第二話『チェスボクシング部の風間さん』

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   私がたかしを置き去りにした後、あの女子高生は戻って来たのだそうだ。その人の手には、お菓子がいっぱい入った袋が握られていた。  かなり後になってから聞いた話である。  あの時、女子高生はかなりお腹を減らしていたらしい。運動公園でテニス部の特訓をしている最中、お弁当を忘れてしまったせいで空腹が限界値に達していたその人は、一人だけ部活を抜け出して何かお腹に入れるものを買いに出かける途中だった。その道すがら、つい「お腹空いて死にそう」と呟いたところ、それを偶然耳にした弟から、「これ、食べていいよ」と、チョコパイを渡されたのだそうだ。女子高生は流石に幼稚園児からおやつを受け取ることは出来ないと、最初は断るつもりでいたらしいが、ふと妙案が浮かんだ。  「じゃあ、チョコパイのお礼に、お姉ちゃんが他のお菓子をたくさん買ってきてあげるから、一緒に食べよ?」  その人は、子どもが大好きな優しい人だったのだろう。たかしから形だけチョコパイを受け取った後、近くのコンビニでお菓子を買い込み、再びたかしの元へ戻って来たのだ。  事件はその時に起こった。  折悪く、女子高生は悪質なナンパに捕まってしまったのだ。  ナンパしてきたのは極めてタチの悪い地元の暴走族のチンピラで、そのクズは嫌がる女子高生の腕を掴み、無理やりどこかへ連れ去ろうとした。  たかしはそれを止めようとしたらしい。  けれど、当然敵うわけがなく、たかしは殴られ、蹴られ、そして動かなくなった。  たかしが動かなくなるのを見てチンピラは逃げ出したが、翌日には逮捕された。弁護士のクソ野郎はこれを事故として主張し、どうしようもない間抜けの裁判長はこれを「一理ある」とした。裁判に影響するから、という理由で、チンピラからの謝罪はなかった。  女子高生はたかしの葬式の最中、ずっと泣いて土下座していた。あの人は何一つ悪くないのに、ずっと謝り続けていた。その後、その人はまともな生活が送れなくなり、高校も辞め、今はどこでどうしているのかも分からない。毎年たかしの命日には手紙が送られてくるので存命なのは確かだが、あの人のことを考える度、私の胸には締め付けられるような痛みが走る。  世の中は狂っていて、何もかもが間違っているように思えた。  なら、私も狂ってしまえばいい。そうすれば、私の望む『正常』に、少しは近づけるような気がした。  いつかどうしようもないのに当たる時まで、私は一人でも多く、たかしを殺した不良のようなろくでなしを道連れにしてやろうと心に決めた。  古い武術を教える道場に通って人を壊す方法を学び、『正当防衛』が成立する喧嘩の売り方を教えてもらった。師匠は私を理解し、その生き方には先がないと分かっていても、私に技術を教えてくれた。常識的な大人のように、師匠は私に何かを禁じるというのことをしない大人だったが、ただ一つだけ、これだけは守れと強く教えられたことがある。  ━━━『冥道』を名乗る人間にだけは関わるな。  何のことかは分からなかったが、その時の師匠の表情には怯えが混じっていた。私は古井戸の底を覗き込んでいるような気分になり、分かりましたと頷いた。『冥道』の話はそれきり出ることはなかった。  そうして私は歪んだ技術と知識を吸収し続け、中学に上がる頃には、夜の街を徘徊して不良とチンピラを狩るような生活を送るようになった。家族とは大喧嘩し、家を出た。生活費と寝所は、私に言い寄ってくる適当なゴミを痛めつけて奪った。学校にも行かず、名前すら知らない変態野郎の部屋で日中を寝て過ごし、夜になると獲物を求めて街を徘徊した。顎と手足の関節を外して部屋の隅に転がした変態野郎が餓死しそうになると、私は適当に通報してその家を出た。そういう生活を、私は半年繰り返した。  そして、その半年目に、私はどうしようもないのと出会った。  
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