命活動による慣性」の結実とでも呼ぶべきものだ。 エーテル体の死は肉体の死と共に訪れる他では 「多数の人間に囲い込まれて強い敵意・悪意を浴びせられて自我を壊される」 という社会的体験で起こる事もある。 被虐者の精神異常はこれに該当する。 主観的には 「自分自身が壊される程に自分自身が大きく広がり飽和していく」 という錯覚としてエーテル体の死を認識できる。 コヒーレントな状態だったものが インコヒーレントな状態にされて 纏まりがバラバラにされて 小さくなって存在性を無くし やがて消滅していく…。 それでいて 「核」 とでも呼ぶべき小さな残滓から 「新たなコヒーレント状態を生み出す萌芽」 が生じて それが育つ事で 「新しいエーテル体が構築される」 といった再生体験…。 情報波は搬送波と信号波とで成り立つ。 それを理解していれば 「人体内の細胞の死と再生で生じる実存波動にエーテル体の死と再生イメージを被せてリンクさせる事」 は充分に可能。 それによって 「エーテル体の死と再生」 を肉体が生きたまま内観的に体験する事ができるし その体験後には自分のエーテル体を認識できるようになる。 自分自身のエーテル体を認識できる者は 夢を見てる就寝中に 「これは夢だ、私は夢を見ている」 と自覚しやすい。 だからこそアストラル界を随意で探索できる。 エーテル体の死と再生を体験した者はアストラルシーカーになれる。 ただ 「アストラルシーカー全員に霊感がある訳ではない」 事は重要な識別点となる。 アストラルシーカーは霊感を持つ持たないに関わらず 普通に生きているだけで 「脳とネット端末の類似性を実感する体験をする」 事になる。 具体的には 「意地悪そうに他人の悪口を吹聴している知人の姿」 などが 「別の考え事をしてる最中の脳裏に割り込んで浮かんで来る」 という体験をしたりする。 そして丁度、そんな現象が起きた時に 「その知人がこちらの悪口を周りに吹聴してこちらを陥れようとしていた」 という事実が後日明らかになったりもする。 それは ネット端末でSNSに興じたり動画を見たりネット小説を読んでる最中に 「メール受信の通知が画面の上方に浮かぶ」 のと似たような現象だ。 自分を陥れようとしている相手が知人だと そうやって相手の顔が浮かぶ。 非常に分かりやすい。 逆に 「自分は相手を知らないのに一方的に認識され一方的に悪意を向けられている」 ような場合には、通知反映は紛らわしいものになりやすい。 「自分を陥れようとしている相手の顔」 として 「無実の知人の顔」 が身代わりとして浮かぶ事がある。 本物の知人はこちらに対して悪意など向けていないのに… 敵のイメージとかぶるイメージの知人の顔を敵のアイコンとして錯覚してしまうのである。 そうした錯誤が起きた時に、その錯誤に気づけずにおくと 「アイコンのすり替えによる身代わり投影」 の果てに逆恨みを拗らせやすくなる。 「コイツは頭がおかしいのか…」 と思わざるを得ない程に 「互いによく知らない筈の他人から激しく憎み恨まれ嫌がらせされる」 ような事態が人生では起こる事があるが… そういう事態が起きている時はかなりの確率で 「相手の脳内で潜在的に身代わり投影が起きていて、相手は自覚なく誤認報復している」 のである。 人間の脳の作用は客観的に分かりにくい。 紛らわしい。 引っ掛け詐欺の電子メールが潜在意識領域で悪戯してきてるのを想像すると多少は分かりやすくなるのかも知れない。 悪意を向けてくる相手次第では更に分かりにくくなる。 悪意を向けてくる相手が自分自身を 「マトモだ、私は正気だ」 と思い込んでいて、執拗に調伏の念をこちらへ飛ばしてくる場合などだと… 更にその手の不具合は認識しにくくなる。 「自分の思考が途中から乗っ取られ、自虐・利他主義的なものへと改竄される」 ような事が起きやすくなる。 まんまと調伏されてしまうとーー 不自然なくらいに特定の相手の悪事を認識しにくくなり 自ら進んで「内ゲバ・弱い者イジメ」へと向かう事になる。 犬神やら巫蠱は術者によって残虐に殺されながら恨みの矛先を術者に操られ術者の都合で使役されるのだから 「下等動物の霊感の無さは哀れ」 だと言える。 基本的に 「霊感は自分の国でしか目覚めない」。 そして霊感無きアストラルシーカーは 無遠慮に宿主を蝕み殺す寄生虫のような存在性に堕ちる。 犬神やら巫蠱の次元だ。 そうした悪質な巫蠱の多くが 移民や帰化人の霊魂だったり それらの人々と親和性の高い被洗脳者の霊魂だったりする。 寄生虫のような在り方で生き 存在自体が悪でありながら 自覚せず 自己改善の必要性も理解せず 寄生虫のような在り方・生き方を続ける事に執念を持つ。 だから人間でありながら下等動物が堕ちる巫蠱の次元に堕ちて 延々と抜け出せなくなる人々…。 もちろんそういった巫蠱の次元に囚われる霊魂でも邪心さえ持たなければ 「体内に居座る異物が細胞へと擬態し無害化するうちに、いつしか生体系の一部に組み込まれる」 ような事もある。 寄生虫だったものが宿主側へと籍を移す事もあるのだ。 だがそれには通過儀礼的な試練が必要となるし… そうした試練は苛烈になりやすい。 自由という美に擬態した無秩序と 蝕みと 可逆性の浪費。 その果てにある煉獄。 無秩序と煉獄の相関性を悟り 自由という美に擬態した無秩序を嫌い 秩序という美を持つ節制を愛するなら 猿と同次元だった巫蠱がやっと人間になれる…。
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