第二話『チェスボクシング部の風間さん』

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   私が痛めつけた奴の中に、ヤクザだか政治家だかの、とにかく金と権力を持っている奴の息子がいて、ソイツが復讐のために『本職』を雇ってきたのである。  その『本職』は植物のように感情が乱れるといことがなく、淡々と私を『処理』してきた。技術も精神も遠く及ばす、私はまるで勝てる気がしなかった。恐怖はなかった。ああやっとか、と私は血反吐を吐きながら笑っていたのだ。私が動けなくなったところで『本職』は動きを止め、代わりにわらわらとろくでなしの仲間どもが群がって来た。まあ、楽に殺すわけがないか、と他人事のように下卑た笑みを浮かべるそいつらをぼうっと眺めていたら━━  「ななちっ!!」  路地裏の入り口に、柳田が立っていた。  全身が総毛立つという感覚を、この時私は生まれて初めて味わった。  柳田がずっと私のことを気にかけてくれていたのは知っていた。たかしが亡くなってから、何かと理由をつけてはずっと私の側に寄り添ってくれた。両親との関係がギクシャクし、私が家を出てからもずっと私を探していたのも知っていた。夜の街で、私の写真を片手に私を探し回っているのを何度も見た。私は柳田に見つからないよう注意深く隠れつつ、アイツが家に無事に帰り着くまでこっそり見守っていた。それがまさか、こんな最悪なタイミングで見つかってしまうなんて。  来るなバカ、と言う暇すら無かった。柳田は周囲のろくでなしなどまるで目に入っていない様子で私に駆け寄ると、思い切り抱き締めてきた。私は何も言うことが出来なくなったしまった。柳田は顔を上げて周囲のろくでなしどもを睨みつけると、毅然とした声で「ななちに何すんのよっ!!」と、大声を出した。その声で、突然のことにポカンとしていたろくでなしどもは気を取り直したらしく、さっきよりも数段厭な笑みを浮かべ、よく見たらコイツ可愛いな、と言い始めた。私はとっさに動こうとしたが、どうしても身体が言うことを聞いてくれない。柳田が立ち上がってろくでなしの一人の頬を張った。それで逆上したろくでなしに髪を掴まれた柳田は、路地裏の壁に思い切り叩きつけられた。自分の喉から発せられたとは思えないほど情けない悲鳴が漏れた。私は狂ったように柳田の名前を呼び続けた。  こんなはずじゃなかった。  誰かを、大切な人を巻き込むことになるなんて考えもしなかった。すべて私の責任で、私の命と人生ですべてを賄えると思っていた。それで許して貰えると思っていた。でも、現実はこの様で、私は柳田を失ってしまうという恐怖に泣き叫ぶことしかできなかった。  「私を好きにしなさいよ!! 私を好きにしていいから、その子には手を出さないで!!」  無駄だと分かっていても、そう叫ばずにはいられなかった。泣き喚く私を、ろくでなしどもが腹を抱えて笑って見ている。  その声量が、急にストンと落ちた。  まるでスピーカーの片方が急に壊れたかのような、不自然な下がり方だった。異変に気付いたろくでなしが笑い声を引っ込めて周囲を見回す。人数は減っていない。倒れている奴もいない。  ただ、十人以上のろくでなしが、立ったままの姿勢で泡を吹いていた。  それまで興味ないと言わんばかりに壁にもたれかかってタバコを吸っていた『本職』が、急に警戒するようにタバコを投げ捨てて身構えた。目に、私の時には終ぞ浮かばなかった焦りが見えた。世話しなく動くその目が、ある一点をとらえる。  視線を追うと、そこに柳田が立っていた。  柳田は俯いていて、顔は髪で隠れていて見えない。陳腐な表現だが、その場の全員が本能で理解していた。    柳田の背後から蛇のように滑り込む影があった。手には光るものがあった。柳田は一切振り向くことなく半身を動かしただけでそれを交わし、急襲した『本職』はそのまま地面に倒れ込んだ。何をしたのかまるで見えなかったが、すれ違いざまに何かを入れたのだろう。『本職』は動かなくなった。地面にカランっという音を響かせてナイフが落ちる。その音に気を取られ地面を見て、次に顔を上げた瞬間にはすべてが終わっていた。ろくでなしどものほぼ全員が泡を吹いた状態で立ち尽くしており、一拍の後、全員が糸が切れた人形のように倒れ込んだ。  「・・・」  柳田は、白目を剥いている『本職』の頭を掴んで引き起こしていた。  「・・・」  柳田はじっと『本職』を見ている。その目は幼馴染の私ですら見たことがないほど冷たいものだった。勘だが、柳田は迷っているように見えた。殺す殺さないなんて常識的な迷いではなく、、それを考えているように思えた。  「・・・みかんちゃん」  もう何年もその呼び方をしていないのに、私の口から自然とその名前がついて出た。  その瞬間、柳田はハッとして私の顔を見やった。そして、気まずそうな表情で片目を瞑ると、ベロを出し、  「いっけね、やりすぎちった。てへぺろ」  と、言った。
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