キリンの笑顔

5/8
前へ
/8ページ
次へ
 誰とでも取り換えのきく仕事をぼそぼそとこなしている最中、私は課長に呼ばれた。  何もミスをした覚えはないが……。  胸に黒いもやを詰めて出頭したところ、極めて些細なことを指摘された。誰もがしている、ミスとも言えないわずかなズレ。  この貧相な小男は、ただ単に威張りたいだけ。威張るための道具として、私を利用しているのではないかと邪推してしまう。それほどに、取るに足らないミス。  それをあたかも世の中の一大事とばかりに巨大化させ、訓話にからめて延々と講釈を垂れる。  納得がいかない。  とは思うものの、抗弁すればさらに戯言が長くなる。課長の台詞を脳内に留めず、右から左へと流していたら、予想だにしない言葉をかけられた。 「キミね、上から見おろして上司の指示を受けるなんて、非常識じゃないかね」  そんなこと言われても。  百六十センチほどの課長と百九十センチ近い私が対面したなら、どうしても私は視線を下に向けざるを得ない。  これは物理的な現象で、見くだすつもりはまったくない。その証拠に、ちゃんと敬語を使っている。これでは足りないと言うのか。ひざまずけとでも言うのか。  踵のない靴を履き、背中は丸くし、あごを引いて顔を伏せる。できるだけ小さく見えるよう配慮はしている。  私の努力を説明したところで、理解を得ることは不可能だろう。人の話に、耳を貸す雰囲気ではない。  課長は今、こうやって文句を言っている間も、あごを上げ、大仰に背中を反らせ、私をにらみつけている。どうして、こうも偉そうなのか。  今までも、こういう男は掃いて捨てるほどいた。自分よりも背の高い女は、お断りだと。  男は背の高いほうがいい。女はかわいらしいほうがいい。  そんなの、わかってる。昔から言われていることだ。私だって、好きでこんな大女になったわけじゃない。  キリンは高い背を生かし、危険をいち早く察知して逃げるらしい。シマウマやヌーといった草原でともにすごす動物たちは、キリンが動けばあわせて移動する。キリンは優秀な見張り役で、一緒にいれば安心だから。  私のこの背丈は、なんの役に立っているのだろう。課長の怒りを買う程度なのが情けない。  私は謝りの言葉を続けた。黙っていると、「言いがかりはやめて」と口走りそうだから。「すみません」「申し訳ありません」をくり返し、唇を埋めた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加