キリンの笑顔

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 また課長の非難がましい声が聞こえる。指示の皮をかぶった文句を、女性社員に向けてぐちぐちと練っている。  取るに足らないミスを人生訓にまで昇華させるのは、課長お得意の技だ。自分のデスクまで呼び寄せ、言い返せない相手にしつこくからみつく。  必ず立ちあがり目を剥くのが、威圧的で気が滅入る。  どうしていちいち、席を立つのだろう。座って注意したほうが楽だと思うのに。  今日のあわれな犠牲者は、入社してまだ数か月の女性だった。書類の仕分けに、勘違いがあったようだ。  課長によると、明るく染めた髪がいけないらしい。ただの茶色なのに。  色合いが派手で、社会人としての自覚が不足している。その甘えてゆるんだ気持ちが、仕事のミスに繋がるのだとかなんとか。くだらない精神論。  目の前の女性に訓辞を垂れるふりをし、フロアの全員に聞かせるために声を張る。  あれが私じゃなくてよかった。  長々と説教されている人には悪いけれど、自分が厄災に見舞われなかったことに安堵した。  恒例でなされる課長の小言は、誰かが一人、生贄になればその日のぶんはもう終わり。一日一回のイヤな行事だ。  ようやく馬鹿げた儀式も終わったので、こっそりと席を立った。トイレを我慢していたのだ。儀式の最中に持ち場を離れようものなら、どんなとばっちりが来るかわからない。  廊下を急ぐ私は呼び止められた。お局さまが給湯室で手招きをする。  課長ほどではないにしても、細かなことに目を光らせ、チクチクと針を刺すのがわずらわしい人だ。 「あなた、口紅の色が暗すぎる」  課長の難は免れたが、ここで文句を言われるとは。  男が言ったならばセクハラ一直線なことを、ズケズケと口に出す。  人目を引かないように地味な化粧を心掛ける私の努力が、たったひと言で蹴散らされた。  私の気分が害されたぶん、お局さまのストレスは発散される。意地の悪い人が、おとなしい人を食いものにする。  会社とは、誰かを削らなければ生き延びることができない場所なのだろうか。
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